6、バラまつり

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 6、バラまつり

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それにしても話が違いすぎる。
朝晩一回だけ出勤して、気付いたことを「報告すればいい」、なんて話がうますぎた。
今朝も、役所に寄って西山を助手席に乗せたところで中上専務理事から電話があった。
「言い忘れたが、明日は当商工会議所が事務局を務める綾部市の産業まつりだ」
「そういえば昨日、一階で看板を書いてました」
「明日は一階は臨時の警察警備本部になる。その前の道路がイベント会場になるんだ」
「賑やかになりそうですね?」
「年に一度のことだからな。全会場を巡って写真を頼むぞ」
「全会場って? 場所は商工会議所の前だけじゃないんですか?」
「メインは市役所前広場だが、商工会議所下の一番街から北に二番街、三番街と西町タウン全体が会場になる」
「人も出ますね」
「全部まわって写真を撮った上でレポートも出してくれ。商工会議所ニュースに載せるからな」
「そんな無茶な。今日はまだ二日目ですよ」
「だから何だ? 明日は三日目、明後日は四日・・・」
「分かりましたよ。デジカメで押さえて、あとで書きます」
「それと明日の朝・・・いや、あとで加納秘書から連絡させる。じゃあ、頼んだぞ」
そこで電話が切れた。全く意味が通じないが、ただ、これは大変だ、という思いはある。
いざ来てみるとグンゼだけでも見ること聞くこと知りたいことが多すぎて時間が足りない。
勝川部長代理の案内で、世界中の桑の木約四百種を集めて栽培しているという桑の苑(くわのその)を歩いただけでくたくたなのに、
記念館で創業者の方針や会社の業績や歴史を聞かされ、一応はメモをとるが頭には残らない。
グンゼが、いかに絹の輸出から始めて近代化の波に乗り世界的企業に変身したか、と聞かされたところに西山部長の携帯が鳴った。
「急用? 市長から呼び出しか? すぐ戻りますよ」
これからバラ園からグンゼ博物館に案内するという勝川の言葉をさえぎって、西山が言った。
「急用じゃ仕方ない。残念だがあとは頼みます。ま、ここの話も百回以上聞いてますし」~ 小太郎の見るところ、西山の表情には残念どころかホッとした安堵の気持ちがにじみ出ている。
西山が帰り際に勝川と小太郎に言った。
「仕事終わったら二人とも、中の町のあず木で会おう。六時頃がいいかな」
勝川は頷いたが小太郎には意味が通じない。
こうして西山は、運転手付きのグンゼの車で送られて役所に戻って行った。
西山が去ってから勝川が説明した。
「あず木って店は、役所からも商工会議所からも近いから西山部長には都合がいいんですよ」
「でも、私は場所を知りませんが?」
「心配ありません。事務所に戻れば、中上さんが待ってますよ」
「どんな店ですか?」
この小太郎の質問に、今まで硬い口調だった勝川が急に明るい表情になり饒舌になった。
「魚菜酒房・あず木は、並の居酒屋とはちょっと違ってましてな。オヤジの料理に工夫がありましてな」
なんだか別人のようになっている。
「家庭では味わうことの出来ない“創作料理を”本日のお造り”なんて出してくれるのが嬉しいねえ」
そこで、あわてて我に返った様子で口調を元に戻した。
「次はバラ園と博物博物苑にご案内します」
その声の調子が小太郎には、もう仕事などどうでもいいような口調にも聞こえた。
グンゼ記念館を出て正門前の横断歩道を渡ると、そのまま進むとグンゼ博物苑の広大な敷地内に入る。
右手にある六十台可の駐車場には観光バスも停まっていて、週末のせいか人出も多く家族連れなどでかなり賑わっている。
「このバラ祭りは明日まで開催、主催は市民団体の綾部市バラ会、市も予算を出して後援し、グンゼも協力しています」
小太郎はまず、広大な敷地にところ狭しと咲き誇っているバラの種類の多さと華やかさと、その香りに圧倒された。
「西山部長が、アンネなんとか言ってましたが?」
「アンネ・フランクの家族から贈られたバラの種苗を、世界平和の象徴としてここから全国に広めています」
世界平和ですか、いいですね」
バラの一本一本に何やら札が付いている。見ると、金字で「市長賞受賞」などとあり町名・氏名などが書いてある。
「所有者の名ですか?」
「バラの花の種類と独自のネーミング、その下の名札は所有者のお名前です」
勝川の説明によると、市民や観光客が購入したバラをわずかな管理費で預かって育てているとか、この場に苗の即売場もある。
「これはオールドローズの一種でアルバ・セミプレナという五十年ほど前に人工交雑によって育成された四季咲きのバラで、ご覧の通りの大輪の派手な花を咲かせます。こちらはブルボンローズという一季咲きで豪華さはありませんが、優雅な花の色や豊かな香りが好まれています。こちらは多彩な花の形に特徴のあるバラで、英国生まれですからイングリッシュローズと呼ばれる、やはり五十年ほど前の品種ですから、オールドローズタイプのモダンローズということになります。この背の高い樹木のようなバラは・・・」
延々と説明が続くが小太郎には猫に小判でさっぱり通じない。バラといえば、たまたま友人に連れられて群馬県渋川の日本シャンソン館で、歌唱力抜群のベテラン歌手・仲マサコさんの歌った「百万本のバラ」を覚えているぐらいで全く縁もゆかりもない。それだけに、これだけのバラに囲まれて園内を歩いているだけで目まいがしてくる。
ホワイトクリスマス、マキシム、ミスターリンカーン、オリンピックファイヤー、オレンジバニー、いちばん星など口から出まかせとしか思えないバラの名前が勝川の口から出てくるが、小太郎にはさっぱり通じない、いや、聞いても何も分からないのだ。
それでも、なにか言わないといけないと焦って「このバラは?」、これが悪かった。勝川が得意になって話し始めたのだ。
「これですか? これはツルバラの一種で、クライミングローズとも言いますが、ご覧の通り長いツルのような枝を出します。これをアーチやフェンスに絡ませて、人が潜れるようなバラのアーチやトンネルをつくるんです。ところで・・・」
勝川が小太郎の顔を見て続けた。
「大橋さんは、バレンタインデーに黒いバラを貰ったことがありますか?」
「バラどころか相手がいませんから。それに、黒いバラなんてあるんですか?」
「ここにはありませんが、厳密には赤が極端に濃くなって黒く見えるだけです」
「じゃあ、詐欺ですね?」
「さあ? ともあれ、十数年前にこれが出たときは大騒ぎでした」
「それと、バレンタインデーとの絡みは?」
「赤いバラの花言葉は”愛してます”です。ご存知ですね?」
「知りません」
「黒バラの花言葉は、恨みと憎しみですが、今は、貴方は私のもの、それでバレンタインに使われ始めたのです」
「男からは?」
「おれに付いて来い! です」
「なるほど、一生に一度ぐらいは渡したくなりました」
「そんなこと言わずに、義理チョコ代わりに片っ端から上げればいいのです」
「嫌われませんんか?」
「頬っぺたは叩かれるけど貰っては頂けます」
「やはり、やめます」
「バラを頂くとしたら、大橋さんにも好きな色はありますか?」
「赤いほうが・・・いや、貰えるなら義理チョコでも、食べられるほうがいいです」
「やっぱり。モテるわけがありませんな」
勝川が、哀れみの目で小太郎を見た。
結局、ここで小太郎の記憶に残ったのは、黒いバラの花言葉だけだった。