5、神前結婚

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5、神前結婚

小太郎は生憎と礼服の持ち合わせはない。
黒に近い濃紺の背広で間に合わすとして白ネクタイは何とかしないと。どこで売っているか?
早起きして西山隆夫宅まで借りに行く手を考え、とりあえず電話をしてみた。
「わしも出席するよ」
西山部長にも下山から誘いがあったそうだ。
「ネクタイは余分にあるから上げるよ。その代わり迎えに来てくれ。朝食は用意しとくからな」
理由は、二次会があると飲むから運転はしたくない、と言う。これで今日もまたアルコール抜きになる。
しかも、綾部八幡宮には歩ける距離なのに雪の残る府道を駆って西山宅に向かい、生卵に納豆、焼きアジでの朝食を馳走になった。
車内での話題は、あの殺し屋がなぜ綾部八幡宮で挙式するのか? だった。
結論は、金井喜美代が決めたのには違いないのだが話題としては時間が潰せる。
「綾部に来て、すぐ気づいたのは神社仏閣や文化財が異様に多いことでしたからね」
小太郎も少しは成長したのか、年長者を敬って敬語で話すが、西山隆夫はそんなのは意に介さない。
「なにしろ綾部には、百三十五もの神社・仏閣があるんだからな」
「百三十五? そんに多いんですか?」
「八幡と名がつく神社だけでも十二はあるかな」
「そんなに?」
「高津町なんて八幡宮、高津八幡宮、荒倉神社、火産霊神社、本福寺と神社とお寺で五つもあるんだぞ」
「一つの町に八幡宮が二つですか?」
「物部町も神社三にお寺二で五つ、里町なんて人口わずか三百六十人弱の町で神社仏閣四つだからな」
「八十人に神社一つ?」
「国宝・光明寺の仁王門のある睦寄町も、住民はわずかなのに四つの神社とお寺があるんだ」
「まるで綾部は寺院仏閣だらけですね?」
「一つの町に三つの寺社は綾部では珍しくないからな」
「そんな中で、なんで彼らは綾部八幡宮を選んだんですかね?」
「多分、格式が高い割に料金が安く、家内安全、開運除災、武運長久の御利益と歴史かな?」
「どんな歴史です?」
「平重盛が、京の石清水八幡宮の別宮としてこの地に建てたんだ。それ以来、綾部領主の九鬼隆季(たかすえ)はじめ歴代の領主が崇敬した神社で”綾部郷総社”として綾部郷九社を拝殿に奉祀している中心神社なんだ」
「でも、それなら十倉名畑町の河牟奈備(かむなび)神社にも歴史的価値がありますね?」
「なんでだ?」
「中上林での金毘羅祭りで聞いた話だけど、あの神社は丹波の国の祖神ともいわれ、和同年間に築かれた綾部一の古い神社だそうですね?」
「そうかも知れんな」
「あそこなら、壮厳で古式豊かな神社の風格も格段だし久保宮司の人柄も出て、いい結婚式が出来ますよ」
「いい話だが、今日の結婚式はキャンセル出来んから、大橋君の時にはそこにしよう」
「その前に相手を見つけなければ」
「よしっ。市役所の広報から探そう」
「ダメです。あそこは美人もいるけど、皆さん気が強そうだから」
「それもそうだな。商工会議所はどうだ?」
「同じようなもんですよ」
「綾部の女は実があってしっかり者が多いから、
小太郎も、それほど河牟奈備神社にこだわる結婚して損はないぞ」
「何となく、それは感じてますよ」
車は宮代町には十時二十分半に入った。綾部八幡宮は綾部駅南口から五分、愛車を車庫に入れて急いで戻れば約束の時間に充分間に合う。
まだ正月の三日目、八幡宮周辺は初詣の行き帰り客でごった返して芋洗い状態、車など近づけない。
「近くに着きました。先に行っててください」
「どうする?」
「いつもの駐車場に置いてきます。車じゃ飲めませんからね」
「なんだ、飲むのか? いいよ。帰りはタクシー使うから。それと、今日は会費制だから御祝儀はいらんぞ」
「聞いてませんでした。いくらですか?」
「一万円だが、わしがオゴる」
「ダメです。会費をオゴられると飲めませんから」
小太郎は、綾部八幡宮についてはガイドブック程度の知識しかなかった。
綾部八幡宮は、西山部長の言葉通り治承年間(1177~)の平清盛の嫡男・平重盛が丹波の國守だった頃の創建とある。
小高い丘にある八幡宮には長い階段があり、本殿横にある夫婦岩といわれる聖(しじり)岩の向かって左が男岩、右が女岩で、中に見える小岩二つが男の子、女の子の兄弟岩らしい。その男岩と女岩にしめ縄を張ると母の字に見えるとか。なるほど小太郎が見ても、そう見えたから不思議だ。しかも、男は女岩を拝むと「幸運間違いなし」と聞いて、あわてて右側の岩を拝んだ。
社殿奥には平重盛直筆の「八幡別宮社大菩薩」の額があり、由緒ある神社であるのは一目瞭然だった。
初詣客の長い列と、拝礼を終えて破魔矢や護符、あるいは御神籤(おみくじ)に一喜一憂する人で拝殿前の喧騒は東京のラッシュアワー並みだったが、本殿奥の式場は静かなたたずまいで新年の行事多忙にも拘わらず奈島政道宮司自らが式を執り行って頂けるという。
その伝統と格式に包まれた八幡宮の神殿に、元殺し屋と長身の綾部美人の二人が和服姿で古式に則った婚礼が厳粛に執り行われた。
一瞬、目を疑ったが仲人は京都府警の長谷川宗男刑事夫妻、しかも綾部署所長代行だという。
もっとも、小太郎と一緒に出席の西山隆夫も市長代理を頼まれて川崎源也個人名の金一封を預かっての出席だから似たようなものだ。さすがに市長も署長も元殺し屋の結婚式には参加し難いらしい。さの来客の顔ぶれに意外な男が二人いた。しかも小太郎以外は全員和服なのだ。
蔵林ミツエ、唐沢栄子、安東芳江の三人が素敵な和装で別人のような優雅で温順な物腰で新年の挨拶をした。小太郎も西山隆夫もこの三人とは旧知の仲でが、それに、4百年家の渡辺店主がいて、小太郎の顔を見て「明けましておめでとう。しばらくですね」、などと言い馴れ馴れしい。どうやら新婚?の二人は、そば4百年家での食事が縁で親しくなったことから、しばしば二人だけで通っていたらしい。もう一人の参加者は小太郎の見知らぬ男で、共栄レンタカー社長の上山仙太と名刺にある。聞くと、免許の偽造を見抜けないままレンタカーを貸し続けた縁で警察で取調べを受け、それが腐れ縁で下山こと山下と親しくなって飲み仲間になっていたとか。それがまた偶然にも西山隆夫と遠縁だというから当人同士も驚いていた。
式は、雅楽の調べの中で厳かに進み、日本古来の伝統的平安文化の再現のような優雅で厳粛な「三献の儀」での三三九度の盃や誓詞奏上(せいしそうじょう)、玉串奉奠(たまぐしほうてん)があり、さらに巫女が神様に舞いを捧げる豊栄の舞いがあって厳かな儀式が滞りなく行われ、誰もが感動して満足した。貸衣装のサイズが大きすぎて和服がイマイチの元殺し屋は別として、茶道、華道の免許を持つ花嫁はさすがに和装がしっとりと似合ってその優雅な花嫁姿は、この細やかな結婚式をより印象深く感動的なものにしていて誰もが満ち足りた気持ちになっていた。
本来は別室での披露宴だが神社側も超多忙ということで、別室でお茶が出て貫録充分で実直な奈島宮司の挨拶がある。
「今日、ご列席の皆様は、ご婚儀のお二人さん同様、これで家内安全、開運除災、武運長久のご神徳が身につきました」
小太郎はじめ全員が有り難く深々と宮司に腰を折って礼をし、これでお開きになった。
長谷川刑事がすぐ全員を足止めした。
「実は、この数分先の店で新年会を予約してあります。会費は飲み放題で五千円、西山、お前も行きつけの店だぞ」
「どこだ?」
「ここから駅に向かう途中、本町の”花美”だが、どうだ? 舞鶴で漁れた旬の魚料理が旨いぞ」
「なんだ、ここから数分だな、あの店なら酒も地酒で旨いし料理も大いに結構だ。だが、夜だけの営業じゃないのか?」
「新川署長が口をきいて特別に開けさせたんだ。なにしろ、悪党が善人に生まれ変わる会だからな」
新郎が聞きとがめて口を尖らせる。
「もうとっくに善人ですよ」
「失言でした。では、表は大混雑ですから、お手洗いタイムが済んだら、皆さん一緒に参りましょう」
新春早々とはいえ、小太郎を除く全員が華やかな和装だから、道行く人が振り返り知人がいて挨拶したりする。夫々が名士なのだ。