6、綾部署の実績

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6、綾部署の実績

「犯罪の少ない綾部だが、平成十七年の秋、身元不明の五十五歳前後の男の死体が山中から見つかったことがあったな?」
「覚えてるよ」
「その翌年の夏、同じようなところから四十歳ぐらいの女の死体が出て、二人とも殺害されて破棄されたと噂されたが被害者の身元も犯人も分からず仕舞いで迷宮入り。多分、他県から運び込まれて破棄されたのだろうと推測されたものだ」
「迷宮入りといえば平成九年ごろだったか、市内味方町の紫水ケ丘団地での主婦殺害事件も凄惨な事件だったぞ」
「そうだ。あれも迷宮入りだった」
荒巻刑事が呆れた表情で二人の会話に水を差した。
「全く綾部警察は何をしとる! 綾部で起きた事件は」
「そう言われても本官の赴任前の事件ですよ」
西山部長が遠くを見つめる目で言った。
「それにしてもあれは酷かった。夫と子供を送り出して家事をしていた主婦が、朝の十時ごろに裏から留守宅と思って物取り目的で侵入してきた犯人と、一回の居間でぱったり顔を合わせて仕舞い、刃物で襲われ、抵抗したが心臓を刺された傷が致命傷で、エプロン姿のまま芝生の庭に逃げたが出血多量で力尽きた。それを学校から帰宅した中一の長男が発見したのだが辛かったろうな」
荒巻刑事が長谷川刑事を皮肉った。
「あれから、京都府警で起きた事件は必ず迷宮入りになる、と警視庁でも噂になったものだ」
「でも、その事件は、今でも新川康博署長自らが陣頭指揮で、当時見逃した手がかりや目撃証言を求めてビラ配りをやってますよ」
「まさか? 十年をはるかに超えているあの事件をか?」
長谷川刑事が息巻いた。
「時効寸前一秒前までに逮捕できれば、何年経っても構わん。これが京都府警です」
荒巻刑事はさすがに呆れ顔で、壁に張った禁煙の文字を眺めながら旨そうに紫煙をくゆらせ、呟いた。
「この二人が消されても、迷宮入りだな」
小太郎が聞きとがめた。
「消すって、まさか警察がわれわれを見捨てるなんてないですよね?」
「それは、あんた方次第だよ」
「冗談じゃない。もしかして、荒巻さん! あなたが刑事に化けた殺し屋だったら?」
荒巻刑事が呆れ顔で小太郎を睨んだ。
「やはり、おまえさんは本物のバカだな。本物の刑事を疑ってどうする?」
だったら警察手帳をちゃんと見せてください」
「不本意だが、提示を求めたられたら見せないとな」
荒巻刑事が紐で身体につないだ警察手帳を取り出して小太郎に見せた。西山部長は一瞥しただけで興味はないらしい。
「これって、黒い表紙に旭日章と警視庁や京都府警察などの文字が金箔捺しであるはずですよね?」
「それは古いタイプだよ。黒は偽物、本物は黒茶だよ。今は手帳の表面に文字やマークは一切無くなった。それを開いてみなさい」
表紙を開くと制服脱帽の上半身の写真、警部補と階級、荒巻八兵衛の名が日本語と英語で併記されている。
さらに何の番号だか数字が並び、直径三センチほどの旭日章を貼付した樹脂製カード型身分証票があった。
上部には「POLICE」の文字、下部には警視庁、中央には金と銀のツートンで旭日章があった。
「へえ、これが本物か? 疑ってすいません」
小太郎が丁重に返すと、荒巻刑事が言った。
「以前は警視庁の出張は二人連れだったが、今では地元警察と組むのが通例で、県警との連絡も密でニセ者のに介入する隙はないよ」
今度は荒巻刑事が小太郎と西山部長に訊いた。
「あんたらは千住駅のホームで、何故、駅員がくるまで待てなかったんだね?」
「線路に落ちた男と子供連れの女は、来た電車に乗って消えちゃったし、我々が待ってても仕方ないですよ」
「どこ行きの電車か覚えてますかな?」
「えーと?」
「北千住駅16時25分発取手行き。それに乗った一味は、松戸駅で降りて逃亡した。いま行方を追ってるがね」
「一味って?」
「やつらに狙われた視覚障害者は、北松戸の団地に住む鍼灸師で、女はその男に近付いて偽装結婚、幼児は連れ子だった」
「それがなぜ北千住に?」
「東武線の鐘ケ淵に上客がいる設定の芝居で、破格の料金で出張治療を依頼し、その帰路を北千住駅で待ち伏せした」
「では、あれは計画的ですか?」
「当然だ。義理とはいえ子煩悩な父親を見つけた子供は、母親が走っていいといえばホームの人ごみでも走るものだ」
「でも、父親を突き飛ばすなんて」
「父親に背後から抱きつこうとする少し手前で、幼児の足に一味の一人が靴先を当てるとどうなる?」
「つんのめって父親の尻に激突するかな?」
「そうなると父親は線路に落ちるだろ?」
「目が見えないから大変ですね」
「這い上がれないで電車に撥ねられ即死する。これが筋書きだ」
「ひどい話ですね?」
「だが予期せぬ誤算が生じた。子供が転落しそうになったのと、それを救助する邪魔者が現れたことだ」
「おれの行為は、彼らにとって迷惑だったってことですね?」
「そうだ。迷惑どころか組織全体を危機にさらしている」
「なぜです?」
「届け出がなかったことで疑いをもった我々警察が動き出したからだ」
「まだ被害はないのですね?」
「成功していれば、身内のいない鍼灸師の高額な財産や多額の保険金ほ全部一味に入り、女には配当金が支払われた」
「そんな!」
「しかも、計画的で合法的で、三歳の子も悪意がないから誰も罪に問われない」
「殺人入りの新手の詐欺ですね?」
「事故死だから、結婚期間の短かい子連れ女は同情されるだけで詐欺にもならんよ」
「毎回、同じ手口ですか?」
「毎回、筋書きは違うが役者は同じで、このグループと思われる犯罪が七件、組織で動くから始末に負えんのだ」
「今回は望まぬエキストラの参入で、芝居が大きく壊れたってことですね?」
「それどころか、子供を失いかけた女が半狂乱で、組織を抜けると言いだしているらしい」
「なぜ、それを?」
「松戸駅で先に降りた幼児と女と二人の男を乗せたタクシーの運転手も、女の狂乱ぶりを証言している」
「タクシーは鍼灸師も一緒に?」
「とんでもない。タクシー乗り場に先に行き、家に先に帰って何食わぬ顔で鍼灸師を迎えるのだ」
「二人の男は?」
「お目付け役だから、女を送り届けてそのまま松戸駅にUターンしている」
「人相も分かったのですね? 逮捕しましたか?」からは
「推測で逮捕は出来んよ。彼らのアジトが分かるか、つぎに動くまで張り込みで鍼灸師をマークするしかない」
「下手すると、鍼灸師は殺される運命ですね?」
「その女も不要になれが子供もろとも消されるだろうな」
「何とかならんのですか?」
「警視庁で守るから大丈夫だよ。ただ心配なのは・・・」
「何です?」
「西山さんと大橋さんの命は、綾部署が守れ切れないかも知れませんぞ」
「そんな!」
小太郎は少し緊張し、西山は「あり得ないよ」と笑おうとしたが目は笑っていない。
「笑い事じゃありませんぞ」
荒巻刑事が真顔になった。
「一味の殺し屋がこの綾部に入っても、そいつらの顔を警察の誰もが知らんのです」
これでは楽天家の西山部長も少しは緊張せざるを得なかった。