2、綾部市資料館

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2、綾部市資料館

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道はすぐ分かった。
その交差点を右に曲がってまた右に曲がると吉美郵便局があり、すぐ先に主婦が言っていた美容室コマがあった。ぐるりと遠回りはしたが、そこからは一気に上り坂になって久田山と聞いた小高い丘陵の平地には立派な建物が並んでいる。
丘の上には、紅葉の季節を迎えて色づいた木々を揺する風の音と、山鳥の鳴き声がはっきりと聞こえるほどの静寂があった。
ここからは、綾部市資料館、中丹文化会館&綾部市中央公民館、綾部市天文館「パオ」と駆け足で抜け、全てを見たことにすればいい。なんとしても六時までには商工会議所に戻らねばならない。専務理事のお供で創作料理の「あず木」に行き、綾部産の吟醸酒に旨い肴で仕事疲れを癒すのだ。
それにしても毎日、大好きなタダ酒にあり付けるとは、信じ難い夢のような旨い話だ。
だが、ものごとはそう都合よくいかない。万事順調すぎたら眉に唾をつけて頬をつねる。そのぐらいは知っている。
綾部市資料館は月曜定休で開館は午前九時~午後五時で無料、さすがに見所豊富で、そう簡単には素通りできそうにもない。
つねに、綾部市の文化財などの特別展示を行っているらしく、さまざまな美術品や文化財が展示されていて興味をそそられ、各部屋を回るだけで充分に心が満たされてゆくのを、無趣味で無粋な小太郎でも感じずにはいられなかった。
グンゼの勝川部長代理(菓子屋の店主)が言っていた葉室家の盛衰を彩る文化財展「歴史は蔵の中・羽室家収蔵品と綾部の文化展」は終了していたが、その一部は飾られていて、小太郎のごく少ない芸術心ですら満足させられた。
綾部市資料館では、「野外体験講座」を開いたり、「古代発掘調査成果展・横穴式石室墳調査発表」「由良川歴史散歩」「市民絵画展」などが季節ごとに開かれるという説明パネルがあり、その一部が整然と展示されていた。
その中で、小太郎の目に止まったのは、古代から続く由良川水系の地形と綾部市の発展までの歴史だった。
旧石器時代から縄文、 弥生、古墳時代を生き抜いた綾部の人たちは、どんな生活をしたのだろう。
その疑問はすぐに解けた。パネルで順を追って絵入りで詳しく描かれていたからだ。
ちょうど、小学校の高学年らしい子供達の団体に対して若い職員が、覚えたてらしく棒読みで説明をしていた。
「古代の綾部市の多くは山地でした。やがて、何万年もの長い年月の間に、山あいの谷間を流れる川の氾濫で出来た河岸段丘k反乱んで両岸に土砂が堆積して平らな低地が広い面積を占めるようになったのです。そして、低地と山地の間には河岸段丘(台地)がしばしば見られます。この河川の浸食と土砂の堆積で出来た河岸段丘は、新しい順に低くなっています。いつしか、この大地に人が住みつき、綾部周辺の地名や河川の名も自然発生的に生まれ、ゆらゆらと流れる谷間の川は、いつか由良川と名付けられて綾部近辺に住む人々にとって必要不可欠な水源になったのです」
「由良川が出来たのはいつ頃ですか?」
メガネをかけた聡明そうな少年が、筆記具でメモ用紙に書き込む姿勢のまま質問した。
「いつ頃って・・・昔だよ」
「昔って、何年前ですか?」
「何万年もの長い年月って、今、説明したじゃないか」
「でも変ですね?」
「なにが?」
「古代中国の象形文字で川という字が出来たのが約四千年前なのに、何万年も昔の日本で由良川って字があったんですか?」
「なんだ川の発生じゃなくて字の由来か?」
「じゃあ、川が出来たのは三万年前ですか、五万年前ですか?」
「どっちでもいいさ」
「では、間をとって四万年前にしておきます」
「そんなの数字にしなくてもいいじゃないか?」
「あいまいにすると,僕、母に叱られんです」
職員が憮然とした表情で続ける。
「由良川は、丹波と若狭、さらには近江の国にまたがる三国岳の山腹から流れ出て、丹波の山々に深い谷を刻んで流れ落ち、綾部台地の火成岩を浸食して山間の盆地を形成して、現在のように大勢の人が住めるような地形をつくったのです。
由良川は福知山で流れを北に向け、山間を蛇行して宮津市の由良で日本海に注ぐ、全長百四十六キロ、流域面積からみて日本で第三十三位の大川です」
メガネの少年が手を上げた。
メガネだと知的に見えると聞いて小太郎も時々度なしメガネを掛けているが、効果は全くない。
だが、この少年は本物の聡明とも思えてくる。
「何ですか?」
「日本一の信濃川の三百六十七キロ、世界一のナイル川の六千六百キロからみれば随分短いですね」
少年の挑発に乗らずに職員が我慢強く続けた。
「氷河期の終わりごろ、ナウマンゾウや古代鹿を追って、この綾部の地にわれわれの先祖達が集団で移り住んだのです。その頃の石器などが綾部各地で発掘されています。氷河期が終わり、そのナウマンゾウも消滅して地球は温暖化し、大自然の恵みも豊かになりました。綾部の人々は野山で獣を狩り、ドングリなどの木の実を食べ、土器を作って煮炊きすることも覚えました。
縄文時代に狩りの方法が大きく変化しました。弓矢の発明です。それまで、狩りの手段はもっぱら木の柄の先に石器を付けた槍でした。投槍に比べて、尖らせた石を先に付けた矢を射ることによって、速く遠くへ飛ばせた上に的中率もあがったのと、狼を家畜化させた狼犬を狩りに用いたことも狩猟の成果を大幅に上昇させたようです」
そこで職員が一息置いて周囲を見回した後、今度は自分から質問を発した。
「どなたか、この綾部周辺で、主食としての稲作が始まったのはいつ頃からかご存じですか?」
メガネの少年がすかさず、したり顔で答えた。
「卑弥呼の時代には、すでにお握り味噌汁に香のものもありましたから、もっと前、五千年前ぐらいです」
「ブー、およそ2千年前の弥生時代になってからです。今の中国大陸から持ち込まれた籾が蒔かれて、たちまち日本全体に広まったもので、列島のすみずみで実を結びました。こうして綾部でも、米作りを基盤とした農耕社会が始まり、現在に至っています」
「でも、変ですね」
「なにが?」
「うちの家族の東北旅行で三内丸山遺跡の帰路、お店で縄文米のランチを食べたし、父は縄文ワインで酔っ払って・・・」
「それは、鉄文化の弥生人が東北の縄文人を駆逐しなかったからで、東北の山地には千五百年前までは縄文人がいたのです」
「先生! 縄文人を見たんですか?」
「私はまだ三十五歳、縄文人とは会ってません。それに、れっきとした市の職員で、先生などと呼べれたくないです!」
「怒ったんですか?」
「怒ってはないけど・・・小うるさいガキだな。親の顔を見たいもんだ」
引率の教師が会話に割り込んだ。
「私がその親です。教育が悪くて済みません。それに、ワインぐらいでは酔っ払いません」
引率の教師がバツが悪そうに頭を下げ、職員もあわてて頭を下げた。