4、百人一首

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4、百人一首

改札口を出ると、駅頭に松飾があるのに気づいた。駅前広場のイルミネーションは年末と同じく華やかに輝いている。
ただ、暮れと圧倒的に違うのは乗降客の女性が圧倒的に和服が多いことだった。
先刻の和服の熟女は、迎えに来た男性の車の後部座席に乗り込み、小太郎に一礼して去った。
実際は、一礼などせず下を向いただけかも知れないが、それでも小太郎は何となく満ち足りた気分になっていた。
やはり、綾部はいい。この感情は綾部に住む者には分からないかも知れないが小太郎はそう感じるのだ。
当然ながら小太郎を迎えに出る者などいない。
と、思っていたところ背後から肩を叩かれたから驚いた。
「大橋さん!」
びっくりして振り返ると、ノミのカップル、長身の金井喜美代と短身の下山一蔵の姿があった。
「やあ、金井さんと殺し屋の下山さんか? 明けましておめでとう!」
「おいおい、殺し屋と呼んでおいて、おめでとう、はないだろ?」
「でも、新年だからね」
「では、我々二人から大橋さんに。明けましておめでとう」
金井喜美代も下山一蔵と一緒に頭を下げ、嬉しそうに小太郎を見た。
「報告もありますから、コーヒーでも。いえ、ビールでも」
さっさと先に立って、北口駅前のホテル・アールイン綾部の玄関に入って行く。
年末からの泊り客や年始の顔合わせなどで混雑しているロビーの一角で三人はやっとビールを確保した。
乾杯で喉を鳴らすとすぐ、金井喜美代が長身を少し屈めて恥ずかしそうに告げた。
「わたし達は、明日1月3日午前十一時、宮代町の綾部八幡宮で初詣と神前結婚を済ませます」
「八幡宮? 大本だっていいじゃないか?」
「八幡宮は綾部の郷社ですのよ。この人は、罪滅ぼしに綾部に尽してここで骨を埋める覚悟です」
「それはいい。これからは綾部市民に奉仕ですか?」
「わたしも明日から山下喜美代となって、この人と共に歩みます」
「山下って? 下山じゃないの?」
「この人の本名は、山下寅二郎です」
「騙してたのか?」
「芸名だってあるでしょ?」
「免許証はどうした? 偽造か?」
下山が小太郎に顔を近づけ左右に視線を動かし、唇に右の人差し指を立てて「シーッ」と言った。
「いま、その件は取調べ中保釈の身だから口にせんでくれ」
「分かった。が、なんだか妙なことばかりだな」
殺し屋が小太郎に頭を下げた。
「騙して済まなかった。本名は山下寅二郎、殺し屋も下山一蔵も廃業した。これが証拠だ」
「わたしが追い立てて暮れから一緒に東京に行って、全部、清算させたのです」
「清算って?」
山下が大きめの黒い皮手袋を脱ぐと、短くなった両手の小指が包帯に包まれている。
「この指はな。右が大橋小太郎殺害請負の放棄、左が曙興業退社とやくざ社会から一般社会への復帰さ」
「喜美代さんと結婚して、本気で堅気になったんだね?」
「これからは、綾部市民として真面目に暮らすことにした」
「それが出来れば言うことなしだな」
「綾部署を通じての詐欺集団情報提供が大型犯罪組織壊滅につながり、その手柄で過去を大幅に許されたんだ」
「日本にも司法取引があるのか?」
「ここだけの話だ、一切、口外するなよ。ともあれ、半分は自由の身だ」
「生活費はどうする?」
「新川署長の代理・長谷川刑事内々の推薦で、綾部工業団地内の京セラ工場に入社できたんだ」
「それは良かった。前科五犯の正社員なんて滅多にいないからね」
「盗みも殺しもしてない。正当なケンカで相手を傷つけての五犯だ。恥じることなど何もないぞ」
「なにも威張ることないだろ?」
「威張ってはいないが恥じてもいないってことさ」
喜美代が割って入った。
「では、明日十一時、綾部八幡宮で。十五分前には来てくださいね」
「え? おれも?」
「当たり前だろ。大橋くんが縁結びの出雲の神様なんだからな」
「よかった。ミツエさん達にも電話しますけど、大橋さんとは同じ列車でお会いできて」
「同じ列車だったのか?」
「この人が、下手な百人一首詠みの声が大橋さんに似てるって言ったのね。まさか本物だったなんて」
「下手だっていいだろ」
「喜美代が笑ってたぞ。役に立たないことしてるってな」
「余計なお世話だ」
「ご免なさい。こんど、わたしたちも新年会をしましょ。その時、ここの百人一首お教えします」
「ここのって? どう違うんだ?」
「ここ綾部には、独特の百人一首があるんです」
「独特の?」
「それより、大橋くんは何でこんなに早く戻ったんだ。正月休み返上か?」
「お袋の顔も見たし旧友再会も果たした。デート相手もいないからね」
「それだけ?」
「仕事ですよ。市内の正月行事をあちこち取材するんだ」
「なるほど。ところで夕飯は?」
「正月も二日だ。コンビニは開いてるからご心配なく」
「それじゃ。明日、待ってるよ」
「お二人さんの幸せな顔を見に行くさ」
以前、誰かに聞いたことがある。女性が長身のノミの夫婦は仲が良く離婚がない、と。二人の後姿には幸せが滲んでいた。
駅からマンションまでは徒歩で十五分足らずだが、駅前以外では外出している人もなく閑散とした夜の街だった。
部屋に入って備え付け空調機で暖房をつけてはみたが心が寒い。
「この道は、いつか来た道・・・」
歌を口ずさんでみても一人暮らしの空しさは解消できず、何ともやるせない。
それにしても綾部独特の百人一首、そんなものがどこにある?