2、定住安定部の仕事

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 2、定住安定部の仕事

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西山も綾小路のコップ酒を旨そうに飲みながら「ところで・・・」と、小太郎を見た。
「綾部市ってどこにあるか知ってるかね?」
「さあ?」
「なんだ綾部を知らんのか?」
「聞いたことはあるけど場所までは」
「情けない奴だな。綾部市はな、京都の奥座敷といわれる京都の北に位置する風光明美な山間の小盆地で、由良川の流れの清冽でいいところだぞ」
「由良川?」
「知ってるのか?」
「由良川なら知ってる。鮎釣りをする遠縁の人が夏になると美味い鮎を送ってくれる。それが確か由良川でした」
「その親戚は、どこだね?」
「行ったことないけど、福知山って聞いたかな。死んだ父方がそっちの方みたいでした」
「姓は大橋だね?」
「いえ、父と死別してから母は実家を継ぐべく旧姓の大橋に戻したんです」
「福知山なら綾部の西隣で、海のある舞鶴市とは北隣り、綾部市は大本教やグンゼ発祥の地だよ。聞いたことあるだろ?」
「ありませんよ。でも、グンゼならパンストかな?」
「情けない大学卒だな。グンゼは衣類の他に、大型ショッピングセンター、スポーツクラブ、温泉施設、ペットボトルなど今や世界に羽ばたく年商千三百億円を超すグロ-バル産業だよ」
「その発祥の地ですか?」
「その創立者の波多野鶴吉って人がうちの数軒先の家でな。祖父とは幼馴染、今でも家同士の付き合いがある」
「へえー、綾部市の人口は?」
「今は約三万五千人、一九七〇年頃は約五万人だったから四十年で十五パーセント減だな」
「変ですね? そんな大企業なら従業員だけだって一万人はいるはずだが?」
「それが、発展しすぎて工場が大阪に移ってな。本社だけ綾部に戻ってきたが、まだ人口増までは無理だ」
「十五パーセント減は地方の平均値ですね。でも、おれの住む足立区は今七十万、四十年で十五パーセント増ですよ」
「農村の若者が農耕生活を嫌って華やかな都会に憧れ、田畑や親を捨ててゆく、悲しい現実だ」
「仕方ないないです。職業の選択は自由ですから」
「それで、君の目指す職業は何だね?」
「農村以外なら何でもいいんです。どうせ腰掛けですから」
ここで西山が話を止めて、刺身の盛り合わせ、サザエの塩焼き、焼き魚を注文、酒の追加も忘れない。綾部市定住安定部の宣伝も聞いてもらって、至極ご機嫌で気分がいい。西山がまた話しを續けた。
「綾部の川崎市長はな。どんなミニ会議にでも小まめに出席する。自分が所要で不都合な時は必ず部下を出席させて義務を果たすんだ」
いつも市長の代弁をし慣れているのか、西山は大いに語り始めて止まらない。
「このような行動力のある市長だから、北海道から沖縄まで知人の輪が広がり、代理出張の部下まで恩恵にあずかってるんだ。綾部市は、市内をJRの山陰本線と舞鶴線が通り、舞鶴若狭自動車道と京都縦貫自動車道が交わる便のいい街だ。平安時代には荘園も多く豪族が栄え、足利尊氏の出生の地でもあり、足利将軍によって丹波国の平安を願って安国寺が建立され、その山門は国宝にもなっている。南北朝や室町時代には新田氏一族が綾部城を築いた。さらに、 江戸時代には海賊上がりの水軍で知られる九鬼氏が陸に干されてニ万石で綾部藩、一万石で谷氏が山家藩、旗本の藤掛氏が六千石で上林領に入ってきた」
「乱立ですね?」
「そうだ。群雄割拠というより、収税のための区分けだから、どの村も代官の厳しい取り立てに苦しめられていたんだ」
西山の語りに調子が出たところに、西山の背広裏から携帯電話の野暮な呼び出し音が響いた。
調子づいたところでの中断だから面白くない。
舌打ちして取り出した携帯から西山の叔父の叱声が漏れ聞こえる。
「今、どこにいる? 予定時間を二時間三十五分も過ぎとるぞ。めしも風呂も冷めちゃうじゃないか!」
「北千住の飲み屋で、学卒に就活のレクチャーしたところでした。これから行きます」
少々呂律の回らなくなった喋りで現状を説明を、コップ酒を呷った。
「気が向いたら綾部に来なさい。工業団地もあり京セラ、日東精工など二十社、グンゼ本社、大本教本部、温泉センターなど。もちろん、面接試験だけでどこでも通せるようにするからな。住むところも確保するぞ」
これは、小太郎の試験に弱いのを見抜いての発言だから喜んではいけない。なのに小太郎は無言で頭を下げた。
西山は、さらに小太郎のために焼酎と茶漬けを注文してくれて支払いをし、店員に「領収書はいらんよ」と告げた。
「今回は自費で払うが、あんたが綾部に住めば過疎化が一人防げる。そうしたら堂々と官費で飲めるぞ」
小太郎にはどうでもいいことだが素直に礼を言って頭を下げ、よろめき足で縄ノレンを分けて出てゆく西山に向って叫んだ。
「西山さん! キャリーバッグ忘れてるよ」