4、帰去来

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4、帰去来

綾部の春は梅祭りや桜祭り、やはり祭りで始まって祭りで終わるらしい。
小太郎の知る限り、これだけ何にでも祭りという二文字を多用する市町村など綾部市以外には思い当たらない。
梅が咲く前も咲いた後も当然ながら間断なく祭りは續いてゆく。
「大橋君!」
中上専務理事に呼ばれれば瞬間的に毎回同じ返答が口を突く。
「また祭りですか?」
この返答も最近では言い方が変わった。
「今度はどこですか?」
取材対象の殆どが何らかの祭りだからこれで通じるのだ。
とはいえ祭りにもいろいろあって、神社仏閣が絡むとは限らない。
「これからは花祭りだ」
「花ですか?」
「梅から始まって、桜、バラ、菊、つつじ、あじさい、と花の季節が続くと綾部は活気づくんだ」
小太郎は、花は全国どこにでも咲くのだから中上専務理事の大げさ言い方にも馬耳東風、気にもしなかった。
ところが、梅が咲き初めて驚いた。
綾部市全域が梅祭り一色で、どこに行っても梅まつり、桜まつりの話題が出るのだ。
三月初旬の日曜日、綾部八幡宮内の綾部采女稲荷の月遅れ初午大祭梅まつりがあり小太郎はそれに参加した。瓢箪池を囲む紅白の華やかな梅の花を愛でる人々で賑わい、境内に飾られた紅い提灯も、北千住の飲み屋を思い出させて小太郎の心を春めいて躍らせていた。
夜来の雨がやみ色鮮やかになった赤い鳥居の柱列をくぐって綾部の善男善女風市民が家内安全を祈願し何がしの賽銭を奉じてゆく。
午前十時から始まった種々の神事は、梅の香に包まれて厳粛かつ優雅に進行していた。その上、奈良島宮司ご自身が参拝者に清めの水を供されていたのを見たのも小太郎には驚きだった。お供え物をする献撰(けんせん)の儀や玉串奉奠(ほうてん)、大きな餠入りの無料ぜんざいの接待や豪華賞品の他に何かが必ず当たる福引など盛りだくさんの初午梅まつりに小太郎は堪能した。
梅といえば小太郎の記憶では、三千本の梅林で知られる水戸偕楽園、三百本の梅の名所・湯島天神、青梅の梅林、世田谷区の梅が丘など沢山の名所がある。京都・奈良にはがあり、綾部の梅は数でこそ劣るとはいえ、関東の梅の名所では味わえないその優雅な野趣とへ平安時代から続く歴史の香りが匂い立つように小太郎は感じた。
三月も中旬に入ると府道広野綾部線沿いの市内和木町の松原梅林での和木梅まつりが始まった。古木蒼然としたこの梅林は枝ぶりのよいことで知られ、当然ながら綾部市の文化財になっている。
おかげで、この日もまた小太郎は日曜出勤で和木町に向った。国道二十七号線の西原交差点から和木大橋に抜けると道沿いに梅の林が見えて来た。入園無料の梅林には、すでに多くの人が集まっていて、係員の誘導で駐車場に車を停め、梅林に入ると、八十本近い南高梅や鴬宿梅などの紅白の梅が満開で馥郁とした香りを放っていた。その咲き誇った梅の花と香を多くの人々が楽しみ、梅林の中に屋台がずらーと並んでいる。
入園は無料で甘酒やイノシシ汁の無料奉仕もあるという。小太郎が梅林を歩くと格別にいい匂いがする人だかりがあり、近寄ってみると、猪の丸焼き特別サービスとかで、特製のソース付きで、少量づつだが一頭分が終わるまで無料で誰にでも振る舞われていた。それとは別に、猪、鹿、鶏肉、各種の野菜のバーベーキューセットを売る屋台があり、格安五百円で持ち帰り用・焼肉セット、この場で食べるバーベキュー用セットがあり、どちらも飛ぶように売れている。
梅林下に並んだ屋台を眺めると、たこ焼き、和木梅の加工品、つきたての草餅、うどんの店、山家名産のイノシシ肉、地元の特産物や手作り工芸品など様々な出店があり、その屋台に立ち寄るのも市民だけでなく他地区からの来訪者もかなり多いのが雰囲気で分かった。
これだけの賑わいだと取材しないわけにはいかない。
案の定、市役所広報課、FMイカルの主力メンバーが出没していて顔を合わせると小太郎に嫌味を言う。
「大橋さん、恋人出来ました?」
(あんたが恋人になってくれればいいだろ!)と叫びたいが、市役所組もFM組も既婚者か、独身でもモテるから小太郎など見向きもしない。ともあれ仕事が先だ。
市の特産物でもある「和木梅」も和木梅まつりを主催する和木町農林業振興組合が地域特産物として売店を出していて、和木梅の梅干し、小梅漬け、梅ジャム、梅肉エキスなどを販売していた。しかも役員総出で田中組合長までが売れた品を包んだり、呼び込みに声を涸らして奮闘している姿もあった。
梅林の中に設置された特設ステージでは琴の演奏やビンゴゲーム、剣舞があって、川崎市長の挨拶があった。
祭りと名がつく綾部市の主要な行事の殆どが週末の土日に行われ、それに顔を出す市長も小太郎並に休日出勤が多くなる。それでなくてもよく働く市長だけに、いつ休息をとっているのか気になるところだ。
この日の川崎市長の挨拶は、小太郎の耳にも快かった。
小太郎が気づいたのは川崎市長のブレのない施政方針で「住んでよかった」「住みたくなるまち」の二本柱を中心に行政の歯車が回っていて「チーム綾部」として役所や市民が一丸となって「いい街」づくりに邁進しているのがよく分かる。
行政は上に立つ人次第なのだ。
米国ワシントンに本部のある世界銀行入社で国際的な活躍の場を得た川崎源也氏が、たまたま故郷の綾部市の経済危機救済に派遣され、前市長の強い要望に応えて、火中の栗を拾う覚悟で市長に腰を据えたのには訳がある。それを小太郎は市の広報誌で知っていた。
それら細かい説明は省いて、この和木の松原梅林で遊んだ少年時代を語った。
「他郷にて想うのは、いつもこの幼児期から育った綾部の街のあれこれでした。私はいつか、この故郷に骨を埋めようと想っていたのです」
ここで市長は、古代中国の東晋四〇五年頃の陶淵明(とうえんめい)の詩作に触れて、誰もが故郷に戻りたいと思っている」と語った。
陶淵明の帰去来(ききょらい)の詩は、菅原道真公によって「帰りなんいざ」と訳されていて、誰もが羨む官職を捨てて故郷に帰る陶淵明の心境と、それを詠って帰郷を願った菅原道真公の名訳でよく知られている。
その詩に我が身を置いた川崎市長の故郷を想う心が、各国の選り優れたエリートの集う世界銀行の職を捨てて綾部への帰着を決意させたに違いない。その故郷を想う市長の情熱が間違いなく市政に生かされ、各地に非産している綾部出身者に「故郷に戻ろう」と呼び掛けている。
大きな夢と希望を胸に世界に旅立った川崎青年が、功成りて久しぶりに立ち寄った綾部市の萎えた姿に、古き良き故郷の昔と変わらぬ自然の恵みと裏腹に、耕す人のいない荒れた農地に違和感を覚えたとしても不思議はない。小太郎がいい加減に覚えた帰去来の詩はこう告げる。
「さあ帰ろう、ふるさとの田園が荒れようとしている、いままで心が痛みながらも地位や生活を犠牲に出来なかった。
だが、もう悩み悲しんではいあられない。今までは間違っていた、これからは自分のためにも故郷の未来に賭けて生きよう。船路に迷っても船がゆらゆらと軽くても、風はひょうひょうと衣を吹く、長江を遡って百里、行く先に迷えば船頭に問い、朝の光のおぼろげな中をたどろう。岸に上がって家路を辿り、やがて我が家が見えたので小走りに急ぐと、事前に帰郷を知らされて待ちわびていた家人が我が姿に気付き、召使い、幼子まで家族一同が門前に出迎えている。感涙に咽ぶ再会の中、見回すと、家の前から伸びる三本の小道は荒れたが、門かぶりの松も庭の菊も変りがなく元気な姿を見せている。幼子を抱いて部屋に入れば、すぐに酒肴の用意が整った。酒壺を引き寄せて手酌で喉を潤し、庭を眺めては顔をほころばす、南の窓に寄りかかって狭いながらも居心地の良い我か家で帰郷の喜びを味わっている」
小太郎は学生時代に、盲目の悲哀を詠んだ北原白秋の帰去来も読んだこともあるが、どちらも詩の文面は覚えていない。いまは想像力で雰囲気を思い出すだけだ。
詩は續く・・・「帰郷して数日を経ると庭は日ごとに趣を増すが門は閉ざしたまま、杖をついて散歩してあたりを眺める、雲は山裾からわき上がり、鳥はねぐらに帰ろうと飛ぶ、日は次第に暗くなってきたが一本松をなでつつ、この散策から去りがたい気分になる・・・と続く。
さらに・・・さあ帰ろう、世間と自分とは相容れない、なんで再び官吏に戻ることなど考えようか。親戚のうわさ話を喜んで聞き、琴や書を楽しみ、農夫が春の来たことを告げて農作業を始める。車に乗ったり船を操ったりして深々とした谷を訪ね、険しい丘に登ったりする、木々は茂り、泉はほとばしり、万物が栄える中、私は自分の人生が終わりに近づいていくのを感ずるのだ」
ここまで来ると小太郎にも違和感がある。小太郎の人生はまだまだこれからだから、この陶淵明の無常観には全くなじめない。それでも、この人生を達観した詩には胸を打たれる思いもずるのだから凄い。
陶淵明の詩は、さらに人生の無常を詠い、散歩したり草刈りをして天命を甘受し、自然の変化に乗じて死んでいきたい、と結ぶ。
この陶淵明、それに共感した菅原道真公、その影響を受けた川崎市長、この三人には三者三様、生きる道が違っている。
陶淵明は自ら官職を去り、道真公は官職を追われて戻れず、川崎市長は晴天雨読の夢を捨てて苦難の道を選んで官職に就いた。
いま、地方都市は若者の都会流出の煽りを受けて人口減のなだれ現象に喘ぎ。いかなる手段を講じても人口減に歯止めを効かせたいと焦っている。だからこそ小太郎ごとき若者が古都に準じる歴史ある綾部市に迎えられている。これに応えねば小太郎の男が廃る・・・いや、とうに廃っているのだが一寸の虫にも五分の魂、蟷螂の斧に過ぎない小太郎にも綾部市に拾われた恩義に報いる意地がある。それに、国際的な出世を捨てて労多い地方都市の官職に就いた市長の男気にも心が動かされる。ここは綾部への借りを少しでも返さねばならない。