1、百人一首普及への提案

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第十二章 春の綾部市

 1、百人一首普及への提案

店内を埋めた客が、西山と小太郎の二人を歓迎したのはほんの一瞬、あとは夫々飲食と談笑で忙しい。
ひとまず生ビールを注文してから、小太郎が店内を見渡して感心したように言った。
「薬局の奥で食事ですか? 満腹してお腹こわしても正露丸ですかね?」
それを耳にした市役所広報課の梅野木郁子が振り向き、呆れた口調で言葉を投げた。
「薬膳でお腹こわした人なんて聞いたことないわ。大橋さん、試してみたら?」
「なにしろ、この赤尾薬局は創業明治四十二年、漢方一筋での医食同源で、薬膳喫茶を始めたのだ」
”FMいかる”の井坂社長が一応、無難な知識で小太郎に店の紹介をすると、西山が続けた。
「我が家の隣家だったグンゼの創立者・波多野鶴吉翁も若い頃、酔った時は、この店に酔い覚ましの薬を買いに来たそうだ」
小太郎がけげんな表情で聞いた。
「若い頃って幾つぐらいの時?」
「無茶飲みだから、鶴吉翁が二十五歳の頃かな」
「変ですね?」
「なにが?」
「たしか鶴吉翁は安政五年(一八五八)生まれ、二十五歳じゃ明治十四年だから、この店はなかったですよ」
「うるさい! それなら老いてからも飲み過ぎてって訂正すりゃいいんだろ?」
「どうでもいいんです」
ビールが来て、改めて店内に「乾杯!」の音頭が響いた。
加納美紀が小太郎と西山の顔を交互に見て、気の毒そうな口調で言った。
「お二人ともビールだけで宜しいのですか? ワリカンですよ」
「ワリカン?」
同時に声を出した小太郎と西山の表情が変わった。西山がメニューを見た。
「急に腹が減った。何にするかな?」
「どんなのが?」
フードメニューには蓮の葉包蒸飯セットや薬膳スープカレー、薬膳サンドイチなど、ドリンクメニューには、ナツメ茶、オリジナル漢方茶などという客の体質に合わせて、胃腸を正常化させる、心と体のバランスを良くする、ストレス解消など様々な効能が書いてある。
役所の後輩・松山聖子が、首を出して西山部長に助言する。
「部長。まず、美味しくて体に優しい薬膳スープカレーがお勧めですよ」
すかさず神山紗栄子が小太郎に勧めた。
「迷わず蓮の葉包蒸飯(はすのはほうじょうめし)セットですよ。老化防止の蓮の実、焼豚、貝柱、スタミナ強化のクコの実や松の実、これをジャスミンの香るタイ米で炊きこんだチャーハン風の薬膳料理ですから美味しくて体にいいですからね」
加納美紀が反論して同僚の邪魔をする。
「紗栄子さん。大橋さんはまだ二十三歳よ。胃腸強化の蓮の実、腎臓補強と老化予防のクコや松の実なんて不要でしょ?」
「でも貝柱や焼豚に加え、綾部産の蓮の葉で包んだ薬膳料理は若い人でもいいと思うけどな」
福岡多佳子女史が先輩風を吹かせてしたり顔で言った。
「最近の若い男は草食系で弱いから、少し精をつけたほうがいいのよ」
「先輩、それって経験ですか?」
「そうよ。若い人は弱くて。あれ? 紗栄子さん、わたしに変なこと言わせないでよ」
「勝手に先輩が喋ったんです」
「そうだった? でも、大橋さんは肉食系かも?」
小太郎がそれを聞いて応じた。
「おれは魚も肉も野菜も、辛いのも甘いのも好きだから、きっと雑食系だよ。でも、美味しい寿司で満腹したいな」
それを聞いた西山が「よし、わしも今日は寿司だ」と、小太郎の返事を待たずに店員を呼び、注文を告げた。
「軽いので、パニーニサンドとスープカレーを一つづつ、ここの美味しい蓮の葉包蒸飯は次回に持ち越しだ」
生ビールを追加して、二人の注文は一段落した。
そこでまた、井坂社長が発言した。
「大橋くん。東京から来て綾部の百人一首、感触はどうだったね?」
「楽しませて頂きました」
FMいかるの土屋えつ子が冷やかす。
「クイーン園田さんと一緒でしたから、かなりお上手になったでしょ?」
西山が顏の前で手を振った。
「ダメダメ。こいつと来たら一句も覚えてないんだからな。札を取ったって邪道だから認められんよ」
「いくらかは取ったんですか?」
「それが、一句も覚えてないくせに、読み札と取り札の頭だけは詠めるらしく、よう取りおった」
「それはいけません」
土屋えつ子が小太郎を睨んだ。
「大橋さん!」
「はい」
「そんな姑息な手、綾部では使わんでください。もっと、綾部の文化を知ってから参加してほしかったです」
「済みません。以後、気をつけます。でも、何となくイメージで詠めそうな気がして」
「では、下の句を詠んでみてください」
土屋えつ子の言葉を継いで、三井明日香が「では・・・」と、期待する表情で上の句を詠んだ。
「上林川の鮎あゆはうましと生きのよき・・・」
これなら小太郎にも分かりやすい。「この」の二文字が頭の中に記憶されている。
「この塩焼きで冷えたビールを・・・どうです?」
「ぶー。この手ざわりに塩ふりて焼く、です」
三井明日香ががっかりした表情で続けた。
「では、もう一つ・・・なつかしき 綾部だよりは又しても・・・」
「みな月になれば祭りだらけに・・・だめかな?」
「だめです。水無月祭り見に来よと言う、です。では、ラストですよ」
三井明日香が投げやりに続けた。明らかにもう期待していない顔だ。
それに気づいた坂井紀子が、タッチして詠み手を替わった。
「水無月の夜店に青き水中花・・・」
小太郎は、会場で最初に取ったカードだから自信がある。
「アセチレンガスで夜店のやきそば・・・あれ? 違うかな」
「違います。アセチレンガスの灯あかりに浮く、です。これで全敗、大橋さんには綾部の文化を語る資格はありません」
「歌は詠めなくても、札は取れたのに」
「それが、綾部の文化を損なうことになるんです」
さすがに見かねたのか、商工会議所の福岡多佳子が救いの手を差し伸べた。
「ノリピー、いいのよ。この大橋さんには文化より実践、綾部のPRが仕事だから」
それに頷いた西山部長が、悪乗りして小太郎を本人自身も意味不明な言葉でおだてた。
「そうだったな。わしは大橋君のグローバルな発展的細胞に惚れて、綾部に連れて来たのを忘れてたよ」
「西山さんまで・・・これでも、少しは考えてますよ」
「そうか? 百人一首でも、なにか綾部の発展に気づいたか?」
「気づきました」
「なんだ。勿体ぶらずに言ってみろ」
なんだか妙な雰囲気になって、小太郎も仕方なく口から出まかせを言ってみた。
「この、綾部市発祥の”ご当地百人一首”をヒントに、各地方の特徴を詠みこんだ百人一首を全国に広めたら、と思ったのです」
「どういうことだね?」
「全国で普及したら、ゆるキャラ、B級グルメでは下位低迷の綾部市も、暫くは、優勝か常時上位間違いなしですからね」
「そんなのズルくないか?」
「相撲だって最初は日本人で上位独占でしたが、国際化と油断と怠慢でモンゴルに乗っ取られました。それでも日本の国技です。ご当地の百人一首で人気を競ったら、この綾部市が、その充実した内容で他を圧倒してダントツで一位になるのは間違いない、と思ったんです」
「それで?」
”FMいかる”の井坂社長が薬膳ワイン片手に声を出した。飲んでいても聞いていたのだ。
「俳句カルタとなると、埼玉県和光市・わこう郷土かるた、上毛かるた、東京都葛飾区・かつしか郷土かるた、愛知県豊橋市・いいとこ発見カルタ、栃木県小山市・小山郷土かるた、静岡県東三河・ジオサイトカルタ、さいたま郷土かるた、春日部郷土かるた、水戸郷土かるた、大阪・野鳥カルタ、泉大津かるた、柏原郷土史かるた、四條畷郷土史カルタ、吹田郷土民話かるた、高槻カルタ、ふるさと寝屋川かるた、高槻市食育かるた、さらに最近では、東京スカイツリーで世界的に有名になった東京都墨田区の、すみだ郷土かるた、が、隅田川、相撲、花火、お花見などを取り込んで話題にんなっています。以上は、ほんの一部ですが、全国各地でカルタ大会は花盛り、協会もあって全国大会や人気投票もあるそうです」
何人かが頷き、井坂社長が言った。
「分かった。これの百人一首版を綾部から発信して、全国規模に広めて、人気と実力で綾部が一番を独占するのだな?」
「そうです」
「それには、どうしたら?」
「市の広報、FMいかる、商工会議所が一体になって綾部百人一首の文化的意義と楽しさをPRすれば、必ず問い合わせが来ます」
「なるほど、百人一首大会本部を綾部に設置してノウハウを提供し、全国の市町村の仲間を増やしていく作戦でいいのだな?」
商工会議所の芦沢匡介事務局長が叫、井坂社長も応じた。
「よし、やろう! 川崎市長には私が説得して了承させ、予算もとるからな」
ここで期せずして全員の拍手と乾杯が続き、綾部百人一首大会の打ち上げは夜まで盛り上がっていた。