7、賭け率

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 7、賭け率

それからの数日が大変だった。
あの産業まつりは無事に終ったが、殺し屋が綾部に潜入しているという噂はたちまち市内に広まっていた。商用や観光で入れ換わり立ち替わりで綾部に滞在する他県からの流入者も少なくはない。
秋も深まり、綾部市郊外はどこもかしこも紅葉のシーズンを迎えていて、外部からの観光客もかなり増えていた。
紅葉の名所で知られる安国寺が”安国寺みみじ祭り”で賑わい、和紙で著名な黒谷町が”黒谷和紙ともみじ祭り”、さらには大本教の広い敷地内いっぱいの紅葉にライトアップに琴を奏でての”綾部もみじまつり”と紅葉の名所三ケ所が連携しての秋のイベントが始まると、西山部長も小太郎も、あれこれ雑用も絡んで大忙しとなり、身の危険など顧みる暇もない。新川署長と長谷川刑事の気配りで綾部署から数人の私服が護衛に付いてはくれているが、所詮は自分の身は自分で守るしかない。小太郎は、そう覚悟を決めて仕事に励んでいた。
覚悟ができて見回すと、秋の綾部の優雅で趣のある景観は、筆舌に尽くせないほどの素晴らしい味わいがあった。紅葉の下でのんびりビールにおでんか枝豆をつまんでいると、自分が殺し屋に狙われているなんて全く悪い冗談としか思えない。
その頃、長谷川刑事は古巣の綾部署の昔仲間と組んで、綾部市内を隈なく調べていた。
大橋、西村、どちらにも危機はあったが本人達には気づかれていない。護衛をしている私服組が巧みに怪しい人物をマークして、二人に暗殺者の接近を悟らせていないからだ。最初の危機は西山の退社時だった。役場の駐車場で待ち伏せしていた痩せぎすで長身の男は、役場から出て来る西山隆夫を待ち伏せていたが、西山の身辺警護を当面の職務としている岡村という綾部署刑事に怪しまれて追われ、素早い動きで逃げ去っていた。西山には、それを知らせていない。
大橋小太郎の場合は、二回も群衆の中で背後から襲われそうになったが、一度はそれに気づいた長谷川刑事が刺客の男に接近して気付かれて取り逃がし、二度目は周囲の人が怪しい男を発見して騒ぎ立てて小太郎を救っている。長谷川刑事によると、こちらの暗殺者は小柄だが俊敏そうな目つきの鋭い男だったといい、小太郎にも知らせて注意を怠らないようにと忠告していた。
観光シーズンの綾部市には外部からの訪問客で溢れていて、怪しい人物を炙り出す作業は困難を極めていた。どのホテルにも偽名で宿泊している者もいるが、それを偽名と指摘する証拠もなく、客が小まめに宿を換えて移動すればなかなか尻尾はつかめない。
事態を重く見た綾部署の新川康博署長は、川崎市長と相談して市民の情報提供を求めることにした。川崎市長は部下の生命に関係するのを見逃せず、秘書広報課に命じてチラシを作り、直ちに市内にバラまいた。顔写真も似顔絵もないが、秘書広報課の城畑里恵女史の発案で重要情報提供者には薄謝進呈、これが効いた。
綾部警察署管内には、交番が駅前と渕垣の二か所、駐在所は上林、上杉、山家、豊里、物部の五ケ所に設置されていた。
チラシを見た市民が、そこに駆け込んであること無いことを告げるから書類作成で署員は超多忙となった。しかも、その情報を確かめるため数少ないパトカーが走り回るから騒がしくなるばかりだった。情報は殆ど的外れで、自分の見知らぬ男は片っぱしから不審者として届けているのが現状なのだ。
そのいずれにも物見高い野次馬気分の市民が押しかけて、あること無いこととが告げられている。なにしろ久しぶりの事件だから市民の関心は、狙われた二人のうち、どちらが先に殺られるかに絞られていて、ひそかに賭け率なども流布されているらしい。しかも、よそ者が先に殺られるとみて七対三の掛け率で小太郎の危険度が西山部長を上回っているという。
容疑者の拘束成るか? これも賭けの対象になっているが、殆どが逮捕は無理が99、逮捕が1、大穴だが誰もが逮捕の可能性は低いと見ている。その理由の一つには、事件が少ない綾部署だけに捕り物の経験の浅い署員が、そう簡単にプロの殺し屋を捕まえるなどとは誰も考えていないのだ。それでも、綾部署は署長以下一丸となって汚名挽回に燃え、容疑者の割り出しに本気で乗り出していた。
恒例の官庁人事の春を数か月後に控えて、綾部署も署長の交代時期が間近に迫っている。西山隆夫自身も定住者増強の役割から綾部市議会議長という重責への転進の打診が市長から出ていて、身辺整理が落ち着かないと新たな仕事にも打ち込めない。小太郎とて、このままでは綾部の救世主どころか、とんだお荷物になりかねない。関係者の誰もがこの目に見えない暗殺事件の早期解決を望んでいた。