3、綾部のラーメン

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3、綾部のラーメン

中上専務理事の指示での「夜の取材」前に軽いミーティングがあった。
商工会議所の応接室で中上専務理事と長髪色白の加納美紀秘書部長、上品な神山紗栄子総務部長と会員差し入れの焼きそば、ドラ焼きとコーヒーというミスマッチの軽食をとりながら、昼間の取材とそば四百年での昼食の報告をした。勿論、婦人四人組には触れず、取材中に知り合った下山に誘われたことにしたのだが、疑念を抱かれたのは誤算だった。すぐ加納秘書部長が矛盾を突いた。
「もみじ祭りの屋台でも、そば屋は有りましたよね。四百年家だと往復一時間以上も掛かるでしょ?」
「いや、会場の屋台はどこも黒山の人だかりで近寄れなかったんだ」
「そんな人気屋台こそ取材すべきです!」
神山総務部長がもっともらしい意見を述べた。
「たしかに四百年屋の蒸篭そばは美味しいけど、千数百円はちょっと」
珍しく中上専務理事が小太郎の肩を持った。
「いや、そば粉の選別から始まってのあのこだわりであの値段、ま、妥当じゃないかな」
「じゃあ、専務もご一緒にこの四人で四百家に行きましょう」
「わしはウドン派だから、志賀郷町の竹松で昔ながらの手打ち讃岐うどんで充分さ」
神山総務部長が頷いた。
「あの店は、うどんを茹でるのにいまだに薪を使って火を起こしてるのよ。それに営業時間も午後三時まで、四百家より一時間も長いのよ」
加納秘書部長が応じた。
「あたしならラーメンよ。上林地区陸寄町の”の”の手羽先ラーメン、地鶏が美味しいし、ここなら夜十一時までやってます」
「あんな田舎の一軒家まで行って、なにがラーメンだ。すぐそこ二番街の龍珉(ろんみん)で文句あるか? 細麺で安いし、とんこつラーメンに入ってくる特製チャーシューも旨いし、それに備え付けの辛子味噌をたっぷり入れて・・・」
「あら、専務はうどん派じゃなかったのですか?」
「話題がラーメンなら話は別だ。ラーメンなんてチャーシュー次第だぞ」
神山総務部長が口を挟んだ。
「そんなの邪道です。ラーメンの王道ならやっぱり警察署の西にある第一旭でしょ? ここも細麺ですけど脂が薄く浮いている醤油とんこつスープが麺によく絡んで、青ネギともやしにチャーシューで、キムチなど入れて食べたらチョイ辛ですけど美味しいですよ」
「なんだ紗栄子は、オッサン趣味か? あんな黄色い看板の店によく出入りできるな」
「あら、看板を食べるんじゃないからいいでしょ。それに、呼び捨ては止めて神山総務部長と言ってください!」
ここでは小太郎は沈黙を守るしかない。まだ綾部のグルメについて語る資格がないからだ。ラーメンなら庶民の食べ物でB級グルメの王者だから、小太郎が嫌いなわけはない。すでに綾部に来てあちこちの店で食べてもいる。味噌ラーメンが食べたいときは新風館、平打ち麺はイマイチだったが細麺は味噌の絡みが絶妙でなかなかイケる味だった。平凡で無難な醤油ラーメンとなると、今のところは綾部駅南口の”盾”に軍配が上がる。麺が細工のないしっかりしたストレート麺で、しこしこした舌触りと、昔ながらのカンスイの匂いが何となく郷愁を招く感じで食感は悪くない。だが、ここでの発言は得策ではない。女性両部長に格好の攻撃材料を与えるだけだからだ。なにしろ小太郎の味覚音痴は子供のころからで周囲と意見が合うことなど滅多にない。それもあって発言は控えたのだ。
それに、ここでは言えないこともある。
四百家の帰路、四人のご婦人方が勝手に次の賭けの店を決めてしまった。
それが何と綾部市郊外の高津駅に近い”古丹”というラーメン屋なのだ。
当然ながら小太郎は必死の抵抗で断った。だが、あの四人組にはどんな抵抗も通じない。
「特製の古丹ラーメンはね、具材のチャーシューは厚いバラ肉が四枚、それだけでも美味しいのよ」
「ネギやメンマも上等な物を惜しげなく使ってる上に、味玉なんて半熟で醤油の味がようく沁みて美味しいの何の」
「麺はサクッとした歯ごたえのいい食感で塩豚骨のスープにしっかりと絡んでるんです」
「大橋さんが行かなくても、私達で行くことにしますが、どうします?」
「行きましす」
こんな経緯で近日中にミツエママと携帯で日時を決めることになっていた。
車に同乗していた下山には誰も声を掛けないから、下山はつまらなそうに移り行く窓外の景色を眺めていた。
ともあれ、ここでの発言は絶対に禁物、”沈黙は金”の格言を守りぬくのだ。
しかし、その強い意志も加納秘書部長の質問で簡単に崩れ去った。
「大橋さんはどう? 綾部のラーメンは殆ど細麺ですけど、関東の太麺と比べて?」
「おれ、いや私は細麺派です」
「あら、東京の方にしては珍しいわね」
「しょうゆ味でシナチクだけの細い支那そばが大好きなもので・・・」
加納、神山両女史が蔑みの目で小太郎を見て同時に叫んだ。
「ダサーい!」
この差別用語は、東京だけでなく綾部でも使われることを小太郎は知った。
中上専務理事が頃合いだと思ったのか、チラと腕時計を見て立ち上がった。
「さあ、お開きだ。大橋君だけは残業だがな」
「残業手当は付くんですか?」
「何をぬかす、昼間さぼって上林まで遊びに行ってたんだろ?」
「誘われたんで仕方なかったんです。それに食文化の取材にも」
「じゃあ、下山という男はどこのどいつだ。住所氏名電話番号まで報告しろ。仕事中なんだから当然だぞ」
「今度会ったら聞いておきます」
立ち上がって壁の掛け時計を見ると午後五時前、そろそろ夕闇が迫っている。