7、年の瀬に

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7、年の瀬に

暮れの二十八日、商工会議所の打ち上げを終えてアパートに戻った夜十九時過ぎ、朝から降っていた粉雪は止んだが寒い夜だった。
これから新年の仕事始めまでは、北千住に帰省する。綾部にいても、それぞれが家庭に戻って遊び友達もいないからだ。
母や友人身内への土産に”水源の里・老富の栃の実入りクッキー”や市内物部町にある福祉施設”あやべ作業所のゆずぽんず””丹波黒本

舗・中村屋のちょこっと丹波黒”、それに少し思いが地元の銘酒”燗ばやし”の一升瓶も用意して、帰り支度は万全だった。
帰京して母や友人達と過ごす楽しみを心に描きながら、綾部で世話になった何人かに暮れの挨拶をメールしていた。ミラクル美容室の蔵林

ミツエママからは、「体調も回復していい正月を迎えられそうです」との返信があり、加納美紀や神山紗栄子らからも「よいお年を・・・」

と返信があった。ただ、西山隆夫からはメールして三時間ほど過ぎても返事がない。いつもなら五分以内に返事が来るのに、忙しいのかも?

もう少したったら電話を、と思っているところに携帯が鳴った。
西山部長からだと思った小太郎は、「大橋です」に応じた声を聴いて思わず耳を疑った。
「大橋小太郎さん、ご本人ですな? 先日お会いした綾部警察署の藤堂巡査部長です」
「警察が? なんの用です?」
「役場の西山隆夫さんが、打ち上げ飲み会の後、凶悪な犯行に遇い傷を負って緊急入院したんですよ」
「入院? 重傷ですか?」
「左腕を斬られただけですが、出血多量で・・・」
「出血多量!」
「でも、輸血しましたから心配ありません。明日にも退院です。今は病院ですが同僚が聞き取り中です」
「どこでやられたんですか?」
「市役所に近い和食の”花月”で役所幹部の打ち上げ会が終わった後、駅前のタクシー乗り場に向かう暗闇で狙われました」
「運び込まれた病院は?」
「青野町の綾部市立病院、市民病院じゃありませんぞ」
「分かりました。すぐ行きます!」
「いや、大橋さんには署に出頭願います」
「出頭って、何で?」
「証人です」
「なんの?」
「犯人の面通しですよ」
「犯人が捕まったんですか?」
「西山さんの悲鳴を聞いて、真っ先に駆け付けた市長が格闘の末、犯人を逮捕して警察に突き出したのです」
「また市長ですか?」
「犯人も、大本のもみじ祭りで大橋さんの写真に写っていたあの男です」
「じゃ、おれが行かなくてもいいじゃないですか?」
「だめです!」
「なぜ?」
「いま、長谷川刑事が痛めつけ・・・いや、尋問中ですが、犯人が大橋さんのことを口走ったのです」
「なんて言ったんです?」
「この男は西山さん担当で、大橋さん担当の殺し屋が綾部に入っているが名前も顔も知らないと言っています」
「そうなると殺し屋は二人連れじゃなく、それぞれ単独ってことですか?」
「そうです。それと、この男もまだ自分の名前も吐いてません。こいつらはプロですからしぶといですよ」
「そう言われると気になりますね」
「とにかく至急来て、大本のもみじ祭りで撮った写真は、この男に間違いないと証言してください」
そんな事情で小太郎は、西山の身を案じながらも病院を後回しに綾部署に向かった。
藤堂巡査部長の話が真実なら、いよいよ自分の身にも危険が迫っていることになる。
寒い夜で、駐車場の車のフロントガラスの粉雪を用意してある板で払い、暖房を入れて凍り付いた氷を溶かさねばならない。
年末になって降って湧いたような凶悪事件に綾部署内には緊迫した空気が流れていた。藤堂巡査部長に案内されて二階の取調室の廊下側の

片鏡の覗き窓から、長谷川刑事らが厳しく尋問中の犯人を見て、「間違いありません。あの男が大本教の門前で西山さんを襲った犯人です」

、これで小太郎の役割は終わった。あとは、刑事の追及で、少しでも小太郎を狙う刺客の概要が判明することを願うだけだ。
長谷川刑事が平手でスチール机を叩き、顔に似合わぬ凄い声で犯人を恫喝しているのが廊下にまで聞こえている。
「きさま! まだ名前も言わずシラを切るのか。ヒットマンが二人連れの男だってことは、警視庁からの情報で先刻承知なんだ。相棒はどこ

にいる。いずれ吐くんだから正直に答えろ。下手に隠し立てすると飯抜き水抜き眠り抜きだぞ!」
「本当に知らないんだ。何度でも同じことを言うが、おれは役場勤めの西山担当、北千住から綾部に逃げ込んだ大橋という若造は他の組が担

当したからおれには分からん。それ以上は全て黙秘だ」
そこで藤堂巡査長が小太郎の肩を叩いた。
「さっきから、やつは同じことを言い続けるだけだが、満更、嘘でもなさそうでしてな」
「おれを狙うのは、どんな男ですかね?」
「殺し屋に適任の条件は、感じがいい、目立たない、気にならない、こんな男に心当たりは?」
「ありません」
「最近、知り合った人は?」
「最近? そういえば・・・でも、疑わしいのはいません」
「そうですか?」
小太郎はこの時、下山一蔵のことを考えていた。
下山と知り合ったのも殺し屋が綾部に潜入したと聞いた後だし、藤堂巡査長が指摘した殺し屋像にまりにもピッタリ過ぎる。
小太郎は綾部署の玄関の内側で立ち止まった。ふと、下山と会ってみる気になったのだ。携帯を出して躊躇なく履歴から下山の番号をプッ

シュした。しばらく呼び出し音が続いて下山が出た。バックに年末らしく”第九”の曲が流れていて、「音楽消すわね」と金井喜代美らしき

女性の囁きが聞こえ、室内が静かになった。
「下山です。大橋さん?」
「そうだけど?」
「名前が登録済みですからね。なにか用ですか?」
「今から会えますか?」
「いいですよ。ちょっと待ってくれますか」
下山が、隠す様子もなく女性に語り掛けると、明らかに金井喜美代の声が応じた。
その会話がそっくり小太郎に聞こえてくる。
「大橋さんが私に会いたいそうだ。喜代美さん、車、出してくれる?」
「いいわよ。大橋さんも飲み友達が欲しいんでしょ。どこまで?」
「聞いてなかった」
下山が携帯に出た。
「どこで会いますか? 私がそこに行きます。大橋さんはいまどこです?」
「いま、綾部署だけど、こんなところに長居は無用。金井さんが一緒なら彼女に決めてもらったら?」
また下山の声が遠のき、何やら会話があって、また携帯に戻った。
「西町三町目北大坪に喜代美さんの馴染みで”美チー”っていうスナックバーがあります。知ってますか?」
「知らんです。それに今日は車だから飲めないですよ」
「飲めない? 飲みに誘ったんじゃないんですか?」
「もっと大事な話があって・・・」
「大事って、どんな?」
「さっき、西山さんが切られて、犯人が捕まったんだ」
「・・・」
しばし沈黙があって、また下山と金井喜美代の会話が耳に入った。
「ムラカミもいいけど、喫茶店なんてもう、どこも閉店よ。ちょっと待って」
金井喜美代がどこかに電話して、それを下山に告げ、下山が携帯に出た。
「本町四丁目の喫茶店”燦々(さんさん)堂”は?」
「そこなら商工会議所の近くで行きつけだから知ってるけど、たしか店は午後六時までですよ?」
「閉店後だけど、身内の忘年会をやってるから少しうるさいけど、空いてる席を使っていいそうです」
こうして三人は、閉店後の和食喫茶店”燦々堂”で落ち合い、コーヒー&ケーキ・セットで話し合うことになった。
小太郎も燦々堂には時たま訪れるが、ここは小看板がなければ、外観からは喫茶店どころか骨董屋としか思えない。内装も照明も渋く落ち

着いた雰囲気で、個室はないがテーブル席で二十人ほどが座れる。メニューも家庭的でおふくろの味そのままで目新しいものはない。壁の短冊には、「ゆず茶ときつねうどん定食」「カレイの煮付け」「切り干し大根」「茄子と豆の煮物」「オクラの和え物」など野菜や魚中心のヘルシーな定食屋で料金も安い。それだから小太郎でも安心して入れるのだ。
燦々堂身内の忘年会の騒がしい雰囲気を横目に、まず小太郎が切り出した。
「下山さんは、レンタカーは返したんですか?」
「喜代美さんが、足代わりを勤めてくれたんで必要なくなったのです」
「下山さんは、本気でこの綾部に住むつもり?」
「できれば、喜代美さんと所帯を持ちたいと思ってます」
「正式に?」
「勿論ですよ」
「下山さんの綾部での仕事は、私を消すことだったんですね?」
「気づいてましたか?」
「さっき、警察で教えられて」
金井喜代美が驚いた表情で下山を見た。それに動ぜず下山が続けた。
「でも、もうその気はないです。こうして最愛の人が出来ましたからな」
「綾部に永住ですか?」
「事情が許せばですが」
「受けた仕事はどうします?」
「職場放棄ですかな」
「それで支障は?」
「指一本で済むことですから心配無用です」
「でも、代わりの人材が送り込まれてきませんか?」
「それは、私が引き受けて密かに抹殺するか撃退するか任せてください」
「ということは、仕事より喜代美さんを選んだってことですか?」
「その通り! 初対面から一目ぼれで、今は相思相愛、これ以上の相手は一生いませんからな」
「わたしもですよ」
金井喜美代が安心したように下山を見て肩を寄せた。
この二人のぬけぬけと図々しい光景を眺めているうちに、小太郎はばかばかしくなってきた。
自分を殺そうとした凶暴な男を警察に突き出すどころか、その幸せを祝福している自分がいて、そこに何の矛盾も感じない。
勿論、下山を警察に突き出す気など全くない自分に、小太郎自身が戸惑っていた。
「何はともあれ、殺す殺さないは水に流しましょう」
二人は握手し、コーヒーの後に出た”ゆず茶”で三人で乾杯して下山の職場放棄を祝った。
(明日は西山部長の見舞いだな)
小太郎は、身の安全が保証されたことで何となく落ち着きをとり戻していた。