6、平和は綾部の表看板

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6、平和は綾部の表看板

新年早々の結婚式に出席した一行が、綾部八幡宮からほど近い小料理屋”花美”で飲めや歌えやの結婚披露宴を兼ねた新年会を開いたことは絶対にオフレコにしなければならない。これが一般に知られたら大変なことになる。なにしろ、元殺し屋の披露宴に綾部の市長と警察署長の他に、商工会議所の専務理事がお忍びで参加していて、酔うほどに口も滑らかになり、山下という名など忘れて、始めのうちは{元」を付けていたのが、いつの間にか元が消えて花婿を「殺し屋」と呼んで憚(はばか)ることがない。さすがに、ミツエママ達女性陣は遠慮があるから敬称をつけて呼ぶ。
「さあ、殺し屋さん、もう一杯!」
ついにこの男・山下寅二郎は、誰も殺してなどいないのに「殺し屋」と呼ばれ、本名は誰にも覚えられないまま綾部で暮らすことになる。
ご機嫌の川崎市長が、笑顔で西山部長の肩を叩いた」
「隆夫、よかったな。殺し屋でも何でもこれで定住者を一人増やした。大手柄だぞ!」
綾部市役所の部長級年収と、どう釣り合いがとれるかどうかは知らないが、ひとまず住民が一人増えたのは確かだった。
「これで、高齢出産で子供が出来ればまた一人増えて万々歳だ。殺し屋夫婦頑張れよ」
新川署長が、何を励ましたのか激を飛ばすと、中上常任理事がクールに祝辞を述べる。
「殺し屋の下山、いや、山下さんが寝返って市に協力してくれたおかげで、この四月の人事異動で県警本部に栄転で戻る新川署長も大手詐欺団撲滅という大手柄ででかい顔が出来るし、ここの川崎市長だって自らの手で殺人事件を未然に防いで二人の命を救ったからな」
共栄レンタカーの上山社長が余計な口をはさむ。
「隆夫君が市長に命を救われた”もみじ祭りの乱”は巷間で知られてます。市長に人命救助の警視総監賞は?」
「出さん!」
ここで、長谷川刑事が断固として邪魔をした。
「市長には綾部署員が二人もケガをさせられている。軽傷だが本来なら傷害罪だぞ」
「なにもそこまで・・・」
新川署長が取り成したが長谷川刑事は引き下がらない。
西山部長が納得したように頷いて言った。
「長谷川は綾部高校時代、期末試験で川崎からカンニングしたのがバレてえらい目に遇ったことがあったな。まだ恨んでるのか?」
「恨んではないが、あれは川崎が悪い。後ろから覗いたら隠しやがった。それで首を伸ばしたところを試験官に見つかって0点にされた」
「わしは、隠した覚えなんかないぞ。自業自得なんだから勝手に逆恨みなんかするな」
「少しばかり頭がいいからって、女にもてやがって!」
西山部長が呆れた。
「なんだ。おまえ、妬いてたのか? それでも刑事まで出世したんだ。もういいじゃないか。警視総監賞も出してやれ」
新川署長が真面目に応じた
「わしは申請する気だったが、長谷川刑事! あんたが反対したんじゃ」
川崎市長が茶碗酒をあおって苦笑いした。
「いまさら賞など何もいらん。それより長谷川! 犯罪を未然に防いだおまえに市長賞を出そう」
「ほんとか!」
これで、この話は冗談で終わったはずだが、長谷川刑事はしつこく賞にこだわって川崎市長に迫った。
「弱ったな。酒の上の戯言だよ。長谷川だってこんなので賞は出せんぐらいわかるだろ」
それでも長谷川刑事は刑事の習性でか、ねちねち迫るから市長も面倒になって投げやりになってくる。
とうとう根負けした川崎市長が「個人的だぞ!」と断って、長谷川刑事に「市長賞」をこっそり出すことに決めたらしい。
生まれてこの方、賞と名がつくものは皆勤賞すら貰ったことがないという長谷川刑事だけに嬉しさで目が潤んでいる、
これで、小太郎にも密約が推測できたのだ。ただ、実際に賞が贈呈されるかどうか、そこまでは関心がない。
ともあれ、全員が満足して目出度い一日が終わった。
翌朝、一月四日はまだ休日だが、綾部市の新春は初詣から始るのが通例となると取材も必要になる。
中上専務理事の指示は、初詣、新年会、凧揚げ、百人一首大会の取材だが、まず最初の初詣から驚いた。綾部八幡宮での山下夫妻の神前結婚式は正月三日で、初詣の参詣客が少なくなるから神社で行えたというが、あの日の沢山の人出も元日の二十分の一と聞き、あの二十倍の人出を想像するだけでも眼の玉が飛び出るほど恐ろしい。
東京では「初詣に行った」ことが自慢なのに、綾部では初詣に行かない人などは病人以外は絶対にいないと聞いている。それが真実であるらしいのは取材して確認している。なにしろ、神社仏閣が綾部市内だけで百二十以上もあるのだから誰もが複数の神殿に手を合わせての初詣のはしごがあってもおかしくはない。
正月四日はまだ仕事休みだが、小太郎は早朝から自分自身の初詣を兼ねて大本教、別所町の別所熊野神社、高倉町の高倉神社、並松町の熊野新宮、館町の赤国神社、物部町の須波伎部(すわぎべ)神社などを巡って、元日の初詣客の動向などを取材したのだが、どの神社仏閣でも参詣客は 例年より多いという。とくに元旦の歳旦祭を行った高倉神社の人では例年をはるかに上回る初詣客で賑わったと聞いた。
初詣に近い行事では、元日の早朝、寺山山頂の平和公園で行われた平和祈願・市民の集いがある。ここでは、綾部ボーイスカウト団長による国旗と綾部市旗、さらには世界連邦旗掲揚に続いて、川崎市長の年頭スピーチ、東日本大震災など災害の供養、新春を迎えての世界平和と世界、日本、綾部市民それぞれの無事息災を祈願し、山頂を訪れた市民を交えての綾部市の市民憲章を朗読唱和、さらに、市長からのボーイスカウト、ガールスカウトへのお年玉送呈があるので、大勢の人が初日の出の参拝を兼ねて続々と寺山に集まり、その帰路の流れで近くの若宮神社と大本教が初詣客で賑わい賽銭箱が潤うという図式になる。
そんな話を聞いて、中上専務理事から与えられた市内地図を見ると、なんと平和の鐘、平和の塔、平和のモニュメント、平和の像と、綾部の中心部は平和だらけ、祭りだらけ、寺社だらけに続く三つ目の”平和だらけ”の謎が小太郎の頭を混乱させ狂わせている。今までもそうだ、狂った大脳を正常近くに戻すには実際にこの目で確かめるしかない。もしかして平和の塔が、この綾部市生まれの足利尊氏が馬上で弓を構えた勇ましい像である場合だってあり得るのだ。なにしろ平和への年頭メッセージを公開した川崎市長が、実は合気道の達人で争い事には極めて強く、過去には幾多の武勇伝を・・・おっと、これは善良なる市民には聞かせたくない内緒話で小太郎と長谷川刑事以外には誰にも知られていない極秘事項であり、秘密は絶体に守らねばならない。第一、綾部に来て殺し屋に狙われた次に名誉棄損で訴えられるなど割に合わな過ぎる。ここは守秘義務を守るのみだ。
小太郎はコンビニ弁当でお昼を済ませた後、まず”平和の塔”から見て回ることにした。
車で八号線を走って丹波大橋を渡りながら橋下に中洲のある雄大な由良川の流れを眺め、味方バス停前のT字路を右折して二十七号線を少し進み、森下住建先を左折して紫水ケ丘公園に向った。すぐ近くに味方町公会堂や京綾部ホテルが見え、公園の斜面に枯れた樹木に囲まれて何やら白く大きな塔がある。駐車場に車を置いて歩いて数分、平和の塔はまさしく平和の塔で、足利尊氏とは縁もゆかりもないことが理解できた。
モニュメント下の説明版によると、昭和二十五年に綾部市が世界連邦都市宣言を行った世界平和を願う市民の願いと、戦争で尊い命を失った英霊のための”平和の塔”が建てられていた。この塔は高さ十・九メートル、真白な円柱の鉄筋コンクリート造りに、金文字で市のマークと平和塔の文字が記されていて、それが午後の淡い冬日に映えて紫水ヶ丘の景観に花を添えていた。
なるほど、これなら綾部の平和運動のシンボルとして市民に親しまれているのも納得できる。
小太郎も何となく平和主義者になれたような満足感で帰路についた。
次は”平和の鐘”のある平和公園に行かねばならない。
平和公園は自分の住むアパ-トから近いこともあるが、車で近くまで行き、グンゼ創立の波多野記念碑横の山道からあちこちに雪の残る山道を登って二十分そこそこで山頂に着き、ほとんど疲労感もない。ただ、歩いている時は寒さを忘れていたが、頂上は北風が吹き抜けて厚着の上にコートなのに寒さが身に染み、早々とこの場を立ち去ることに意識が向いていた、
平和の鐘は、小太郎の想像した優雅な鐘ではなく、高さ約二メートル、音叉の形の力感に溢れたステンレス製の逞しい作品でした。この平和の鐘は、昭和25年誕生の綾部市30周年の昭和55年の記念事業として、シンセサイザー音楽をセットした音響装置などを組み込んで造られたもので、鐘の周囲は平和の象徴であるハトが南北に翼を広げた形で、その剥き出しの鉄骨が綾部の自然によく似合っていた。
ここでは、元旦の世界平和の会に続き、毎年八月十五日の終戦記念日には”綾部市民平和祈願の集い”があり、この鐘が鳴るという。
しかも、毎日の朝夕、この近距離市内には、かの有名な三枝成彰作曲になる穏やかな平和のメロディーが市内に流れると聞いて小太郎は納得した。いつもどこからか流れる音楽を毎日、目覚めてから聴いているからだ。
小太郎は、綾部市の市民憲章なるもも入手している。その内容には崇高な郷土愛が込められていて感動的でさえあった。およそ北千住だけでなく東京都内に住む人で、郷土愛とか区民憲章とかを論議する空気すら感じたことがない。小太郎は羨ましい気持ちで声に出してみた。
「私たち綾部市民は、丹波の美しい山河と豊かな伝統をもつ、ふるさとを誇りとし、郷土愛に燃え、自然と人間が真に調和する、新しい田園都市の実現を目指して、ここに市民憲章を定め、これを守り実行することを誓います。
1.平和をねがい、祈りのあるまちにしよう。
1.自治を高め、心のつながりのあるまちにしよう。
1.教育をたいせつにし、文化のかおりまちにしよう。
1. 環境をととのえ、健康のあふれるまちにしよう。
1.産業をおこし、豊かなくらしのあるまちにしよう。
1.計画を定め、輝かしいあしたをひらくまちにしよう」
もう、これで小太郎の平和探訪は終わった。綾部市は紛れもなく平和宣言の市に間違いなく、ここから戊辰戦争のような内戦は起こり得ないことが理解できた。
あと、綾部市中央公民館玄関前には、ブロンズ製高さ三・六メートルの女神像があるのを見たことがある。
その時は何とも思わなかったが、いま考えると、平和のシンボルであるハトを大空高く放つ姿だったのだ。
そこには、「われわれ綾部の青年は都市宣言を誇りとし、世界人類の恒久平和を願いここに平和の像を建立する」とあるらしい。
あと一つ、小太郎が見慣れた駅前のモニュメントもたしか「平和・・・」と名があったような気がした。
気になると眠れない性質だけに行くしかない。
平和公園のある寺山から一度家に戻り、炬燵に丸くなって冷えた体を温め、夕飯を外食にすることに決めたら、とたんに五目ラーメンに半チャーハン、餃子付に生ビール・・・これで車には乗れないから寒風沁みる夕暮れの散歩となる。
JR綾部駅南広場にあるモニュメントの銘板には確かに”平和のモニュメント”とあった。これで安心して眠れるしビールも飲める。
これは、綾部市制50周年の記念事業として市民参加で市の駅南広場整備に合わせて設置した彫刻作品と同時に制作された高さ三メートルの作品で丸い台座の上に設置され、銀色に輝く丸い球体と逆三角形の異形組合せで、改めてよく眺めると、そのアンバランスな彫刻物が互いに助け合って平和を保っているようにも見えるのが妙に説得力があるようにも思えた。
ここの説明をそっくり借りると、丸と三角は異なる人種や国家、宗教などを越えての平和な世界を表現し、球形は地球を、三角は人をイメージしたものとなっているらしく、台座は世界連邦のマークだそうで、理論好きの綾部市だからこその作品だと小太郎は思った。
なお銘板には「綾部市は一九五〇年、日本で最初の世界連邦都市宣言をおこなった。私たち綾部市民は、これを誇りとして二千年、綾部市制五十周年を記念し、ここに世界人類の恒久平和を願い、平和のモニュメントを建立する」と、あり、ますます平和都市綾部の面目躍如たることを確認し、寒さに震えながらすぐ並びのラーメン屋に向った。なんだか小雪がパラついている。