5、小太郎の才能

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5、小太郎の才能

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市役所に寄ると別館の古い応接室で五分ほど待たされ、西山隆夫が現れた。
「やあ、元気か?」
「元気かって、夕べも一緒だったじゃないですか?」
「理屈を言うな。人間なんて一夜でコロっと逝くやつもいる」
「おれは、そう簡単には逝きませんよ」
「そいつはよかった。ところで、今日はわしが案内することになった」
「どうして?」
「中上専務理事から市長に電話があってな。市長から頼まれたんだ」
「暇だから?」
「冗談言うな。多忙で目が回りそうなのに市長命令じゃ仕方がないからだ」
「断れば?」
「市長があんたを買い被って、観光客や定住者の倍増を図ってるのに断れるか?」
「でも、目が回るほど忙しいのに?」
「まあまあ、そのあたりは程度問題でどうにでもなる」
「今日はどこへ?」
「まずグンゼだ。我が家の隣のオッサンが創立者じゃ仕方ないだろ。
「グンゼでは観光客は呼べませんよ」
「そうとも限らんさ。綾部の看板企業をナメたら後悔するぞ」
ともあれ、小太郎の運転する車でグンゼ本社の旧屋に立ち寄ることにした。
「この辺りはほとんどグンゼの土地だよ」
たまたまなのか、広場に人だかりがしていてバラの花が咲き誇っているのが見えた。
「あれは?」
「十一月半ばまでのバラ祭りでな。グンゼと市民の協力で活性化してるんだよ」
「意義ありますね」
「アンネ・フランクの父親から贈られたバラから育った花も平和の輪を大きく広げてくれているんだ」
「なるほど」
「関係者以外立ち入り禁止」とあるグンゼの正門前で、助手席の西山が顔を見せると守衛が最敬礼で「どうぞ」と言った。
「顔パスですか?」
「なにしろ、創業者の家と我が家は隣どうしだからな」
玄関近くに車を止めて、勝手に玄関を入ると顔なじみらしい受付の女性が笑顔を見せた。
「人事部長代理の勝川がすぐ参りますので、少々お待ちください」
運ばれたコーヒーは、モカのいい香りがして美味、感性の鈍い小太郎だが心が癒された。
「創業者が隣家で生まれたのは、いつの話です?」
「波多野鶴吉翁が生まれたのは、確か安政五年の春だったかな」
「なんだ? 随分と昔の話じゃないですか?」
「何鹿(いかるが)郡の中上林の庄屋だった波多野家に生まれ育った鶴吉翁は、貧しい農村の救済に絹糸を活かす道を考えたのだ」
「安政五年といえば、その前年に死んだ老中筆頭安部正弘に代わって井伊直弼が大老に就任した年ですね?」
「なんだ、歴史に興味があるのか?」
「興味はないけど、安政の大獄とか日米修好通商条約調印とかは学校で教わってるから常識でしょう?」
「将軍継嗣問題も大荒れで、ようやく十四代将軍に家茂が決まったのもこの翌年だからな」
「土方歳三が、近藤勇の試衛館に正式入門したのも・・・」
「もういい。グンゼの話に戻そう」
「それで、グンゼはいつ創業したんです?」
「明治二十九年の八月かな」
「日清戦争が終わって間もなくですか?」
そこに、穏やかな表情の高齢の男性が現れた。
「やあ、この人かね?」
いきなり、小太郎の顔をじろじろ眺めて握手を求めてきた。
「勝川です。西山くんから聞いたよ。大橋さんは人助けでお金を使っていつも貧乏してるんだってね?」
「貧乏は当たってますが・・・」
小太郎が返事に窮していると、横から西山が笑顔で言った。
「そうなんですよ。有り金はたいて人を救う癖があるんです」
「いいねえ。うちもそんな人材を求めていたんだよ」
名刺を受け取った小太郎の困った顔を楽しむように西山が言った。
「実は部長に詫びに来たのです。昨日、最初に挨拶に寄った商工会議所で就職が決まりまして」
「なんだ? 博物館の館長ぐらいにはしてやれたのに。寮もあるし、残念だな」
「残念ですが仕方ありません。本人が選んだんですから」
小太郎が頬をふくらませて抗議をした。
「何社も声をかけてるなんて聞いてなかったですよ」
「たしか東京で別れる時に京セラなど二十社、大本教、温泉センターなどと言ったな? そのうち半分は声をかけてるぞ」
「まさか?」
「温泉センターも入れて十社以上だから、これからはお詫び行脚だな」
勝川部長代理の質問が飛んだ。
「なぜ、商工会議所が一番なんです?」
「ま、適材適所ってやつです」
「大橋さんは、そんなに商業の発展に寄与する才能があるのかね?」
「時間にルーズだと睨んだからですよ」
勝川部長代理が呆れて言葉もなく、小太郎は図星だから反論もない。