2、凧つくり

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2、凧つくり

井根山山頂の「まゆピー」に年始の挨拶をして山道を下っている時に加納女史から電話が入った。
「いま、どこです?」
「井根山の下り道だけど?」
「あら。なんで山で遊んでるの?」
「遊んでなんかいるもんか。まゆピーに年賀の挨拶だよ」
「分かってます。井根山といえばまゆピーと秋葉神社しかありませんから」
「秋葉神社も参拝したぞ」
「そもそも秋葉神社は、宝暦六年(一七五六)の綾部藩大火で二百戸以上の家屋が焼失したため、火防にご利益のある遠州秋葉三尺坊大権現の 分祠を招いて・・・」
「井根山に建立したんだろ?」
「そんなのどうでもいいんです。それより、専務理事からの伝言ですが、凧作りはどうなりました?」
「たこ? なんです、それは?」
「凧を知らないんですか?」
「知ってますよ。八本足の」
「それはオクトバス、わたしが言ってるのはカイトですよ」
「そういえば、中上専務理事がタコがどうのと言ってたな」
「和凧作り教室が今日の午後三時までです。会場は里町の天文館パオですから、すぐ行けば間に合います」
「そんなとこへ行って何をするんだね?」
「大橋さんが凧を作って、由良川の河川敷で飛ばすんです。景品も出ますよ」
「景品?」
「綾部の元気な子供達に混じって凧作りを楽しんできてください」
「なんで凧なんだろ?」
「大空を羽ばたく凧だからこそ子供たちの夢に叶うのです」
「分かった。景品が出るなら行ってみるよ」
「会費は二百円、自腹でお願いします」
ひとまず愛車を駆って屋上に円形の国内最大級直径九十五センチの反射望遠鏡のある綾部市天文館”パオ”を訪れると、会場には親子連れの参加者らが百人を超える盛況で、テーブルの上にセロテープや紙など具材がいっぱい広げられ、絵の具で顔や手を汚しながら騒がしく楽しげに凧作りに挑んでいた。受け付けの職員に何となく見覚えがある。
「商工会議所から体験取材に・・・」
「人口増加コンサルタントの大橋さんでしょ? 以前、天体望遠鏡で覗きのお手伝いをした木崎です」
「シッー、変な言い方しないでください。星を見ただけですから」
「ま、それはそれとして、絵の具は持参されましたか?」
「いえ」
「では、少しお待ちください。私のをお貸ししますから」
木崎という職員が、近くでデジカメを駆使しているスラックス姿の似合う若い女性に受け付けを頼んでその場を去った。
女性が振り向き「あら、大橋さん?」、そう言っただけで関心なさげに愛らしい顔ながら冷たい表情で写真を撮り続けている。
小太郎には、その女性がどこの誰かも分からない。明らかに初対面だからだ。
「失礼ですが、初対面ですよね?」
「わたしは綾部市広報秘書課の梅野木郁子、広報あやべ”ねっと”の担当で、市長と大橋さんの握手写真もわたしが載せました」
「あれが、おれの運命を狂わせたんだ!」
「そんなの知りませんよ。それより大橋さん、もう時間がありませんから絵の具は無理ですよ」
「絵の具なし?」
「それに、紙は難しいですから難易度ゼロのビニール製ぐにゃ凧をお勧めします」
「ビニール? 紙製の本格的なのがいいです!」
「では、無茶だと思いますが、あそこで指導中の塩見先生、山本先生に教わってください」
「どっちの先生が教え方が上手ですか?」
「お二人とも凧名人ですが、肩書を気にするなら塩見先生は凧の会の会長です」
そこに天文館の職員が絵の具とパレット持参で戻ってきた。
「あら木崎さん、この方は時間がありませんので和紙凧に絵の具なしパターンにしました」
「そうですか?」
小太郎が疑問を呈した。
「武者絵を派手に描こうと思ったのに、絵の具なしで何を描けば?」
「絵の具なしでも、まゆピーなら黒のマジックペンで輪郭だけ描けばいいだけです。まゆピーは知ってますか?」
「さっき、井根山に上って挨拶したてきたばかりです。武者絵は諦めろと?」
「時間的に無理ですからね。それ以前に、そんな難しいのを描けますか?」
「いや、言ってみただけです」
「ほら、やっぱり。まゆピーが難しいなら雲なら描けるでしょ?」
「だったら綿飴にします、雲はたべられませんから」
職員が呆れたように割って入って二人の会話の腰を折った。
「では、マジックペンをお貸ししますから好きなようにしてください」
「そうします」
綿飴なら楕円形と棒一本だけだから、絵心のない小太郎でも十秒もあれば描くことが出来る。
小太郎が材良を抱えて凧つくり名人に近づくのを見て梅野木郁子が呟いた。
「綿飴だって絵なんだから食べられないのに?」
小太郎は早速、凧の会の塩見節夫会長に教えを乞い、和凧作りに挑戦した。
「つなぎ合わせて大きくした下地の和紙に鉛筆で好みの絵を描き、それに絵の具を塗り、乾いてから竹ひごを張るんだが・・・」
会長がそこで首を捻った。
「全行程約ニ時間、遅れてますから簡略な絵を考えてください」
「いま、綿飴の絵をマジックで描きます」
あきれ顔の会長の指導で、小太郎はどうやら作業を終えたが、安堵感で腰の力が抜けるのを感じた。
それにしても綾部の凧作りは意外に奥が深いことが、小太郎にも分かった。
なにしろ、凧に張る紙からして文化的にも知名度が高い綾部市特産の黒谷和紙で竹ひごも綾部産、本格的な六角凧が出来上がった。
ただ、絵は誰が見ても綿飴どころか、大きな串刺しの団子に見えるらしく、小太郎本人が見ても迫力がない。
「会長、どうです? これでデザイン賞は?」
「論外ですな。ただ、来週日曜日に行われる由良川河川敷での凧揚げ大会で高くカッコよく揚げれば大賞の可能性はありますよ」
出来上がった凧を広報秘書課の梅野木郁子に見せたら凧だけの写真を撮った。
「優秀作品に?」
「いえ、紙面に空きが出来たらワースト作品で載せます」
梅野木郁子が声を殺して「クックッ」笑いを噛み殺し「幼稚園以下ね」と言って気の毒そうに小太郎を見た。
小太郎が凧作り終了を電話すると、神山紗栄子部長が「待ってます」と、ぶっきらぼうに電話を切った。
早速、仕上がった凧持参で商工会議所に戻ると、二人の女性部長や中上専務理事、事務所に訪れていた会員役員らに折角の力作がいじり回され嘲笑されてあえなく分解、高級な黒谷和紙が平凡な竹ひごから分離され、大空に飛翔させるには修復しなければならない状態に陥った。
「これから写真をブログに載せるところだったのに・・・制作風景だけでもいいか」
しょんぼりと肩を落とした小太郎の肩を中上専務理事が思いっきり叩いた。
「まあ、気を悪くするな。つぎの取材は大本の七草粥、恵比寿神社の初えびす大祭、綾部百人一首大会だな」
「あ、それです!」
「なんだ? 急に勢いづいて」
「初えびすはどうでもいいですが、百人一首だけは参加させてください」
「興味があるのか?」
「自信もあります」
「まさか? 綾部のは小倉百人一首とは違って、この土地の名所旧跡や特産品・名物を詠むんだぞ」
「そんなことだと思って、綾部については多少は学びましたからカンが働きます」
「たとえば?」
「凧つくり ビニール製のぐにゃ凧や、と上の句にあったとします」
「そんなのないさ」
「下は多分、見栄はわるいが和紙よりは強い、です」
「その程度か? おまえ、綾部市民をなめとるのか?」
女性部長二人が遠慮なく歯も隠さずに笑っている。
加納美紀部長が口を挟んだ。
「大橋さん。恵比寿さんの大祭には行かないんですね?」
「行かなくてよければ」
「他市からの”七福神大笑音頭”という宝船巡航隊の助っ人や、白服赤袴のとびっきり美人の若い巫女さんが何人もいて賑やかですよ」
「とびっきり? 行かせて頂きます」
「ところが、七草粥、初恵比寿、百人一首、みな週末で同じ日になるんです」
「いいです。適当にはしごしますから」
専務理事が立ち上がった。
「凧を壊した詫びだ。大橋君をダシに皆で食事でもするか?」
これで小太郎の機嫌も直り、一緒にいた会議所会員三人を含む七人がぞろろぞろと寒風すさぶ外に出た。