7、この日の収穫

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7、この日の収穫

クイーン園田が瞑目してからは、その他一同下位メンバーでの仁義なき乱戦で、周囲からみたら品のない争いとなった。
なにしろ、誰かが当り札を見つけて手をだすと、その動きより早く手を伸ばすから空中で手と手が衝突して{痛い!」と睨み合う。その隙に他の人の手が二本三本と重なり、三番手四番手が漁夫の利で札を得る場合もある。だから誰も諦めない。諦めないから争いは激しくなる。
百人一首が不得手な西山も綾部札は別らしく善戦し、和菓子屋の勝川、種馬主婦の唐沢栄子、温厚な安東芳江も闘志を漲らせて札を取り始め、殺し屋の山下寅二郎も着々と札を集めていて、低レバルの貧乏人の争いは甲乙付け難い戦国時代の様相を呈していた。そのうち、ペナルティで文無しになった金井喜美代と芳埼沙也加も息を吹き返し、まだ一枚もないのは小太郎とクイーン園田だけになり、完全に蚊帳の外で仲間外れにされている。
「水無月の夜店に青き水中花・・・」
ここは焦らず小太郎は「夜店なら、アセチレン」と呟いて素早く札を押さえ、初めて手を上げた。場札が減って見やすくなったのだ。
「アセチレンガスの灯あかりに浮く・・・」
もう、こなると歌など知らなくても面白いほど札は取れる。
小太郎が何枚か続けて札をとったところで名人・園田女史が目を開いた。
「五十枚目です。ここから私も参加させて頂きます」
そこで小太郎を見て、「あなた、一首も詠めないんでしょ? 邪道ですよ!」と言う。鋭く見抜いていたのだ。
「詠めなくても取れます」
「そうですか? わたしのハンデは三秒でしたね?」
役員から声が飛んだ。
「私語はつつしんでください!」
ここから、一進一退の攻防が続いた。園田女史も勝負となると弟子にも素人相手でも対応が厳しくなる。
クイーン園田はハンデの三秒のうち二秒をムダ使いして全く違う札を睨む、思わず何人かがそれに釣られて視線をずらして自滅する。
これまでは五秒でも七秒でも取れたのが、素人軍団は三秒以内で取らないと、手の動きが早いクイーン園田に浚われて、なにやら一方的な展開になってきた。ところが、場札が少なくなるにしたがって小太郎の単純暗記法がようやく役立ってきた。どうやら三秒以内で手を出せるようになってきたのだ。これは他の者も条件は同じだから、名人対素人軍団が三秒のハンデを巡って一進一退の攻防が続いた。
それにクサビを打ち込んだのが小太郎だった。残り札が少なくなったことで暗記法が生きてきたのだ。
「川釣りの 籠に蛍をとまらせて・・・」
小太郎は「川釣り夫」と覚えていて、すぐ「おっと」を探し当て一瞬早く先に手が出た。クイーン園田の柔らかく温かい手が小太郎の手の上に重なり、その感触は悪くない。だが、すぐに離されたために余韻はあまりない。だが、これで小太郎は目と手の瞬間同時作業の要領を何となく会得したような気になった。
「夫もどりくる宵闇の道・・・温井(ぬくい)光枝さんの作品です」
こうなると小太郎は、ひたすら札をとることに意識を集中させている。
「小雲川 水底清くすけにつつ・・・・」
「子蜘蛛に、霧!」
これだけを暗記して大会に挑んでいる小太郎だから、今度は一瞬早く、クイーン園田の手が下、小太郎はその上に手を重ねたが、何だか気恥かしくてすぐ手を離して一人で
赤面したが、誰にも気づかれていないはずだ。
「霧の丹波の秋は更けたり・・・大本の創始者・出口王仁三郎さんの作品です」
小太郎は、句までは覚えていないが、詠まれた綾部の情景は素直に頭に浮かべていて、霧の丹波・・・これだけで旅情は満たされる。
次が詠まれた。
「ふるさとの 籬(まがき)によりて我まてり・・・」
これはもう”古父母”と覚えていて、詠み手が「ふる」と言った時点で「父母」を探すから三秒のハンデ差なしでも楽勝、五枚目を得て得意満面、すでに最下位は脱したような気がする。
「父母はおわさず 山鳩の啼く・・・林田悠紀夫さんの作品です」
少しだけ余裕が出来た小太郎が周囲を見ると、クイーン園田以外の全員が真剣な表情で札場を睨んでいて小太郎のことなど誰も気にしていない。
「昼ながき 郡是のサイレン諭しとも・・・」
小太郎は「昼、聞き」と呟き、「ききて」の札を目で追い、手を出そうとしたら、目の前を西山部長の手が走って札が消えた。小太郎の手は札の消えた敷物を空しく叩き、その上に殺し屋の手が重なって気分が悪い。踏んだり蹴ったりで、西山部長の手が意外に早かったから油断はできない。
「聞きて三十年耳を離れず・・・久馬正作さんの作品です」
そこからまた一進一退が続き、残り札が五枚になった。詠み手はカラ詠みを多用して初心者の頭の中をグチャグチャに混乱させている。
カラ詠みに釣られて手を出すのが素人の悲しさ、その都度払う初心者の手持ちの札でペナルティ札の山が出来る。
これ以上失敗すると在庫がゼロになるからと、ペナルティを恐れて慎重を期すと、三秒後にクイーン園田が悠々と場札ごと浚ってゆく。こんな悪循環で、何枚も札を取って
いないのに、いつの間にかクイーン園田の手元にも徐々に札が集まっていた。ただ、場札が少なくなると、三秒のハンデが大きく影響して名手といえどもなかなか札は取れないから、トップとはまだ差がある。
そのうち残りが十枚を切った。
カラ詠みが続き、またペナルティが続出している。
小太郎は気合を入れ直した。ここは、何としてもお手つきなしであと数枚は確保したいと真剣度が増してくる。
そこからまた一波乱があり、お手付きが続出した後でクイーン園田がそれを浚って持ち札を一気に増やしている。
やがて場札が二枚になった。
「上林川の鮎あゆはうましと生きのよき・・・」
最初の「か」が詠まれた時点では一瞬間があって、クイーン園田を覗く全員の手が一枚の札に殺到した。
一番下にあるはずの小太郎の手が金井喜美代に弾かれ、そこに殺し屋・山下の手が滑り込む。見事であくどい連携プレイだった。
しばし間があって下の句が詠まれた。
「この手ざわりに塩ふりて焼く」
これで残りは一枚になった。
カラ詠みで数枚のペナルティ札が提供され、それが撒き餌になり、次のお手付きを呼ぶ。
「谷川の澄みし水音ひびかいて・・・」
今度は、お手付きを恐れて慎重になり、「谷・和紙」と呟いた小太郎が手を出した。その一瞬早く、凄いスピードで白い腕と華やかな和服の袖が小太郎の目の前を走り、ラ
スト一枚の札はクイーン園田の早業で消え、小太郎の手は空しく畳を叩き、その手が西山が思いっきり叩かれて激戦が終わった。
「和紙漉(す)すく、里は霧の中なる」
結局、このグループではペナルティ札五枚付きラスト一枚を抑えたクイーン園田が二十三枚獲得して逆転で一位、ペナルティを一枚も出さなかった西山隆夫と、一度ゼロに
なってから挽回した芳埼沙也加が三枚違いの二十枚で並んで二位、あとはドングリの背比べで金井喜美代、唐沢栄子、安東芳江と続き、小太郎は、山下寅二郎、勝川浩一よりは上位だが十人中七位。二回戦に巻き返しを図ることになった。
ところが、クイーン園田が抜けて朗詠に回った二回戦は、その声に聞き惚れている間にカルタ慣れした他のメンバーに次々に札を取られて大苦戦、辛うじて二戦合算で五位に浮上したものの、芳埼沙也加、西山隆夫、金井喜美代、安東芳江には追いつけなかった。それでも、自分なりには「よくやった」と褒めたい気持ちで満足していた。
戦い終わって大会の結果発表があり、各グループの優勝者が表彰されたが、小太郎のグループでは、クイーンのいない二回戦を確実に勝ち上がった西山隆夫のぶっちぎりの
圧勝で終り、小太郎は奮闘の甲斐なく、下には殺し屋の山下寅二郎しかいないという下から二番目のブービー賞、それでも充分に綾部の文化を堪能した。
ここまでは、小太郎にとっては珍しく収穫の多い一日に感じられていた。
大会は終わった
家庭持ちの主婦らと別れての帰路、車だから酒が飲めないという西山に誘われて二人で喫茶店に寄って一休みすることになった。
「コーヒーより食事がいいな。西山さんはお腹空いてないですか?」
「空いてるけど日曜ぐらいは家で夕食を付き合わんとな。大橋君だけ何か食べていいぞ。今日は奢るからな」
「今日も、明日もでしょ?」
「うるさい、今日だけ、に訂正だ」
「喫茶店で、食事も出来るの?」
「出来るよ。薬膳料理だがな」
「まさか、おれの住んでるマンションに近い悠々って店じゃないでしょうね?」
「その”薬膳喫茶・悠々”だ。なにか不都合でもあるのか?」
「赤尾漢方薬局の奥にある店なら知ってるけど、薬くさい食事なんてまっぴらご免です」
「料理は薬なんか入っとらん。なにしろ築百二十年の古民家だから落ち着くぞ」
「綾部じゃ古いのには驚きませんよ。築四百年のそば屋だってあったじゃないですか?」
「古いだけじゃない。食事も美味しいぞ」
「そうですか? また騙されたと思って・・・」
「またって何だ? おれがいつ騙した?」
「論争はいいです。喫茶店だと思って行きますから」
こうして小太郎は気乗りしないままに、綾部市本町二の三、自分の住んでる場所の一画にある薬膳喫茶・悠々に行く羽目になった。
ここは、京町屋風建物で表は漢方薬局で奥に薬剤喫茶があり、風情のある中庭を眺めながらいろいろな種類の薬膳茶や薬膳料理が楽しめるらしい。
百人一首大会の帰路の客で店内はいっぱいの満席、店内を覗いた西山が「無理だな」と呟いて帰りかけた時、店内から女性の声が飛んだ。
「西山部長、こっちへ!」
「大橋さん、ここここ」
それぞれに声がかかってよく見ると見慣れた顔ばかりで貸し切り状態だった。
市役所広報部、FMいかる、商工会議所職員の男女混合グループが併せテーブルを囲んで麦製酒精飲料などでテンションを上げている。どう見ても反省会には思えない。