2、綾部の名産品

Pocket

2、綾部の名産品

大橋小太郎は、母と過ごした新年二日間の余韻を胸に熱く秘めて二日の遅い午後、東京駅からの新幹線で綾部に戻った。
京都駅でJR山陰線の特急に乗り換えて、まばらに雪が残る夕暮れの山路を窓から眺めていると、新年に向かって徐々に気持ちが高ぶってくる。綾部の正月にはどのようなドラマが秘められていのか? 小太郎の胸は期待で疼いている。多分、商工会議所に来る招待状を中上専務理事と手分けしてあちこち出没することになるが、あまり乗り気にはなれない。まだ、暮れの失敗が小太郎の頭から抜けていないのだ。
あの日、商工会議所の会議室での打ち上げで、中上専務理事が何気なく言った一言に反応した自分が悪かった。
役所と同じ暮れの27日、商工会議所も仕事仕舞いだった。忘年会はすでに終えていたので中上専務理事以下職員など数名の「ご苦労さん」会で散会し、専務理事と加納、神山両部長と小太郎の四人が残って、ビールとつまみ、出前の寿司だけの簡単な内輪の打ち上げの場での専務理事の発言だった。
寿司をつまみながら、ふと中上専務理事が言った。
「大橋君、寿司もいいが餅はどうだ?」
「大好きです」
「そうだろ。柔らかい搗き立ての餅を納豆にまぶしてな。これは旨いぞ」
「いえ。納豆より、パリパリの浅草海苔をたっぷり巻いて、ちょっとだけ醤油をつけて」
「安倍川か? それもいいな。綾部の餅を東京の母上にお土産に持って帰ったら喜ぶだろうな」
加納美紀が煽った。
「綾部の餅はめっちゃ美味しいから、大橋さんなら一升餅ぐらいペロっと食べちゃうでしょうね?」
「そうだな。大橋君は写真と記事さえ書いてくれれば食べ放題だぞ」
「それに、餅つき大会の後に、歳末のど自慢大会もあるのよ。ま、綾部の紅白歌合戦ってところですかね」
「大橋さんは歌も上手そうだから、景品もお土産になるわよ」
「行きます。今から行ってきます」
「今日じゃない、明日だよ」
「明日でも行きます。帰るのを一日伸ばせばいいだけだから。場所は?」
加納美紀が真顔で言った。
「あやべ温泉で、恒例の餅つきですよ。少し遠いけど、行く価値はあると思いますよ」
「そうだ。あそこには土産になる名産品もあるしな」
「名産品なら、この商工会議室の展示場になにもかも揃っているじゃないですか?」
「そうですね? 生産品を預かって、ここで本格的に販売を始めたら間違いなく売れますね?」
神山紗栄子が何気なく口にしたこの一言に中上専務がすぐ反応した。
「それだよ。いま、川﨑市長やグンゼと話し合ってるのは」
そこで、中上専務理事が構想を語った。
「綾部市の発展のためには、綾部の特産品を一堂に集めて宣伝と販売を同時に行う”あやべ特産館”風のアンテナショップが必要なんだ。今までは、それを個々の企業がそれぞれの立場で特産品を集めて販売をしていた。それを、商工会議所で運営しようというものだ。うちで扱えば綾部市内の名産・特産品は洩れなく店頭に並ぶことになる。今までも舞鶴市のように”海の京都”をキーワードにして地元の特産品の販売に力を入れている市もあるが、綾部も高速道路の整備などで各地にある道の駅以上に、綾部をアピール出来る総合的な売り場と企業PRが両立する施設、これを市長を中心に考えて準備中だ。これこそがわが商工会議所の仕事だからな」
「なるほど、”あやべ特産館”なんて平凡だけど覚えやすいからいいかも知れませんね。で、場所は?」
「スペースに余裕があって知名度も高く駅から徒歩で十分、立地条件もよく人が集まりやすいのは綾部ではグンゼ以外には有り得ない。グンゼ博物苑や綾部バラ園との相乗効果も見込まれるからグンゼ側も乗り気でな、川﨑市長が掛け合ったら即OKだったそうだ」
小太郎が首を傾げた。
「でも、勝田さんも西山部長も、私を案内しながら何の説明もしませんでしたよ」
「勝田? あのも菓子屋のオヤジはまだ何も知らん。隆夫は口が堅いから企画中のことは言わんよ」
「いつごろオープン予定ですか?」
「建物は既にあるから、あとは中身だ。綾部特産のお茶や農産物や繊維、和紙、菓子などを揃えるには季節もあるし時間もかかる。市とこの商工会議所が一体となって直売所をやる以上は全市民の協力も必要だからな。多分、オープンは、グンゼと話し合って五月下旬のバラまつり開催日に合わせるんじゃないかな。なにしろ、一万人の人出が見込まれるんだからな」
「私にも手伝えと?」
「ど素人の大橋君には何も出来ん、せいぜい外部に綾部の良さをPRしてくれ」
「責任者は専務理事が?」
「大槻清武という銀行出身の知人がいてな。これに館長をお願いするつもりだ。なにしろ金策のプロだからな」
「スタッフは?」
「スタッフは募集するが、主導者には綾部茶生産者の藤田忠氏、野菜農家の中田佳隆氏の両氏に協力を要請中だ」
「かなり構想は具体化してますね?」
「藤田氏は全農で指導的立場だったし、この日のために名産の”三太郎大根”を作ってるんだ。茶農家の中田氏も綾部茶のブランド化に奮戦中の傑物だ。これに市内全域の生産者や商店が集まれば成功間違いなしだ」
「目玉が三太郎大根とお茶? 地味過ぎませんか?」
「庶民的だから、これは受けるぞ。種のタキイの協力でできた大根とコーヒー抜きカフェで花火を打ち上げておいて、トマトジュースなど新たな加工品や民芸品、イベントも定期的に開催して集客力を高め、さらに野菜まつり、新米まつり、収穫祭、鶏卵販売、フリーマーケット、レンタサイクルサービス、栽培講習会など何でもありの”あやべ物産館”を考えとるんだ」
「なんだか支離滅裂、でたらめな発想ですね?」
「しかも、一年のけじめまイベントまで考えてるんだぞ!」
「どんな?」
「市を挙げての大餅つき大会だ」
「そんなのどこでもやってますよ」
「誰にでも搗かせて誰にでも食べさせる。しかも綾部名産のトチ餅搗きだぞ。まだある」
「何ですか?」
「水源の里から、トチ餅搗きでは日本一の古屋のオバアちゃんを招いて、指導を仰ぐのだ」
「なんですそれ?」
「知らんのか?」
「知りませんよ。そんなオババ」
「まあいい。明日、あやべ温泉でも、古屋のおばあちゃんが指導してたらみっちり教わって来い」
神山部長がふと壁に張った新年の予定表を見ながら口を挟んだ。
「一月にもあちこちで餅つき大会があります。覚えておいて損はないと思いますよ」
「餅搗きは遠慮して、食べ方を教わってきます」
「餅は喉につまらなきゃ、?もうが噛もうが自由にしろ。ところで・・・」
「まだ何か?」
「正月はあちこちのカルタ会から招かれ、手分けして出席する。百人一首ぐらい出来るだろうな」
「新年会っていえば綾部ではカルタ会、美紀さんはあちこちで優勝してるのよ」
神山紗栄子に加納美紀が反応した。
「会費は会議所負担で景品は個人の持ち帰り、紗栄子さんは高額商品の時だけ頑張るわね」
「そうだ。大橋君も商工会議所の名誉のためにも頑張れよ」
中上専務理事のこの一言に、加納、神山両部長が大きく頷いた。
この一言が頭に重くのしかかっていて、綾部に向かう車内でも百人一首の実用書だけは手放せない。