1、傘借り

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第五章 綾部の産業

 1、傘借り

小太郎の携帯がまた鳴った。
商工会議所の専務理事だから悪い予感がする。
「今、どこだ? 弁当を用意しておいた。すぐ戻って来い!」
「どこへ?」
「どこへって本部に決まってる。産業まつりの本拠地だぞ」
「でも、いまも取材中です」
「どこでだ?」
「B級グルメの会場です」
「まさか試食なんかしておらんだろうな?」
「ほんの少々・・・」
「バカ! 見ただけでも記事は書けるだろ?」
「見ただけで? そいつは無理です」
「なにが無理だ。本部じゃA級グルメの高級コンビニ弁当を用意してるぞ」
「高級? 高いんですか?」
「B級グルメより少しはな」
「少しですか? 食欲がなくなりました」
「いいから帰って来い! 一時半からビンゴゲーム大会が始まるんだ」
「ビンゴはパスします」
「豪華景品八十名さまプレゼントの目玉イベントを無視するのか?」
「無視はしてませんよ」
「ところで、フラメンコは取材したか?」
「フラメンコ?」
「派手な衣装の女性が団体で華やかに踊りまくる南米調の陽気な、今回の目玉イベントだ」
「真っ赤なロングドレスとか?」
「それも二人ほどいたぞ。あとは上が黒で下が赤紫が二人、上が白で下が青紫のドレスの女が二人いたな」
「よく覚えてますね? 若い女性ですか?」
「そうとも限らん。綾部商工会の女子会のメンバーだからな」
「パスします」
「ならば、丸太切り大会は取材したろうな?」
「いえ、そいつは午後からの会で間に合います」
「間伐研究所は?」
「カンバツって何ですか?」
「間引きってことだ」
「難しい言葉で言うと堕胎ですね?」
「わしを舐めてるのか? どこの世界に森林の間引きを堕胎って呼んでるんだ?」
「森林ですか? 太陽の光を入れるための伐採ですね?」
「そうだ。その斬り倒した不要な材木を加工してイスなどの家具や日用品を制作販売してるコーナーだ」
「なるほど廃物利用でエコ、面白そうですね?」
「面白くはないが、上林地区の山林利用の売り物だからな」
「今から行ってきますか?」
「もういい。早く戻って来い!」
「でも、さっきまで降ってなかったのに雨が激しくなって傘はないし」
「傘なんざ、ビニールの安物がいくらでも落ちてるだろ?」
「どこに?」
「その辺のゴミ箱にだ。見回してみろ」
よく見るとテントの入り口に大きなポリバケツがあって沢山の傘が詰め込まれている。
「傘立てならありますが・・・」
「それをゴミ箱だと思え」
「思えませんよ」
「思うんだ。いいか、盗みはいかんぞ、拾うのは自由意思だからな」
「そんな・・・窃盗罪ですよ」
「それがビニール傘の宿命だ。今、晴れてみろ。そこにゴッソリ残されるだろ?」
「雨が止まなかったら?」
「そこに最後まで残ったヤツが貧乏くじを引く。それもまた運命だ」
「分かりました。責任はとって頂きます」
「責任? こりゃいかん。ならば一時的に借りて来い」
「返すんですか?」
「夕方、返しに行けば、後片付けの連中に傘が間に合う」
専務理事と話しても埒があかないから、全員に断って先に戻ることにした。
「まだ食べたりないでしょ?」
美容院のママが一応は気を使うが、視線と箸ははそのまま食べ物に向かっている。
長身の金井喜美代が、急用が出来たから小太郎と一緒に帰ると言いだした。
それを、俳諧師の平川が必死で止めている。
明らかに彼の好みらしい。
「もう少し、綾部の話を聞かせてくれ。きっといい句が出来るはずだ」
「ほんとですか?」
これで、俳句とか川柳など短文に興味のある金井喜美代が腰を落ち着けた。
金子兜太や鷹羽狩行という当代きっての俳人を凌ぐ名句を、平川氏が綾部でつくるかも知れない。
お堅いダイヤモンド社出身とは思えないその特異な風貌からも、その可能性は考えられる。
濡れた傘が林立しているゴミバケツからビニール傘を一本借りて、小太郎はテントを離れた。
小太郎は、B級グルメ会場の市鳥イカルのイラスト入り円形アーチを潜って、激しい雨の中を武道館横から三番街に向かって急いだ。
JRの踏切を越えて三蕃街に入ると、いきなり茶席で声をかけられた。
「大橋さん、一休みしませんか? 美味しいお茶がありますよ」
見ると、最初に市長に会ったときに名刺を貰った秘書広報課の岡崎恵子女史が手招きしている。
長時間、おばさん達に囲まれていただけに岡崎女史が美しく新鮮に見えて目が眩しい。
西山部長に「秘書広報課は美人揃い」と聞いてはいたが満更ウソではないらしい。
「ここは?」
「三ケ所のスタンプラリーを終えた方々の抽選場、大橋さんは?」
「そんなの参加してませんよ。取材なんだから」
「残念ね。先着二千名さま抽選権で豪華景品があって、ビンゴに参加できるのに」
「いいです。ぼくは抽選は苦手でテッシュ専門だから」
「母の頃は、亀の子だわしだったんですって」
「そんなの知りませんよ。急ぐからお茶もいいです」
京都北信西町支店の交差点を越え、無料で配布されたポップコーンをかじりながら急ぐと、二番街でまた声をかけられた。
「お兄さん、木に興味ない?」
「桜と松とボタンは好きだけど」
「それは花札だろ? ここで木を加工して見ない?」
みると木工教室と看板があって、日焼けした中年男性がノミを振り回して呼んでいる。
「それどころか、オレ、今忙しいんだ。見ればわかるだろ?」
「見て、暇そうだから声をかけたんじゃねえか。わしだって忙しいだぞ」
そこから逃げようと思ったところ、すぐ近くのブースから声がかかった。
「お兄さん、いざという時の災難に備えは万全ですか?」
こちらは「防災、節電対策展示コーナー」だった。
「分かってます。逃げるが勝ちってことです」
とうとう小太郎は雨の中を小走りに二番街から逃げ出した。