10、新たな才能

Pocket

10、新たな才能

008.jpg SIZE:600x250(47.3KB)

カフェ・プントという店はすぐ分かった。
ちょっと洒落た、十五人が入れるぐらいの小規模の店で個室はない。デートには向いていないかも知れないが、モテているのを見せびらかすには都合がいい。だが、店内の客は女性だけだった。なのに小太郎は一人で店に入って、しまった! と思ったがもう逃げられない。
十人ほどいる先客の主婦や学生、年齢もまちまちな女性客がいっせいに非難の眼差しで小太郎を見つめている。ここは男だけで入ると法律に反するのか? その突き刺すような視線に耐えて空いているテーブルに座って卓上のメニューを眺めたが、頭に血が上ったのか焦点がぼやけている。
「お客さん。それ、裏ですよ」
コップで水を運んで来た長身でイケ面の店員が、気の毒そうに小声で告げた。
「いいデザインですね?」
あちこちで「プッ」と吹き出す声や「クスクス」と笑いながら女性客達は、今度は好奇の視線を小太郎に向けている。
「私は、このようなものの表装が専門でして」
と、応じたつもりで言ったのだが、店員はキッチンに戻ってしまったので独り言でしかない。
見かねたのか、高校生らしい茶髪の娘が「おじさんグラタンセットが美味しいですよ」と、自分の食べかけの皿を示し、キッチンに向いて叫んだ。
「店長、そうですよね?」
「ああ。美味しいって評判だよ」
店長は先ほど小太郎に水を運んで来た男だった。
「そうですか? じゃあ」
おじさん、と呼ばれた屈辱に耐えてオーダーしようとすると、それを主婦グループが遮った。
「お兄さん。ハンバーグセットにしなさい。これが一番ですよ。ねえ、コック長!」
「うちは美味しいものしか出しませんよ」
料理作りに専念していた、これもイケ面のコック長が応じた。
この店はイケ面二人組の経営で女性客が定着しているのか?
「でも、リンゴジュースの量が少なすぎて味なんか分からなかったわよ」
「済みません。こんど少し増やします」
どさくさに紛れて自分を有利にする。これが主婦の知恵らしい。
勤めを休んだのかOL風の娘が、「ここはパスタの店です」と毅然と告げ、麺をフォークでくるくると器用に丸めて美味しそうに目を細めて大きく開けた口に入れた。
主婦に、自分のアドバイスを上書きで消された茶髪の娘も黙ってはいない。再びグラタンへの変更を小太郎に迫って来る。
高齢で品のいいご婦人の二人連れの一人が参戦した。
「皆さん。すこし静かになさい。この店は、どれもこれも美味しいではございませんか? でも一番はオムライスです」
そこからはグラタン、オムライス、パスタ、ハンバーグ、店内が騒然となって毒舌応戦の世代争いになった。
食事が済んだ皿を見ると世代も何も一つテーブルで様々なのに、争いとなると団結して学生はグラタン、OLはパスタ、主婦はハンバーグ、高齢婦人はオムライス、その名誉とプライドを賭けての醜い争いになった。まるで中東の和平が一発の銃声で壊れたような騒ぎに何事か、と店内を覗いている通行人もいた。突然、見るからに上品な高齢のご婦人が立ち上がってテーブルを拳で叩いて怒鳴った。
「うるさい! だれもかれもたかが食べ物でムキになって。東京から来たコンサルタントの先生に失礼ですよ」
これで、店内がしゅんと静まり返って不気味な静寂が流れ、全員が言葉もなく疑わしそうな目で小太郎を見つめている。
イケ面店長が長身の腰を折るように恐縮した表情で現れ、小太郎に頭を下げた。
「申し訳ありません。どこかで見た顔だと思ったらパソコンでした。市の広報で市長と握手してましたね」
思えば、あの握手が間違いの元だった。今さら市長を恨んでも始まらないが、逃げ出すのもまだ早い。
「この綾部市に人口が増えれば、この店も客が増えます。なにとぞ、宜しくお願いします」
事情を知らない高校生が、品が良さそうで良くなかった高齢のご婦人に聞いた。
「おばさん。このおじさん、一体、なんなの?」
おばさんと呼ばれたオバアさんは気を良くし、おじさんと呼ばれた小太郎は気分が悪い。
「おれは、まだ二十三歳と十ケ月だぞ!」と怒鳴りたいが、コンサルタントと言われた以上、年齢は高いほどいい。
ここからは我慢の連続になる。
高齢のおばさんが入れ歯をがたつかせながら、とうとうと説明する。
「三十年前に五万だった綾部市の人口が今や三万五千人、これを元に戻すためにこの方は東京から奉仕の心で現れたのです」
「奉仕? では、無料ですね!」
主婦の一人が真剣な表情で小太郎に聞いた。
「わたしは、まだ四十そこそこなのに、家庭では未亡人のような生活です。お願いできますか?」
「私には意味が・・・」
「あら、違うんですか?」
主婦はほんの少しだけ恥じらいを見せて言葉を飲み込んで席に戻り、仲間にひそひそと囁くが小太郎には聞こえている。
「あの人、タネ馬だと思っちゃた」
「まさか? 一万五千人は無理でしょう」
「でも、人は見かけによらないと言いますわ」
「きっと何か秘策があるのね」
秘策などあるわけない。小太郎は空腹だが逃げようとして立ち上がった。幸いにまだ注文もしていない。
「お待たせしました」
コック長と店長が、両手いっぱいに料理の皿を持って運んできてテーブルいっぱいに並べ、頭を下げた。
「お客さん。ランチ一人前千百円、これだけ払ってください。とにかく定住者をじゃんじゃん送り込んでください」
見ると、グラタン、オムライス、パスタ、ハンバーグ、パン、焼きカボチャ、苺乗せヨーグルトにシーザーサラダ・・・。
後から入って来た客は、大食い選手権の予行演習だと思ったらしい。満員の女性客が小太郎を囲んで時計など眺めている。
小太郎も運が悪かった。逃げ出すにには空腹過ぎたのだ。もう、こうなれば食べるしかない。
ついに小太郎がパスタから食べ始めた。グラタンでは熱すぎるからだ。
「始まった!」
「一時三十五分スタート!」
「頑張って!」
そこからは全く記憶にない。黄色い声援やら梅干色の声援などに押されて夢中で食べているうちに皿が空になった。食べ終わってみるとどれもが美味だったので、まだまだいけそうな気になる。これはマラソンで感じるランナーズハイと同じだ、と小太郎は思った。
「うわあ、完食だあ」
「たった二十八分、三十分切ったわ! 新記録ね」
初めての出来事に新記録もない。それでも全員で拍手、小太郎はぐったりして動く気もしないし働く意欲も失せていた。
「素晴らしいですね。いいものを見せて頂きました。ここはわたしが、この人の食事代を・・・」
上品さを回復した老婦人が財布を出すと、主婦も黙っていない。
「ここは、わたしが」
OLとなると、この男でも婚活候補のうちという本能が働くから絶対に譲れない。
「完食したこの人と、頬をつけて写真を撮る権利を全員でセリに賭けませんか?」
こうなると競争心とか意地が絡んで話が難しくなる。食事代立替の話はここで消えた。
そこで百円からセリが始まった。学生と老婦人は早々と降りたが、OLと仲間割れした主婦同士が争い、二千円まで一気に走ってそこで止った。
その時、穏やかにコーヒーを飲んでいたミツエと呼ばれる瞳のきれいな若い主婦が初めて参戦し、「三千円」と声を上げた。
思わぬライバルの出現に驚いたタネ馬主婦がすぐ「三千二百円」と叫んで抵抗した。
ミツエがすかさず「一万円」と手を上げてセリは終わった。もう誰も対抗できないと諦めたのだ。元日の築地の初セリではマグロ一尾が一億五千万、小太郎の価値は一万円、こんなものなのだ。
ともあれ、ミツエは一万円を小太郎のテーブルの上に置き、携帯をタネ馬誤認の友人に手渡し、写真を撮るように頼んだ。
ミツエさんは「動画でね」と、注文をつけ、誇らしげに右手でVサインを造り、長い髪を横に寄せて小太郎に頬を寄せた。
小太郎の鼻腔に淡い香水の匂いが快い。小太郎は大きく息を吸った。
「わたしは大島一丁目の・・名前はなしね。本日、東京から来て綾部市の人口を増やす魔術師の先生を落札しました」
逃げようにも満腹で体が重くて動かない。いつの間にか魔術師にされている。
すると、「あたしも大食いチャンピオンと一緒に」「あたしも・・・」と来客の殆どが小太郎と写真に収まった。
なんのためのセリだったか、これでは意味がない。結局一万円はまたミツエの財布の中に戻った。
先刻、大声で怒鳴った老婦人がレジに行き、小太郎の代金までを払うと言ったら店長が丁重に断った。
「コック長と賭けをして完食できないほうに賭けて見事に負けました。あのお客さんの料金は頂きません」
「わたしたちも楽しませて頂きました。この奇想天外なパフォーマンスを店長さんがお考えになったのですか?」
「いえ、自然の流れです」
「今度は量を倍か三倍にして企画してください。
「お客さんと相談してみます」
会話が小太郎につつ抜けだったから小太郎が怒った。
「いい加減にしてくれ。今日と同じメニューぐらいならまた来るぞ!」
店長が複雑な顔で奥に引っ込んだ。コック長と何か相談するのかも知れない。
多くの女性客と写真に収まった小太郎だが、滅多にないことだけに本人も悪い気はしない。こうして小太郎は、「大食い」という、新たな可能性に気づいたのだ。
(これは、武器になる)
ただ、この才能が吉と出るか凶と出るかは神ならぬ身の知るよしもない。