天地開闢~神武天皇
高天原(神々の住む場所=日高見国)
日高見国とは古代関東東北中部にあった国、日高見国の中心となった場所が高天原となります。
天地開闢・・・世界が生まれた天地開闢の時、造化三神と二柱の神々、別天津神(ことあまつかみ)が生成し、続いて神世七代が生まれました。
別天津神(ことあまつかみ)に続いて生まれた神
造化三神 天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)
高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)
神産巣日神(カムミムスヒノカミ)
宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)
天之常立神(あめのとこたちのかみ) 天地開闢の際に最後に現れた神さま。 独神とされ、現れてすぐに身を隠します。
神世七代(かみのよなよな)別天津神(ことあまつかみ)に続いて生まれた神
国之常立神(くにのとこたちのかみ)
豊雲野神(とよぐもぬのかみ)
宇比地邇神(うひじにのかみ)、須比智邇神(すひじにのかみ)
角代神(つぬぐいのかみ)、活代神(いくぐいのかみ)
意富斗乃辺神(おおとのじのかみ)、大斗乃弁神(おおとのべのかみ)
於母陀流神(おもだるのかみ)、阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
伊邪那岐神(いざなぎのかみ)
伊邪那美神(いざなみのかみ)
この二柱の神が大八州(おおやしま)――日本を造り、その後、
三貴子(みはしらのうずのみこ)をはじめ、多くの神々を生みました。
三貴子(みはしらのうずのみこ)により誕生した神
★天照大神(あまてらすおおみかみ)・・太陽の神
月読命(つくよみのみこと)・・・月の神
須佐之男命(すさのおのみこと)・・・海の神
★天照大神(あまてらすおおみかみ)
五男三女神誕生
★天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)男神
・天菩卑能命(あめのほひのみこと)男神
・天津日子根命(あまつひこねのみこと)男神
・活津彦根命(いきつひこねのみこと)男神
・熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)男神
・多紀理毘売命(たきりびめのみこと)女神
・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)女神
・湍津姫命(たぎつひめのみこと)女神
天孫降臨
経津主神(ふつぬしのかみ)と建御雷神(たけみかづち)が葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定。 高天原を治める天照大神は葦原中国を治めるために邇邇芸命(ににぎのみこと)を高天原から天孫降臨させました。
葦原中国
★天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)男神
邇邇芸命 ⇒ 彦火火出見尊 (ひこほほでみのみこと)⇒鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)⇒日本建国 神武天皇(じんむてんのう)⇒今上天皇(第126代徳仁天皇) 日本建国から2188年経ちました。
神話の時間の複雑さと単純な同一性
最近は紀元前千年ごろから弥生時代と言われています。現実の歴史の年代と記紀の期日とはどういう風に重なり合うかを考えると、神武天皇の東遷、あるいは邇邇芸命が天孫降臨されて三代目であられることも、現実であったであろうと思います。
そこで、饒速日命と邇邇芸命が兄弟かあるいは同一人物ではないかと。
この辺が神話と歴史の時間が必ずしも一致しないというか、神話には時間というものがないのです。神話ではシンクロニズム(同時発生)という、同じ神が何千年経てまた出現する。例えば高天原いう非常に不思議な空間の中の存在というのは時間を超えている。タカミムスヒの神という存在は、最初の造化の三神として出てくる神様ですが、天照と同時期にまた出現する。例えば岩戸にお隠れになった天照ですが、その時にタカミムスヒの神様が現れて、相談され指導もする。神武天皇のときも天照とタカミムスヒも記されたりしている。
このように神々のシンクロニズムというのは常にあり、神々は代々同一名で同一性を保っているのだという風に考えられます。同じ名前の神が後になってからも出現するのは、神は人なりと考えると、同じ氏族が代々続けて存在したということを表わしています。皇統とはそのような意味合いもあり、元来皇命(すめらのみこと)として名前のない存在でもあります。神話はそのようなことを自在にやっているわけです。しかしそれは歴史と関係がないかというとそうではないのです、と。
歴史家田中教授は、神々の存在を、日本は天国や地獄という西洋的概念はあまり持たない国で、現実そのものが自然の美しい福音の土地だと言われておられます。
我々は西暦で時間を言う習慣が出来てしまいましたが、記憶の中では昔のことが同時的に行われているという神話の時間というのは、きわめて複雑ですが、ある意味単純な同一性を、古事記や日本書紀の中でも時々行われております。
我々は世紀の初めに書かれた記紀というものを頼りに、そして現実の空間を考えながら、判断していくしかありません、と。
畝傍山を背に、橿原神宮にやって来ると神武天皇の存在感が感じられ、心が洗われる気が致します。田中教授は感慨深く語っておられました。