5、ホワイト・クリスマス

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5、ホワイト・クリスマス

雪が降る、あなたは来ない・・・
シャンソンの一節を口ずさんだところで、急に恋人が出来るわけでもない。
小太郎は、この聖夜のひと時を一人で過ごし、ハシゴ酒を浴びるように飲んでいた。
小太郎も手伝った商工会議所のクリスマスイベントには市民参加の”光のオブジェ”があり、市内八ケ所、駅前、アスパ内、あとは各商店街に設置されている。中上専務理事からは、イブの夜、その八ケ所の夜景を「撮って来い」との指示だが、展示期間は十一月中旬から一月中旬までだから、もうとうに仕事は済ませている。ただ、雪のない夜に撮っているからすぐバレるが、画像は鮮明だから許されるだろう。
そして、この夜、メインイベントの光のパレード「クリスマス。サンタパレード」でクリスマス気分を盛り上げた。トナカイや馬車に模して派手な電飾を設置した車にサンタクロースを乗せて、ジングルベルの音楽で賑やかに市内をパレードしただけなのだが、それを見るために市民の殆どが寒さを忘れて家を出て一行を歓迎し、あちこちで拍手と歓声が沸き起こり、この企画は大成功だった。
粉雪の舞うクリスマスイブの商店街には、パレードの余韻なのか、いつも以上に人が出ていて、飲食店に入るとどの店も賑わっていた。
七百石町の”カフェ・DECO”でのランチ会も楽しかったが、運転手扱いの小太郎は禁酒を強いられ飲めなかった。乾杯のビールとワインを少々口にしただけだったから、体がアルコールを求めて乾いていたらしい。いくら飲んでも酔わないのだ。足元はふらついているが、意識はしっかりしていて、今、西町商店街を歩いているぐらいまでは判断できる。だから酔っていない。
数年前の十二月には記録的な大雪はが降ったという綾部市も、この年の暮れは降ったり晴れたりで歩道には雪は積もっていないから雨靴でなくても歩くのに不自由はない。小太郎のコ-トの肩に舞う粉雪も叩けば落ちるから気にもならない。
昼間の楽しさはすでになく、飲んでも酔えない夜だった。
あれから市役所に西山部長を送り届け、商店街で唐沢栄子、金井喜美代と下山一蔵、勝川浩一と安東芳江を降ろして、少し体調がよくないというミツエママを市内西部に位置する大島町の自宅まで届けることになった。
「体調が悪いって、飲み疲れなら、少し休めば元気が出るだろ?」
運転しながら何気なく後部座席のミツエママに言った小太郎に、いつもなら反発するミツエママの返事に元気がない。
「休むなんて無理なの」
「なんで?」
「帰ってから、今夜の家族でのパーティのご馳走造りで大忙しなのよ」
「何だかいつものミツエママと違うけど、どうかした?」
少しためらってからミツエママがぼそっと口を開いた。
「大橋さん。わたしの店の名を覚えてます?」
「ミラクル美容室だよね?」
「よく覚えていてくれたわね?」
「それぐらいは」
「以前は”クラバヤシ美容室”だったけど、うちに来る皆さんが奇跡を体感するようになって改名したの」
「奇跡って?」
「栄子さんは、うちの帰りに購入した宝くじで三百万円当ゲット、芳江さんは帰路の商店街で特等大当たり」
「それは凄い!」
「喜美代さんは、うちで髪をセットした翌日がこの前の”そば四百年家”、ここで下山さんと運命の出会い。わたしは・・・」
「どうした?」
「乳ガンで余命いくばくもない状態から、抗がん剤治療をはじめて」
「ガン?」
「でも、六ケ月ほどで副作用が辛くなり、医師に治療中止を申し出たんです」
「そしたら?」
「医師に、{今、治療を止めたら半年で死にます。それでもよかったら止めましょう}、と言われたんです」
「それで?」
「治療を止めて丁度今月で二年、これもミラクルとしか言いようがありませんでしょ?」
「半年が二年に伸びたのですね?」
「そう。この生かされた二年で、わたしは多くのことを学びました」
「そうでしたか?」
「大島町に入ったら家が近いから、その先の喫茶店でコーヒーでもどう?」
「いいですね。話も途中ですから」
「その先に小さな看板がみえるでしょ。クイーン・ビー、そこで停めて!」
喫茶店「ザ・クイーン・ビー」とある落ち着いた雰囲気の小さな店に入ると、経営者らしい男性が笑顔で迎えた。
「おや、ミツエママ。今日は若い兄さんとデートですかな?」
「バカね。誰が家の近くでデートなんか。その気なら福知山か舞鶴まで行きますよ」
コーヒが来た後、ミツエが小声で語った。
「普通はこの外側に見えるミラクルを、ミラクルと呼ぶと思います。でも、わたしは、もう一つのミラクルに気づいたんです」
「それは?」
「それは、見えないところにある心の中のミラクルで、これは理解できる方と理解出来ない方に分かれるかもしれません」
「多分、おれは理解できないような気がするな」
「この内面にあるミラクル・・・これは、この不治の病を体験することで、感謝を知ることが出来たことで気づいたのです」
「少しだけ理解できるかな」
「感謝とは身体の内、腹の奥の方から湧きあがり、外へ溢れだすような感情のようなもので、この感謝を感じることで、この世は感謝
と喜びしかない世界だと感じることが出来たこと。これこそ、いつか誰かに、{神は歓喜しか人間に与えていない}と、聞いたことがありますが、本当にそうだった。と感じることができた喜びは本当に嬉しかったです」
「急にこんな話を、どうしたんです?」
「年明け早々、入院することになってるんです。今までは、息が出来たり手足が動いたりして普通に生きている事を当たり前にして、何の感謝もなかったのに、この病の重さを知ったとき、生きていることに強烈な感謝の念が湧いてきて、ただただ、誰にも何にも{有難う}の言葉しかないのです」
「またミラクルは起こるさ。入院したら携帯メールで知らせてね。必ず見舞いに行くから」
これが、小太郎のせいいっぱいの励ましだった。
あとは、ミラクル・ミツエのまたの奇跡を信じて心から祈るだけ、小太郎に出来ることはそれだけだ。
洒落た洋風建築のミラクル美容院を含む広い敷地に建つ蔵林邸までミツエを送って、小太郎は帰路に着いた。
車を駐車場に置いて商工会議所に顔を出したが守衛以外は誰もいない。
「今日は皆さん、家族でクリスマス。こんな日に仕事をするのは大橋さんぐらいですな。ご苦労さん!」
守衛に慰められてイルミネーション華やかな街へ出て飲み歩いてみたが、あのミツエママの悲壮な思いが胸に残って辛くて酔えないのだ。
夜も更けていて財布も軽くなっている。これでラスト、こう思って入った店が和風飲み屋の「花一輪」、料理も一流でITビルからも近い西町商店街にあり何度か入ったことがある。
「いらっしゃい!」
威勢のいいマスターの声に迎えられはしたが、さすがにイブの夜、満員で席がない。
「大橋さん! こちらにどうぞ」
カウンター席に座って一人でグラスを傾けていた女性が、荷物をどかして丸椅子を一つ空けてくれた。
自分の名を呼ばれて聞いた声だと思ったら、なんと同僚の神山紗栄子ではないか。
ウイスキーの水割りをダブルで注文して、席に着くと酔った顔の神山紗栄子が不審げに聞いた。
「大橋さんが何でこんな夜、一人なの? どこかでモテモテかと思ったら?」
「あんたこそ恋人とディナーじゃなかったのか? ケーキも買っただろ?」
「あんなの、寝しなに一人で食べますよ」
「一人ぐらし?」
「そうです。実家は京田辺市で、わたしは出稼ぎよ」
「なーんだ。そうだったのか?」
「だったら?」
「もっと早く、デートに誘うべきだったな」
「あら、今からでも間に合うでしょ?」
「では、今宵だけでも二人に乾杯!」
何とか独り酒は避けられたが、小太郎の頭の中ではミツエママの寂しげな表情が渦巻いている。
いくら飲んでも酔えない綾部の夜だった。