7、犯人像

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7、犯人像

佐川鑑識課長が続けた。
「福井県越前市の3代目佐治武士(さじたけし)は、鎌倉時代末期に京都粟田口の御用鍛冶国安が武生に移り住んで伝えた伝統を守る刀鍛冶の父・春吉の元で修業して、このような山刀を作っています。彼は、二十代かで頭角を現し三十歳で自立して創作刀剣の制作に打ち込み、刃物では一番最初に国の伝統的工芸品の認定を受けたのが昭和54年、国の伝統工芸士として活躍中の七十一歳です。この渓流剣鉈(けいりゅうけんなた)は、全長三五〇みり、刃渡り二百ミリ、身厚五ミリ、刃幅三十五ミリ、重さ三百二十グラム、白紙多層鋼使用、製品によっては注文制作で三、四ケ月待ちはざらだそうです。なお、この凶器の一般市場価格は税込で一万六千八百円、猟師用の剣鉈を渓流釣師兼用に制作したもので、ご覧の通り、柄の部分の木部と刃の部分との境目に二十五度の角度が付いた、頑丈で切れ味も良いだけでなく、使用時に大きな力が発揮できる設計になっています」
西山部長が呻いた。
「余計な設計までしおって」
若い警官が発言した。
「一課巡査部長の沢辺です。今回の被害予定者である西山さんの肉厚の体型からみて、その山刀で背後から刺したのでは致命傷になるかどうか疑問です。私ならそれを用いず、少し刃が短く刃先の鋭い土佐の高知南国市の刀匠・四代目豊国こと濱口昌之作の四万十登山ナイフなど少し刃が短くて刃先の鋭い、しかも持っても目立たない凶器で、対面からすれ違いざまに胸を刺してすぐ人ごみに紛れて逃走します。犯人はなぜ確実な手を用いなかったか疑問です。佐川課長はどう思いますか?」
「私は鑑識です。人を殺す側の考えなど・・・いや、確かに西山さんの体型を拝見しますと?」
西山部長がとうとう本気で怒った。
「いい加減にしてくれ! わしを本気で殺すなら秋田県阿仁の鍛冶師・四代目西根正剛作・秋田マタギ愛用の又鬼山刀(またぎながさ)七寸でも持って来い!」
これは佐川鑑識課長には通じない。
「なんですかそれは?」
沢辺巡査部長が挙手して立ち上がり、指名されないのに得意げに語り始めた。
「又鬼(またぎ)の世界では山刀をナガサと呼びます。険しい山々を鬼のごとく猟をして暮らす又鬼が使う山刀は、木や枝を払い、獲物を仕留めて解体し、料理も捌く万能の道具出なければなりません。今、西山さんがおっしゃった七寸ナガサは、全長三百八十五ミリ、刃渡り二百十五ミリ、身厚五ミリ、幅四十五ミリ、重さ三百五十グラム、安来鋼に軟鉄を加えた鍛造刀ですから切れます。それに柄の部分を筒状に鍛造してあって長棒の先に着けてハンドルで固定し、熊を仕留める槍としても使われます。西山さんは、ご自分を熊に例えたのですね?」
「うるさい。誰が熊だと言った!」
佐川鑑識課長が冷静に矛先を変えて、長谷川刑事を指名して逆に質問をする。
「今回の場合、犯人は凶行に及ばなくても銃刀法で逮捕できますね?」
「当然です。ここにいる皆さんはほぼ全員承知のことですが、銃砲刀剣類所持等取締法によって、業務その他正当な理由がない場合は、刃体の長さが六センチを超える刃物の携帯は禁止されています。さらに、山でもキャンプでも釣り場や狩猟などで携帯する場合、目的地域に入るまでの移動の際は、必ずザッグなど荷物の中に入れ、絶対に裸で所持しないこと。これらに違反した場合、二年以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処せられます。さらに、軽犯罪法の規定もあり、刃長にかかわらず、正当な理由がなくて刃物、その他人の生命を害し、又は人の身体に重大な害を加えるのに使用されるような器具を隠して携帯していた者、については、拘留または科料に処せられることになっていいますので、刃物を所持していた犯人は、逮捕されて然るべき危険人物であったことになります」
西山部長が八つ当たりする。
「あんたら警察が早く逮捕しないから、わしの命が狙われ、バーバリーのコートが切り裂かれたんだぞ」
「バーバリー? アスパ館の春のバザールで超特価で買ったコートだろ? 本物か?」
「売る側が本物と言い、買う側が本物と信じれば本物だ。文句あるのか?」
「文句はないが、コートの件は命の恩人の市長と交渉しろ!」
ここで市長が沈黙を破った。
「コートは犯人が捕まったら本物で弁償させればいい。それより、警察の皆さん、刺客の手がかりはいかがですか?」
制服の警官が発言した。
「綾部駅前交番勤務の景山です。犯人の眼鏡がどの写真も光の反射が見られません。素通しですか?」
鑑識課長が応じた。
「そうです。素通しのだてメガネに間違いありません」
それを聞いた若い橋爪巡査が鑑識課長に食って掛かった。
「こうやって我々は疲れてるのに深夜に集まってるんです。鑑識課長は知ってることを全部ゲロってください!」
「本官を脅すのかね?」
「済みません、言葉が悪くて。では、知ってることを全部吐いてください」
署長が頷き、鑑識課長がしぶしぶ口を開いた。
「若手に勉強の機会を与えたのに残念です。では、鑑識の意見を申し上げます。あくまでも意見ですぞ」
「意見でも発表でも、何でもいいです。早く説明してください!」
「うるさいな、橋爪巡査。あんたらが市長に協力して犯人を捕まえてれば、こんな会議なかったんだぞ!」
「・・・すみません」
「まあいい。間違いは誰でもある。まず、三枚目の写真をよく見てください。大股で腰をかがめて人混みの中に紛れる犯人の後姿が映っていますね。それと周囲の人との背丈のバランスをよく見てください。つぎに一枚目、市長にコートの右襟をつかまれて腰を落として振りほどこうとして頭だけ見えています。髪の気は少し天然パーマ気味の癖がついていてヘアー用品は何も用いていません。三枚目の写真は歪んだ顔とコートの襟裏が見えています。このデジカメ原版を最大限にアップしたら意外なことが分かりました。西山さん、分かりますか?」
「そんなの分かるか!」
「そうでしょう。額の左おでこ部分にホクロが一つあります。それと・・・」
佐川鑑識課長が一息ついて勿体ぶって言った。
「襟裏に枯れ葉色の裏地が見えて、これが格子模様の一部だと判明、しかもボタンからバーバリーの英文字が出たのです。それと写真では茶系に見えますが、古いものですがまさしく英国製バーバリーのベージュレベル・トレンチコート・・・」
「なんだ、わしのと同じじゃないか」
西山部長を無視して鑑識課長が続けた。
「推定寸法は着丈百十一センチ、肩幅四十、袖丈は六十一センチで犯人には少しきついように見えます」
「あとは?」
「写真を隅々まで見ると手首から着衣や時計も、ジャケットはチャコールグレー、シャツは淡いうぐいす色のポロシャツ、センスはイマイチですな」
署長が焦り気味に聞いた。
「身長は?」
「推定身長百七十三センチ、体重七十五キロ、色黒で縮れ髪、広い額で右おでこにホクロ、うす茶のバーバリーコートにチャコールグレイの上着、ウグイス色のポロシャツ、時計はスイス製オメガ、手袋は茶に染めた未の裏毛でナイフの柄が滑らないように考えてます」
「よしっ! これで捜査開始だ」
署長が立ち上がりかけて、小太郎を見た。
「つぎは大橋さん。あなたは、何か犯人らしき者の気配をまだ感じませんか?」
「感じません」
これで会議は終わった。