3、悪党の目に映る綾部は?

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 3、悪党の目に映る綾部は?

日頃は焼酎党だという下山一蔵が、浅黒い顔を赤茶にして突然語りだした。内容が支離滅裂なのは、金井喜美代に勧められて数杯飲んだワインに悪酔いしたらしい。
「ここの本格的なガトーショコラは、有楽町のガード下の焼き鳥と同じように美味しく頂けますな。この綾部は実に不思議な街です。どこの飲み屋に入っても、飲んでる連中は日本酒かビール、私ら焼酎党もつい”燗ばやし”などという酒を口にして、その旨さにはまってます。市長の方針が外から来た人間に優しいのか、なんだかよそ者が住みやすい環境づくりなのか警察でさえ優しいそうですな?」
西山部長が頷いた。
「その通り。私は四月の人事移動で定住化課から変わるが、他県からの移住には出来得る限り協力したいと考えてるんだ」
「なるほど。それは人口の減少を食い止めるためですな?」
「その通り! それがわしの仕事ですからな」
種馬主婦の唐沢栄子が身を乗り出して口を挟む。
「あたしもまだ、もう一人ぐらいは人口を増やせる年齢なのに、うちの人はその気がなくって・・・」
とうに小太郎は諦めたらしく、流し目で西山隆夫部長を意味ありげに見つめるが、部長は全く気付かずに酒を飲んでいる。いや、気づいていても恐妻家だから「危うきに近寄らず」という君子の道を厳しく守っているのだ。下山一蔵が続けた。
「これで謎が解けましたぞ。先日、西山さんを襲った刺客が仕事を成し遂げようとした瞬間、市長が身を挺して部下の西山さんを救った。あれは義侠心とか友情ではなく人口を一人でも減らしたくない為政者のエゴですな」
勝川浩一部長代理が市長を擁護した。
「なにをバカなことを。あれこそ市長が市民や友人を命がけで護るという崇高で勇気ある行為で市長の男気じゃないか!」
「これで、市長が捕えようとした犯人を、警官が必死になって妨害して逃がした謎が解けました」
「なにが解けたんだ?」
「今、京都府内でも弱小市町村の吸収合併案が出てますが、そこから逃れる綾部市の生き残り策の奥の手ですな?」
「なんの奥の手だ?」
「その逃げた男にしてみれば、市長だけでも敵わないのに警官が助けてくれたのですから恩にきるはずです」
「誰に? 殺されかけたのはそこの西山部長だぞ?」
「だからです。西山さんを殺して捕まれば懲役十年は食らいますな?」
「あたり前だ」
「身柄は警視庁で引き取りますから、彼は捕まっても綾部には残りませんな」
「だから何だ?」
「このまま彼を放置すれば、彼も私同様に綾部が気に入って定住するかも知れませんぞ」
「まさか? あんたみたいな私立探偵と殺し屋を一緒に出来んよ」
「西山さんが死んで、彼が去れば見込み人口は二人減る計算です」
「変な計算だな?」
「彼が綾部が気に入って、ここで所帯をもって子供を四人も産めば・・・」
下山の視線が自分に向いていることに気づいて、金井喜美代があわてて顔の前で手を振った。
「だめです。わたしは仮に下山さんと結婚したとしても子供は一人まで、体型が崩れます」
「それじゃ、定住課の西山さんに申し訳が立たん」
西山が頭を下げた。
「わしの在職中に一人でも市民が増えれば顔が立つ。宜しく頼みますぞ」
「だったら、あんたを刺そうとした奴も許したら?」
「それは許せん。第一、警察が許さん!」
「なんで? わざわざ警察が逃がしたのに?」
会話が噛み合わないのが不思議なのか下山一蔵が話題を変えた。
「この店は落ち着いて居心地がいい。この高い天井やさり気なく飾られた古民具や骨董品、古風ですが優雅、まるで綾部市の縮図のような店ですな。しかも、本格的なクリスマス料理の数々、今日は、私も久々に楽しいクリスマスイブを過ごさせて頂きました」
西山部長が喜んだ。
「いよいよ私立探偵さんも、仕事を忘れて綾部市定住ですかな?」
「仕事ですか? 仕事はすぐ目の前に。いや、しかし今人口を減らすと?」
「増やす話だよ?」
「そうですな。一人の命と小指一本プラス五百万・・・どうみても小指が大切、いや、何でもない。それにしても綾部市について警察の防犯能力を調べるちでに防災対策を調べてますます綾部が気に入りました。豪雨災害などをみてもお隣の福知山市は河川の氾濫で床上浸水などの被害で住民避難もあり多大な損害が出ていても、綾部市には被害の跡があまり有りませんな。この綾部市内の中央を流れる由良川と市東部を流れる上林川はかつては暴れ川だったようで、昭和二十八年九月の記録を見る台風十三号の襲来で由良川と上林川流域の被害は甚大で災害救助法が適用されてますな。今は、川崎源也市長自らが災害対策には積極的で、綾部市防災ハザードマップや土砂災害情報点検マップの作成をはじめ災害時要援護者支援台帳の充実、夜間防災ヘリ離着陸訓練まで行って市民の生命を守る気概を見せています」
西山部長が納得したように頷いた。
「私立探偵の仕事にしては詳しいですな?」
「防災は完璧でも防犯はいまいち、これを知って安心、いや、市民の求めるレベルでは完璧です。これも市政のたまものですか?」
西山部長が得意げに続けた。
「役所全体が川崎市長をフォローしてますからな。秘書と広報課を兼任する秘書広報課の優秀な女性軍団なども日頃から河川防災情報などを流して市民の災害に対する意識を喚起させる努力を続けていますぞ。前回の暴風による被害でも人的損失はゼロ、土砂崩れで道路が数か所、通行止めになったが、ほどなく開通、府道舞鶴綾部福知山線の中丹支援学校から猪崎間、市道初田線、市道塩田線の綾部作業所付近、市道小呂上路線、府道中山綾部線なども無事だった。しかも、前回はかなりの大豪雨だったが最小限の被害で食い止めたし、市民にも人災による被害を与えなかった。これだけを見ても、市民の平和な生活と命を守ろうという川崎行政の方向性は間違っていないんだ」
今度は小太郎が頷いた。
「おれがなぜ、この綾部市が好きになっのか何度か考えてみたんだ。西山部長に誘われてこの街に来て以来、ゴミと不良少年と嫌な出来事に出会っていない。怖いオバさんには何人か出会ったが・・・」
「それって、わたし達のこと!」
すかさず安藤芳江が目を剥き口を尖らせて抗議した。一番おとなしそうなご婦人がこれだからやはり綾部でもオバさんは怖いのだ。
下山一蔵が続ける。
「それに、足利尊氏の生地のあたりから出る伏流水で造った地酒が美味しいのもいい。昔から京都の人はよそ者には冷たい、と言われてるがさすがに京都の奥座敷の綾部にはその言葉は通じませんな。現にこのよそ者の私もこうして迎えられています。人の心は温かく、機会があれば住み着きたい土地、これが本音ですよ」
ここまで来ると、定定住課の親玉として西山部長も黙ってはいられない。