神武東遷(宮崎~橿原市までの神武天皇の歩み)その①

 山幸彦と海神の娘(トヨタマヒメ)が結ばれ、鵜戸神宮付近で生まれた(ウガヤフキアエズノミコト)の子が、日本の初代天皇といわれる神武天皇(カムヤマトイハレヒコノスメラノミコト)です。

 高原町の「皇子原」で生まれたとされる神武天皇は幼少期、(サノノミコト)と呼ばれていました。高原町には、その名を冠した「狭野(さの)神社」、幼いころ遊んだとされる「御池」などがあります。 

 神武天皇は日本国を治めるため、大和の国へと向かいます。その東遷の際、宮崎市の「皇宮屋(こぐや)」で約30年を過ごし、45歳で日向の美々津港から出立されたといわれています。「神話のふるさと宮崎」より

(一)狭野(さの)神社

第5代孝昭天皇の御代に神武天皇ご生誕の地にご創建されたのが始まりと伝えられています。
神武天皇はカムヤマトイハレヒコのご幼名狭野尊(サノノミコト)に由来しています。皇族のご幼名は生まれ育った地名を付ける慣習があった事から、当地の地名の狭野が由来すると伝えられており、当社より西に1キロ程に有る末社の皇子原神社がご生誕の地といわれます。
また、直線の参道では日本で一番長いといわれる狭野神社の参道沿いはおよそ400年前に植えられた美しい杉並木となっており、国の天然記念物にも指定されています。ご参拝前に歩くと心が清められるようです。

(二)宮崎神宮

国登録の有形文化財に指定されています。カムヤマトイハレヒコは45歳までこの宮崎神宮に過ごされたと言われています。

宮崎神宮摂社皇宮神社
皇宮屋(こぐや)と言われる皇居跡に建てられています。
カムヤマトイワレビコは天下を治めるには、日向の地は西過ぎると、東遷を決意し出発されます。

(三)都農神社(つの神社)
日向の地の第一の神社であった都農神社

宮崎の宮を出立したカムヤマトイワレビコが立ち寄り、国土平安、海上平穏、武運長久を祈ってご祭神を祀ったとされる場所。
以来、神武天皇の願いを叶えた都農神社は、
心願成就にご利益があるパワースポットとして、県内外の人から信仰を集めておられるそうです。          

 

矢研の滝

都農町にある矢研の滝はカムヤマトイワレビコがこの滝で矢を研いだと言われる由来が残されています。

(四)美々津の立磐神社

ここにはカムヤマトイワレビコが腰かけたといわれる岩が境内に残されてあります。

美々津港

ここから船出した港

風向きの変わった明け方、急遽、「起よ、おきよ」と慌ただしい出港となりました。現在も「おきよまつり」として伝わっています。

次は九州の東岸を北上し、大分県佐伯市の大入島・神の井トンド火祭りをご紹介しましょう。お楽しみに。