兵馬俑から読み取るユダヤ人の足跡

「記紀」について

奈良時代の720年(養老4年)に完成。日本最古の正史である『日本書紀』と、712年(和銅5年)に完成した日本最古の歴史書『古事記』を併せて「記紀」という。

「古事記」は「日本書紀」より神話らしく、荒唐無稽である。民族の記憶がフィクションとして描かれている。高天原が天上の物語のように・・

「高天原(たかまがはら)とは」
「日本書紀」「古事記」などに記された神々の住む天井の世界。
高天原は一般に「天井の神々の世界」と思われているが、田中教授は著書「高天原は関東にあった」(勉誠出版刊)などにおいて縄文時代以来の日高見国の中心が高天原であり、茨木県の鹿島神宮周辺であるとの見解を示している。

「神々とはどんな存在なのか」を考えると、特徴として単なる天上人ではなく、働くなどの生活空間があり、必ずしも天国の様なものではないということが分かります。日本の縄文時代の歴史等

遺跡が関東・東北にあり、そこにおける歴史が日本の祖先として神々があり 関東東北に住んでいた人たちが更に大和の祖先として神々と考え、これは新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)として815年氏族の名鑑であり、そこに3つの氏族として分類されている。

皇別・・神武天皇以降の天皇家から分かれた335氏族。清原、橘、源、蘇我などがある。

神別・・神武天皇以前の神代の404氏族。更に「天神」「天孫」「地祇」にわかれる。
「天神」は邇邇芸命が天孫降臨した際に付き添った神々の子孫。藤原。物部。忌部、中臣など246氏。
「天孫」・瓊瓊杵尊から3代の間に分かれた子孫。尾張、出雲など128氏族
「地祇」は天孫降臨以前から土着していた神々の子孫。安曇、弓削など30氏

諸藩・・渡来人系の氏族。秦、大蔵など326氏

渡来人の中の1/3は秦氏である。
秦氏とは最も有力な渡来系氏族。日本書紀によると応神天皇(270-310)の時代に中央アジアの弓月国から2万人規模で渡来したユダヤ系渡来人。秦の始皇帝の子孫。後裔であり、応神天皇、仁徳天皇に厚遇され、日本に帰化した。
聖徳太子の時代に活躍した秦河勝が有名。雅楽、能楽の祖でもある。

 

秦の始皇帝

清の君主であった始皇帝(前259~前210)は紀元前221年、史上初めて中国を統一した。

 

志那・・・「秦(シン)」が語源という説がある。
唐・・・北アジアの遊牧民が造ったと言われている。
後漢・前漢・・・漢民族が造ったと言われている。以後は游民族    が支配する。それ以降は游民族が入って来ては政権をとっている。
苗族(びょうぞく)・・真の始皇帝の時代に入り込んだユダヤ12氏族のうちのひとつと言われる。秦で摂政や関白の地位で関わる。
荘襄王(そうじょうおう、前281~前247)秦の第5代の王。始皇帝の父。始皇帝のお母さんがユダヤ系のため、ユダヤ的な個人主義,強い意志と長いディアスポラの中で生き抜いてきた能力を使い中国を支配する。従ってかなり乱暴なことも平気でやり、暴力的に国を統一することをやり遂げた。
だが、中国に根ずいていないので15,6年で消えてしまった。
しかし、秦の始皇帝陵から出土した大量の兵士や馬をかたどった埋葬品から読み取ることが出来
る。御者の顔が立派なユダヤ人の顔であったりする。
一方、兵馬俑は皆同じ中国人の形と姿をしていて、お墓に埋められている5,6千の兵馬俑が残っており、一人一人全く個性のない造られた写実的であり、正に志願された中国人の姿である。

秦(前778~前206)時代の方士、徐福

瞑想や気功などによって不老長寿を実現しようとする徐福もまた秦の始皇帝の命令により不老不死の薬を求めて東方へと船出した。平原広沢(広い平野と湿地)を得て王となり、秦には戻らなかったという。日本各地に徐福の伝承が残されている。

長寿の国、日本に2000人の若い人を連れてきて研究させようとするが、彼らが日本に居ついて戻らなかったという。それが紀元前2世紀末はじめ二番目にやってきたユダヤ人たちらしい。
今まで、これが中国人だと思っていたが、三国志や中国の歴史をよく検討してみると、そこまで12氏族が来ていることをみると、彼らユダヤ人たちが中国に入り、客家(はっか)という商人になった。
秦氏とう中国人の名前で来ている。それが朝鮮経由でやって来るので、百済・新羅人だと思われて、記録にはユダヤ人として残らない。

それで皆、朝鮮人だと思い、未だに大半の人たちが信じている。
日本の埴輪の姿はあきらかにそういう人たちだと

彼らはユダヤ教を捨てたにせよ、正式な埋葬とされるときの葬式にはこのような姿で出てくるということは十分考えられる。これではっきりとユダヤ人だと分かる。

 

まとめ

①新撰姓氏録から見ても、1/3が渡来人(ユダヤ人)だったことが分かる

②中国(支那)の歴史を見ても、ユダヤ人が重要な地位に位置し、兵馬俑からもその足跡を感じられる。

③中国に根を張ったユダヤ人たちは朝鮮を経由して、日本まで来ていることも十分推測できる

以上田中英道師の調査研究によるものです。

次回は「日本の歴史は誰に記された?」 お楽しみに❣