世界最大のお墓「仁徳天皇陵」

仁徳天皇陵とは正に「任」と「徳」を持った素晴らしい天皇として高く評価されていたことがよく分かります。だからこそ、このような大きな天皇陵が出来たことが一目瞭然です。
未だに「証拠がない」などと言っている歴史家もおりますが、国民が挙ってお墓を造ることを協力した力の持ち主ということで、疑う必要は全くないと思います。
この古墳の重大さについて、今、国民が行わなければならないことは、歴史上にこういう天皇が居られたことについてしっかりと認知する事ですと田中教授は強調されます。
この古墳と応神天皇陵が巨大さを売り物にして世界文化遺産に登録したわけですが、これから日本国民がしなければいけない重要なことがあります。
それはこういう天皇が居られたことをしっかりと認知する事です。
これは古事記や日本書紀にちゃんと記されておりますので、それを信じる以外ありません。正に証拠が現存しているからです。
何故このように大きく造られたかという証拠は、「慕われていた」ということ、そして崩御された天皇に対して人々が尊敬の念を持つと同時に、大林組の50年前の統計でも1000億という、今に換算すれば2~3000億と言っても好いほどに、その労働力と築16年間という、毎日2千人もの労役が必要とされたという考えられないことが行われたわけです。

世界初の減税政策?仁徳天皇と「かまどの煙」

古事記にも記されていますが、天皇がある日、高台に立たれて見渡すと、家々には煙が立っていない。それは人々の食べるものがないという知らせを聞き、3年間税金を徴収しないことを決めたという。

高き屋に のぼりて見れば けむり立つ 民のかまどは にぎはひにけり  {仁徳天皇 御歌}

3年後になると、やっと釜戸に火がともり、一安心となるが、それでも天皇は税金を取らなかった。
さらに皇居の佇まいは修繕も行わず、13年ぐらい壊れたままにされたなどと記紀には記されています。これは仁徳天皇を讃えるための作り話だと現代の歴史家たちは必ず言われます。
しかし、このお墓の大きさを見れば、当時の人口総がかりで行ったことは厳然とした事実であり、埴輪や古墳を作った土師氏と言う一族、組織力のある集団が造ったということが何よりの証拠です。

応神天皇陵の建築で弓月国から1万7千人の人々が来たという、明らかに秦氏であります。彼らは大陸を旅して各地で物を売買し、運ぶということをやっておりましたが、同時に彼らの技術を持ち、宮殿や要塞を造る能力があり、いわゆるフリーメイスンでありました。
この時代は集団で巨大な居城を造っておりました。勿論その中に能力のある人がおり、その人が中核になり事業を行ったのです。石を運ぶにしても運河を利用し、船で運んだりしていたことは明らかです。その技術力や労働者には給料として、お米であったり絹であったり、色々な形であったでしょうけれど、それを行うのは秦氏たちであったろうと思います。

弓月国から来た秦氏たちは秦の始皇帝の子孫であることも記されており、神話の中の様々な風貌の人、例えば素戔嗚尊(すさのおのみこと)や日本武尊(やまとたけるのみこと)や猿田彦(さるたひこ)など、180cmもの巨大な人たちがたくさん神話にでてきます。

彼らはどういう経路で日本に入ってきたのか、そして日本の神になったのかについては、やはりそれだけの能力を持つと同時に、日本の中に同化し、すでに東北におられたのです。

正に十代目の崇神天皇から第二の大和王朝が出来、そこに多くの東からの人の土器が半分以上あったということで、そこにもユダヤ人たちがおり、また新たにやってきたユダヤ人たちが日本に同化する形で、このような立派なお墓を造ることになったのです。

そしてまず内政が上手く行われていた。名前が仁徳と付けられるような、徳を讃えられるような指導をされます。
更に言えば外交でそういう人たちを使ったということもあります。さらにもう一つ朝鮮半島や中国から、遣日使が来ています。

それは唐と同じ役割をして強国であったことがよく分かります。仁徳天皇陵は大阪の海辺に造られていました。そこに来た人々には「このように凄い天皇が居られる」ということを認知されておりました。たくさんの遣日使がやってきたことがよく分かります。国内的にも国際的にも人々に慕われていたという人徳がありました。
これが仁徳天皇の巨大さを示すものです。これだけ巨大なものを造ることの大変さを理解しなくてはなりませんし、今回の巨大遺産の説明が足りないのです。大山領国・・・云々?訳の分からない土地の名前を付けて、この巨大さを説明しないのです。それを正直に説明することが大事なのです。これが国際的にも認知されていたことが分る筈です。この時代が最も栄えていた大和王朝の時代だったということが分かります。

それ以後は朝鮮半島や大陸が強くなったことがあったりしても、やはりここでしっかりと国が造られていたこと、そして天皇が人々に慕われていた。彼が言うのには、自分の存在は民のためにある。天が私に地位を与えたけれど、それは民のためである。ということを言っておられます。自らそう言っているということは、それを自分に課せられていた。そういう地位と言うものはこの時代から、現代の天皇も同じことを言われます。この時代はもっと困難な時代でしたから、そういう時代から天皇は徳を積まれていた。この記憶がずっと天皇を支えているのです。そして国民はずっと覚えているのです。従って、この天皇陵こそが記憶されるべきなのです。世界にも、エジプトよりも、秦の始皇帝よりも大きいということをしっかりと認識する必要があります。

日本のあり方を世界にどんどん示す必要が、そのためにもこれを原型に戻す必要があります。

それはどうやって石を運び、土を運び、どうしてこの形で造られたか、こういう謎を、あたかもピラミッドの謎を解くように、日本人が示すことにより、初めてこれが世界で理解されるようになります。すると日本の古代と言うものが非常に生き生きと復活していくわけです。そのこともこれから学者がやらなければならないのです。これまでの固定観念を捨てて是非やるようにしたいと思います。と、田中教授は語っておられます。

次回は「真・日本建国史」神武天皇とヤマト王権の謎
世界一大きなお墓はピラミッドではありません。

実は、日本に存在するお墓、「大仙陵古墳」という名前の、巨大な前方後円墳こそが
世界一大きな墓なのです。

当時の価値で約1000億円~2000億もの費用をかけて、
2,000人が15年以上もの月日をかけて造られたとされる巨大古墳です。

お楽しみに