神武東遷(宮崎~橿原市までの神武天皇の歩み)その⑦

20 熊野那智大社

世界遺産に登録されている熊野那智大社、一行が光輝く山を見つけ、探り当てられたのは那智の大滝、那智の奥、大雲取連山から流れている流水が大瀧となっており、全山に那智48瀧と数多の瀧があり、一番高いのが那智御瀧です。
一の瀧とも言い、高さ133m・銚子口の幅13m ・瀧壺の深さは10m以上あり、流下する水量は毎秒1トン程度といわれています。

この瀧の上流には二の瀧、三の瀧があり総称して那智の大滝として、国の名勝になっています。

大滝を大己貴命(おおなむちのみこと)の現れであるご神体としてお祀りになり、その守護の元に八咫烏(ヤタガラス)の導きによって、無事に大和に入られたと伝えられています。

八咫烏は、日本神話において、神武天皇を大和の橿原まで案内したとされており、導きの神として信仰されており、また、太陽の化身ともされています。

 

21 神倉神社(かみくら)

世界遺産である神倉神社、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)が登り、軍を率いたとされる天磐盾(あめのいわたて)という巨岩がこの神倉神社です。鎌倉時代に源頼朝が寄進したと伝えられる538段の急な石段を登りつめると現れるのが社殿とご神体の「ゴトビキ岩」、熊野三山の神々が最初にご降臨されたと言われる巨大岩です。

熊野と伊勢の境で神倭伊波礼毘古命一行は海難事故に遭い、稲飯命(イナヒノミコト)三毛入野命(ミケイリノミコト)の二人の兄を失います。亡くなった二人の兄、稲飯命は室古神社(むろこ神社)に三毛入野命は阿古師神社(あこし神社)に祀られました。

兄たちを手厚く葬り、一行は更に旅を続けました。

二木島湾はかつて伊勢の国、阿古と熊野の国の室野の境界であり、室古神社、阿古師神社の名称もそこからきていると言われています。

次は丹生川上神社です。お楽しみに。