6、祭りの謎

Pocket

6、祭りの謎

021.jpg SIZE:600x300(28.5KB)

午前六時、時間通りだった。
「河牟奈備(かんなび)神社・久保宮司様ご入場・・・」
幹事役の自治会長の一声で騒がしかった村人の会話や音楽が一瞬で止み、頭に冠、白装束姿の神官が、厳かに下駄音を控え目に響かせて、ゆっくりと門から中庭に歩いて来る。庭にたむろしている百人を超す村人らがいっせいに頭を下げて宮司を迎え、式典が始まった。
庭の樹木の間に設置された拝殿に向かって宮司が祝詞を上げて神事が始まり、宮司が振るう神弊の音が山里の静寂を裂いて寒空の中に小気味よく響いた。
多くの村人が、滅多に着ない背広ネクタイ姿に正装していて、真摯な表情で頭を下げ、宮司の御祓いを受けている。小太郎は、ほぼ全員が家内繁盛、金運上昇、健康長寿を願っていることを推察し、自分はそれに一つだけ「恋愛成就」を加えた。「結婚完遂」などはまだまだ遠い道のりだからだ。
古式に則った作法通りの神事が終わり、全員が頭を下げた頭上に神弊が振られて御祓いが終わると、司会の指示で山側に向きを変えた。この方角の山向こうに三人の義人を救った人、道、村があった。その恩義は永遠に忘れてはいけない。そこでまた祝詞が唱えられ、二拝三拍一拝で外での遥拝式は終わった。
室内に入って座敷にびっしりと敷き詰められた座布団に膝を寄せ合って座ると、再び庭で行ったと同じ一連の儀式と御祓いがあって厳粛な時が流れた。
続いて、久保宮司から榊を手渡されて、招待客、村役から順に拝殿に向かって参拝する。
そこで、司会の自治会長から紹介がある。
「このお祭りの発端は直訴の成功であり、その成功には路銀調達にご協力頂いた於与岐村の庄屋吉崎家、三人の若者を匿ってくれた和知町大簾の方には、心からお礼と御もてなしを差し上げます」
ここで、於与岐村吉崎家と和知町大簾の自治会代表が参拝した後、お礼を兼ねて短い挨拶をした。
次いで、村の主だった人が神殿に向かって柏手を打つと、それに合わせて座敷に坐った株内の人々が一斉に柏手を打って頭を下げた。それが見事に決まっている。小太郎はその連帯感にも感動した。
それが終るとが久保宮司の訓話がある。
「今から三百年余の昔、天下分け目の関ケ原の戦いに西軍に組して破れた藤掛永勝は、所領を大幅に減らされて慶長六年、六千石でこの地に移封され、城山下の石橋に陣屋を構えて二十二ケ村を領有しました。その後、子孫に分家させたことで、禄高は四千石に減って財政は逼迫します。その減少分を年貢増しに割り振って厳しく取り立てたから・・・」
小太郎の横に座って瞑目していた作家の花村隠居が小声で呟いた。
「大橋さん」
「はい」
「この祭りには裏がありますね? その謎が解けそうな気がします」
「それは何ですか?」
「為政者の罠です。役人に気付かれないように深夜の祭りにした、と聞きましたね?」
「はい」
「代官はわざと農民に祭りを続けさせ、一揆へのガス抜きを謀ったとは考えられませんか?」
「それが、この祭りを始めてから農民一揆がなくなったと?」
「あるいは農民側の勝訴で代官が替わり、そこから善政が敷かれたのかも知れませんな?」
「でも、そんな昔のこと分からないでしょう?」
「今に分かりますよ。私が時代小説で書きますから」
気のせいか花村の顔色がよくない。祭りの起源を冒涜して金毘羅様の祟りを受けなければいいのだが。
しかし、小太郎もまた、花村とは違った感覚で、この祭りの異常さに気付いていた。
なにしろ一千年もの間、順繰りに三つの町を輪番でまわるのだが、神殿を祀る講元は公選で決められる。
それは、避けて通れない千年縛りの宿命なのだから仕方がない。だが、それによって講元になった家は、母屋の座敷を社殿として一年間、床の間に、河牟奈備(かんなび)神社・久保宮司からお預かりした、木箱に納められた金刀比羅大権現のご神体(木札?)を祀ることになる。その一年間はこの民家が神社と同じ役割であるがゆえに、いつでも参拝客を受け入れねばならない。それも、次の請元へ手渡すまでは重い責任が課せられているのだ。浦入家で酒を酌み交わしながら聞いた話だと、講元交代の戸渡しの儀式では、手が震えるほどの緊張を感じるという。なにしろ、三百年以上もの昔から引きついできた御神体の納められた木箱を由緒ある神社の高名な神官から一年もの間お預かりし。それを、次年度の請元へ粗相のないように手渡すのだから確かに大変な役割なのだ。それを終えても儀式はまだ残っている。朱塗りの膳に、ゆずの実、大根、赤とうがらしなどを刻んだものを乗せ、それを肴に、平椀のフタに御神酒を注いで頂く儀式がある。それを、この年の自治会長、講元、次の年の自治会長、講元と、四人が順繰りに済ませ、それぞれが決まった形式の挨拶をして、当年の講元の家での本祭が始まり、ご神体はこの家に設置された神殿に一年間は奉られることになる。
早朝の儀式が終ると、ここからは本来の祭りになる。
屋台が開くと賑やかな呼びこみも解禁になり、スピーカーからは音楽が流れ、タイコまで持ち込まれたり、どこから現われるのか子供連れも集まって来る。
こうして終日、賑やかな祭りが続き、翌日は村中が集まって食事会と称する宴会を開く。
この祭りの最大の泣き所は天候だった。
十一月中旬の山里に早い雪が降ると、開け放たれた縁側からの寒気で祭りどころではない。
毎年、次の年の講元の家に、その御神体を運んで、今度はそちらでも儀式がある。
その道筋が雨や雪になると、この行事は難行苦行になる。
浦入家の場合はまだいい。武吉から佃までの距離はさほどないからだ。山深い忠の場合はつぎの年が綾部市内に近い武吉だから、かなりの距離があるだけに雨でも雪でも大変なことになる。
なにしろ、宮司を先頭に関係者一同が古式に則った正装で白足袋草履で行列を組み、徒歩で行っての”遷座(せんざ)式”なのだから。これは、まさしく苦行に違いない。
本来は、金刀比羅様と千年奉仕を約したのは成功した直訴への感謝の祀りだったはずだ。それとも、村を救う救世主だった三人の若者を村から放逐した罪ほろぼしの祀りなのか?
祭りという以上は、農民の娯楽と結束いう一面があったことも間違いなさそうだ。
この祭りを始めた動機、この祭りを千年も続ける意義、この祭りを続けた結果は一体全体、誰が何を得たというのだろうか? それらが分かれば、あの薄気味悪い花村隠居の呟きが解明できるかも知れない。ふと、小太郎の思考はここで止まった。
ここまで考えると、まずいことに気付いたのだ。
つい数日前に紛れ込んだよそ者が、数百年も続く神事に疑義を挟むなど許されることではない。
やはり、この素晴らしい祭りは、歴史の彼方に消えた三人の若者への感謝と一揆の成功を喜ぶ祝いなのだ。
小太郎は、この祭りをこう結論づけることで、あの花村隠居の呟きを忘れることにした。
今後、誰に聞かれても、この祭りに関しては、小太郎は一切知らぬ存ぜずで通すことにした。
司会の自治会長が、メモを取り出して続ける。
「では、これから宮司様の御祓いを受ける特別祈願を受け付けます。志納料は各自ご自由で、お供えでも結構です。どしどしお申し込みください。なお、午前十一時頃には川崎市長、その他来賓の方が多数参拝に参りますので、役員の方は、早朝の行事に次いで参加してください。さらに、午後三時からは、秋季大祭終了報告会と、次に祭壇設置をお引き受け頂います忠町の役員からの出迎えを受けまして”戸渡しの儀式”を行います。これは、公選で決められた、次に祭壇を飾る忠町の講元さんにご神体をお届けし、そこでまた”遷座式”を行うまでの儀式です。役員の方々は、お手伝いをよろしくお願いします」
そこで、自治会長が西山部長に近付き小声で囁いた。
「これから預かったメモを読むから、誰か一人、祈願の申し込みを頼むよ」
返事も聞かずにマイクスタンドの場所に戻った自治会長がメモを見ながら名前を読み上げた。
「本日は、この金毘羅祭りの取材に、東京などからお客さん方が見えています。皆さんお立ちくださいまず、故郷の成功者で元全日空役員の西山さん、次に沖縄の実業家・翁木さん。俳句の先生・平川さん、将来の? このまま読みますよ。将来の総理候補・宮川さん、作家の花村さん、以上・・・お一人、言い忘れました。大橋小太郎さんです。この方は、ご存じ地元のヒーロー綾部市役所定住安定部部長の西山隆夫氏から紹介して頂きます」
西山部長が立ち上って、小太郎以外の五人を座らせ、小太郎と前に出た。
「西山です。いつもお世話になってます。こちらが綾部市商工会議所に入所した大橋小太郎さんです」
小太郎が面白くない表情で頭を下げた。
「大橋さんは、この綾部市の発展のために東京から招かられた”定住対策プランナー”です。NETで市のホームページをご覧の方は、川崎市長と固い握手で、綾部市への協力を約束した、大橋さんをご存じだと思います。今日の取材でも、この金毘羅祭りを何らかの形で盛り上げ、過疎化が進む上林地区の復興に力を尽すことを約束してくれました。そのためにも、金毘羅様のお力添えを賜りたいと、自らの意思で多額のご寄進を望まれ、久保宮司様の御祓いを受けることになりました」
これを聞いた小太郎が怒り、小声の早口で二人がやり合う。
「聞いてないぞ、そんなの」
「いま決めた。初穂料は三万円包め、なければ貸しておく。これから仕事がやり安くなるぞ」
それを耳にした久保宮司が西山をたしなめた。
「このお方じゃ三万は多いな? 一万が精一杯じゃろ」
神官はさすがに人を見抜く目がある、小太郎はこれで妥協した。
宮司の御祓いを受けながら、小太郎が小声で「一緒に写真を」とお願いすると、宮司が「あとでな」と快諾した。
式後の記念撮影で、宮司と小太郎のツーショット写真を西山が撮った。
シャターを押しながら、西山が調子よく二人に言った。
「これを、市のPR誌・広報あやべ新年号に載せます」
小太郎があわてて「やめてくれ!」と叫び、久保宮司に睨まれた。
市長との握手の写真に続いて、また謂われのない噂をたてられるのを小太郎は恐れたのだ。