6、かるたクイーンの裏ワザ

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6、かるたクイーンの裏ワザ

三松会というプロ級の腕を持つ地元の和楽器演奏者集団による琴九名、尺八二名構成の演奏による優雅な和の音楽に次いで、近年の民族楽器ブームに乗って一般にも知られるようになった中国産の二胡と、タブラと呼ばれるインド産の太鼓の演奏があり、ムードは一気に高まってくる。
楽器の演奏後は、主催者の森山みつる綾部公民館館長の開会の弁に次いで、川崎源也市長の代読で厚地教育長の祝辞があった。
「この綾部百人一首は、綾部市市制四十周年事業として、昭和六十三年から企画が進められ平成二年にまとめられたものです。綾部に生まれ育った足利幕府の祖・尊氏公のことを歌ったものも、市民の生活を歌ったものなどの中から秀れた作品を集めてつくられた綾部市独特の百人一首、先だって中学生の優れた一首を加えた綾部の百一人一首は、やがて全国に広がる可能性も秘めています」
そこから黒川和紙や綾部茶などふるさと自慢が入って、来賓として前任の公民館館長、観光協会会長、朗詠を勤める二人の元クイーンが紹介された。小太郎が見あところ園田喜久枝は推定四十歳代後半、もう一人の朗詠者は水て推定六十歳代前半、教育長の紹介で北川美津江女史と知れた。この華やかで品の良さが香るような熟女二人が壇上で紹介されたとき、割れんばかりの拍手だったところを見ると、この二人は百人一首の世界でのカリスマとして甲乙点けがたい人気者なのかも知れない。教育長が言葉を添えた。
「クイーン園田先生は、自らのご希望で一回戦だけ、初心者のグループに参加されて実技指導をされます。したがって、一回戦の朗詠は北川先生、二回戦目の朗詠はクイーン園田先生となりました」
教育長の挨拶が終わると、続いて大会役員から、簡単なルール解説があった。
競技方法は、人数に関係なく誰でも出来る”散らし”で二回戦、使用するカードは綾部百人一首百一首中の旧タイプ百枚。大会役員それぞれがが複数のグループを担当し、朗詠に続く取り札を持っての挙手を確認し、二十に近いグループ全部が札を取り終えてから次の札をカードが詠めないのだ。これで上級者のタイミングが狂ったりするから気の毒だが仕方がない。
しかも、競技かるた、源平かるた、散らし、など上級者から初級者までがグループに分かれて競技できるようになっている。
勿論、小太郎のようなど素人がさんかするのだから、競技歴を参考に公平に組むか、仲間で楽しむグループ分けもあるが、参加百人、十数グループの中で小太郎達が最低レベルなのは間違いない。そこに、かるた名人のクイーン園田が参加するのだから、これは、掃き溜めに鶴以上のインパクトのある珍事として綾部百人一首の歴史に残るかも知れない。
役員の中には、クイーン園田が参加するというメンバー表を眺めて顔をしかめ、彼女の無謀を止めたが、本人は意に介さない。芳埼沙也加に連れられて仲間の輪に入ると、さっさと小太郎の横に割り込んで座り、軽く頭を下げた。小太郎の鼻孔に、彼女が身に着けた伽羅の香りがほんのりと流れ、それだけで会場に来た甲斐があったと思わせる。
「皆さま、園田喜久枝でございます。本日はお仲間に入れさせて頂きます」
ふと、西山の存在に気付き、疑わしい表情で問いかけた。
「もしかして西山のお兄さん? 百人一首はお嫌いだったでしょ?」
西山が慌てた。
「おまえさんが有名なクイーン園田? あのお転婆の石川喜久枝が?」
「結婚して姓が変わったのです。役所にいてご存じなかったのですか?」
「知らん。百人一首には興味ないし、おまえの兄の石川美智雄とはお互い就職以来没交渉だからな」
「では、なぜここに?」
「そこの大橋君に付き合ったんだ」
「兄は、東京の石油会社役員で立派に仕事してます」
「わしだって立派に・・・ま、そこそこだがな」
「三十年前、プロポーズを受けていたら、わたしはクイーン西山。ただし、百人一首じゃなくて花札ですね?」
そこで、ふと気付いたように、改めて頭を下げた。
「皆さん、西山さまの名誉のために申し上げますと、西山さまは兄の綾部高校時代の同級生、わたしとは何の関係もありません」
小太郎が追及した。
「でも、西山部長は一応、プロポーズはしたんですね?」
「いえ、独り言でした。あのとき猫がいたかも?」
「西山部長が猫にプロポーズですか?」
「わたしは何も知りません。それに、タイプではございませんでしたから」
「うるさい! どいつもこいつも川崎にホレやがって!」
「そうか? 石川家にはそんな方々が出入りしてたんだ」
話はそこで終わった。開会の時間が迫っていたからだ。
ひとまず、この場の仕切りは例年参加で常連の芳埼沙也加に任せることになる。
特権を得た芳埼沙也加は早速、師匠のクイーン園田に条件をつけた。
「園田先生は、場札が五十枚減るまで参加しないでください。参加してからも三秒のハンデでお願いします」
「結構ですよ」
悠然と笑顔で応じたクイーン園田には、さすがに余裕と貫録と熟女の魅力が備わっていた。
そこで、百一枚の場札が撒かれ、芳埼沙也加が念を押した。
「皆さん、参加者全員が公平に戦えるよう、存分に手を入れて札をバラけさせてください。方角もバラバラでお願いします」
やがて、総ヒノキ造りで知られる荘厳で重厚な大本長生・白梅殿の大広間の隅々まで、年齢を感じさせない北川美津江女史の澄んだ声が朗々として響いた。
「おそ仕舞う 野面いつしか暮れゆきて・・・」
小太郎が口の中で「やがて、源氏・・・」と呟いて「げんじ」札を探していると、小太郎の目の前の札が浚われて「はい!」と芳埼沙也加の手が挙がり、それに一瞬の差で手を重ねた金井喜美代が「残念!」と悔しがっている。
悔しいのは小太郎も同じだ。札の頭を知っていたのに取れなかった上に、自分の目の前の札が取られたのだ。
しばらく間があって会場全体が札を抑えたという合図があり下の句が詠まれた。
「源氏蛍の淡き明滅・・・小和田温子さんの作品です」
続いて二首目が詠まれた。
「ボート漕ぐ 若者のあり由良川も・・・」
「はい!」
今度は金井喜美代が早かった。
後から手を重ねた芳埼沙也加が舌打ちして「気づいたのね?」と毒づき、金井喜美代が「うん」と頷いて微笑んだ。
小太郎も「ボート、社長」と呟いて後を追ったが「しゃちょう」という字が見つからない。
「斜張(しゃばり)橋もいま夕映えのなか・・・西村勝枝さんの作品です」
小太郎は、由良川に架かる新綾部大橋の橋げたを支える主塔から斜めに張ったケーブルを思いだした。その功績で立派な工業実績で受賞したとも聞いている。これをなんで社長などと覚えてしまったのか?
それから十枚ほどの札が、金井喜美代と芳埼沙也加の二人で分け合い、もう誰も太刀打ちできない。五十枚減まで手を出せないクイーン園田女史も、呆れたようにただ目を丸くして二人の争いを見ていた。
小太郎は、手も足も出ない状態が悔しくて、じっと二人の様子を見ていたが、ふとあることに気付いた。それで芳埼沙也加の発した「気づいたのね?」の謎が解けた。なんと、この二人はクイーン園田の目線を追って札を取っていたのだ。読み手が一文字詠んだだけで園田女史の目線が一瞬、的確に取り札に注いでいる。これが恐るべき名人の特技だった。これだと多分、素人相手に三秒のハンデなら参加してからの五十一枚全部を一人で取れるはずだ。ここで小太郎が他の人に気付かれぬようクイーン園田の耳元に囁いて提案した。
「しばらく目を瞑っててください」
クイーン園田も、小太郎の一言で二人の戦いに自分の視線が絡んでいることに気づいたらしい。だが素直には応じず囁き返してきた。
「ちょっとだけ待っててね」
しばらくして詠み人が次の句を朗じた。
「なつかしき 綾部だよりは又しても・・・」
小太郎は「夏が、水無月」と覚えていて、すぐ「みなづき」を求めて気づき手を出そうとした瞬間、「はい!」と他の札を金井喜美代が取ってから間違ったことに気付き、怪訝な表情で、ペナルティに既に得ていた札を一枚、札場の脇に伏せて出した。その間に勝川浩一が正解の札を浚って「はい!」と初物の喜びと、金井喜美代が提供したペナルティ札まで頂いて二重の喜びに相好を崩している。小太郎はまた悔しい思いを重ねた。
「水無月祭り見に来よと言う・・・これは、著名な歌人・吉井勇さんの作品です」
我慢我慢と自分に言い聞かせた小太郎は、気を取り直して自分のやり方に徹することにした。小太郎は綾部百人一首も、普通の百人一首の要領で取る算段だから、句など無視して上下札の頭だけを覚えていた。例えば、川夫(かわおっと)、古父母(ふるふぼ)、おそ源氏、みな汗、などが小太郎の大脳にこびりついて、元の句など入る余地もない。それも作戦の内なのだが、困ったことに肝心の札の位置がまるで記憶できないのが苦戦の原因なのだ。
「寺山に登って鐘を鳴らしたら・・・」
これはもう、中上専務理事の前でまぐれ当りした歌だけに楽勝、間違いようがない。すぐ「寺山は平和」と反応して「へいわ」の札を探し当てたが、「はい!」と手が伸びてまた他の札がはじかれ、その札を持って挙手した芳埼沙也加が「あれ?」と札を眺めた隙に、正解の札を押さえた小太郎の手の下に、一瞬早く唐沢栄子の手が滑り込んでいた。小太郎は思わず触れてはいけないものに触れたように手を引っ込めて唐沢栄子に睨まれた。勿論、小太郎にやましい気持ちなどは毛頭ない。
「平和溢れる良き綾部かな・・・綾部中学校の大槻知子さんの作品です」
「悔しい」
金井喜美代と芳埼沙也加が同時に呻き、小太郎も残念がったが仕方がない。
そんなことが続出して、金井喜美代と芳埼沙也加が貴重な貯金をペナルティで吐き出して、ついに取り札が一枚もなくなった。それを見たクイーン園田が小太郎の足の裏をつつき、小声で「目をとじますよ」と囁いた。すぐ横目で見ると、クイーン園田が悪戯っぽい表情でウインクし、そのまま目を閉じた。彼女は裏ワザを用いてわざと誤った札に金井喜美代と芳埼沙也加を誘導して二人に埋め合わせをさせたのだ。