6、花一輪

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6、花一輪

「花一輪」の店名と違って、店内は善男善女か美女と並男でほぼ満席の花盛り、さすがにイブの夜だった。
ペアーの客が席を立って小テーブルが空き、カウンターにいた小太郎と神山紗栄子がそこに移った。
改めて注文すると、クリスマスらしく肉と魚介類と野菜を彩りよく盛ったオードブルだ出て、紗栄子が選んだ赤ワインが来た。
天井の照明を消して、テーブルの赤いキャンドルの灯りでの飲食で店内のムードもいい。
「大橋さん。サンタパレードの取材は?」
「昨日、綾部高校まで追っかけて写真も撮ったよ」
「どうでした?」
「なかなか良かったよ。なにしろ、サンタがトナカイ替わりにトラクターを運転してソリを引いてるんだからな」
「きれいだったでしょ?」
「暗い夜空に、ソリを飾ったイルミネーションが輝いて。それが何台も続く光の行列は壮観だったよ」
「見物もいっぱい出てたでしょ?」
「小学生がハンドベルでジングルベルを演奏してるのもパレードを盛り上げてたが、これも良かった」
「駅前南広場の電飾も見た?」
「LED電球を使って幻想的に綾部の里山を描いて、クマやシカを創ったり、かなり凝ったイルミネーションだな」
「電球を一万個も使ってるのよ」
「一万個? 派手な演出だが予算も大変だな」
「地味な綾部にしては珍しいでしょ?」
「綾部は、しっとりと落ちついていい街だよ」
「そう思う?」
「思うさ。人情もいいし。全国・住みたい市では当然、一位だろうな?」
「残念! ここ十年近く、横浜市がダントツで一位なのよ」
「なんで?」
「なにしろ待機児童がゼロなのは横浜だけ。日本中で人口一位の横浜市は、林市長が保育所整備を積極的に進め、数年前には二千人近くいた保育所の待機児童が今はゼロ・・・」
「すごいな。でも、ここの川崎市長だって国際的な金融機関で実践で鍛えた経済通だから並じゃないぞ」
「横浜の林市長は、ダイエーや日産自動車販売の社長を歴任して市長になっただけあって、世界のビジネス界女傑五十人に入ってるのよ」
「女傑? 林市長は女性なのか?」
「そうよ。だから、子育て関連の政策に強く、経済政策もしっかりして、住みやすい街づくりが出来るのね」
「それじゃあ仕方ない。さすがの川崎市長も女性には叶うまい。で、綾部市は二位か?」
「二位は京都市よ」
「まさか? 京都は観光にはいいが、排他的だからよそ者には冷たく、冬も寒いから住むにはどうだか?」
「イメージがいいからです。歴史のある街並みや神社仏閣が人気で、世界的な情報誌”モノクル”でも、世界で最も住みやすい都市ランキング二十五都市中、なんと九位に選ばれてるのよ」
「古都の魅力だな。世界までは望まんが、国内三位が綾部市か?」
「三位は札幌市。交通網も発達した近代都市で国立公園にも隣接して、文化と自然に恵まれていますから」
「結局、綾部は四位ってことか?」
「四位は大阪市、五位は東京都世田谷区、六位は神戸市で七位は沖縄の那覇市、八位は福岡市、九位は東京都港区、十位は名古屋市、それぞれに魅力的な理由があるのね。再開発や新しい施設、情緒がいい、防災対策がしっかりしている、物価が安いなど理由は千差万別ですが」
「もういい。この自然環境に恵まれた綾部市がベスト十にも入っていないのはけしからん。結局、綾部は何位なんだ?」
「ベスト百の圏外です。そこからはアンケートにもありませんので適当に当てはめてください。
「ならば、悔しいが百一位ってことにしておこう」
「では、次年度のアンケート調査では、ゴボウ抜きで上位進出を果たすよう綾部市のPRを頼むわね」
「なんでオレが?」
「だって、その役割で就職したんでしょ?」
「そうだったかな?」
「そうです。それに間違いありません!」
「じゃあ聞くが、今、上位に挙げた各市と綾部市の違いは何なんだ?」
「例えば、沖縄県の那覇市は、老後に住みたい街の上位常連で、冬でも暖かい穏やかな気候と人柄、海の幸や果物に恵まれた環境、これだけは冬が寒い綾部では勝てません」
「そいつはおかしい」
「なぜ?」
「京都や札幌の冬は寒いぞ」
「あら、そういえば、そうですね?」
「結局、知名度の問題だけじゃないのか?」
「それもありますが行政の努力も大きく影響しています。八位の福岡市などは、空港から市街地が近い利点を生かして積極的な企業誘致の結果、東京・大阪から本社を移す企業が五十社を超えて新たなオフィス街を築き、それらの企業のおかげで人口も税収もかなり増えています」
「空港か? 綾部に空港は無理だが、高速道路の乗り入れによる集客はよくなるさ」
「だったらいいけど・・・」
「それに、川崎市長も頑張ってて、トステムが撤退して空洞化していた府営工業団地に東海ゴム関連会社の誘致に成功させたし、おかげで雇用もかなり回復したと聞いたぞ」
「大橋さんて、何に対しても楽観的なのね?」
「そんなことないさ」
「でも、殺し屋に命を狙われてるのは本当なのよ。わたし達だって刑事の話を聞いてたんだから」
「そういえば、西山部長は狙われたが、オレを担当した暗殺者は一向に現れないな」
神山紗栄子が少し考えてから言った。
「もしかしたら、もう身近なところに出没して隙を狙ってるんじゃないですか?」
「まさか・・・?」
有り得ないことでもない。
店内に流れていたBGMのクリスマス・サウンドがジャズに変わった。
そろそろ看板にと思ったときの店長のサインなのだが、常連でもなかなか気が付かない。
ましてや、音楽に疎い小太郎などにはBGMの違いなど気にしたこともない。
神山紗栄子がワインを飲みほして立ち上がった。
「夜も更けたし、そろそろ帰るわね」
「いつもの車は?」
「今日は飲む日だからタクシーよ」
「車で送ってこうか?」
「大橋さん。飲んだら乗るなでしょ!」
「そうだった。どうせ一人ならオレのところに泊ってけば?」
「有難う。気持ちだけで嬉しいわ」
「気持ちだけじゃないぞ」
「それもいいけど。またにしますね」
会計をしようと財布を出した神山紗栄子を見て小太郎も立ち上がった。
「支払いはオレがするよ」
「でも・・・じゃ、お言葉に甘えて」
「おかげで、いいクリスマスの夜だったよ」
「わたしもよ。では、お休みなさい」
精算時にカウンターを見ると、青い模様の陶器製花瓶に一輪の赤い椿の花があった。
目立たないが「花一輪」、これで小太郎の孤独な心は少しだけ癒された。
「一日も早く、健康を取り戻して・・・」
この夜、小太郎が祈ったのは、蔵林ミツエの健康回復、それだけだった。
こうして何事もなく雪の舞う綾部の夜は更けて、小太郎はコートの襟を立てて今宵また火の気のないアパートへの帰路につく。