4、義人三人

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4、義人三人

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小太郎は、先ほどから囲炉裏の大鍋から立ち上るいい匂いが気になっていた。
やがて、土地ではカナゴサンと呼ぶ五徳に乗せた大鍋で煮た、野菜たっぷりの肉うどんが全員に振舞われ、これがまた格別に美味。小太郎は「旨い!」と喚いて小太郎は二杯目を所望した。
西山叔父が張り切って言った。
「久しぶりに金毘羅祭りの前夜祭に参加しましたが、それについて少し説明します」
ぬるい茶を一口飲んで、演説を始めた。
「今を去る四百有余年のこと、豊臣家大名で関ケ原の天下分け目の合戦に西軍として戦った藤掛永勝(ふじかけながかつ)は、破れたが許され所領一万三千石を半分以下の六千石に減ぜられ、徳川家の旗本として慶長六年に上林領主となりました。永勝は江戸屋敷に住み、こちらでは石橋城山の麓に陣屋を構えて代官を置き、その後子孫を次々に分家させた結果、藤掛本家の禄高は四千石にまで減り、江戸屋敷での財政は苦しくなるばかりでした。そのために、台風による上林川の大洪水で田畑が全滅した年などにも、そんな事情にお構いなく、この地の代官筒井玄蕃は、自分の私欲を満たすためにも年貢をきびしく取立てました。あまりにも厳しい年貢の取り立てに、飢え苦しむ農民は、村役人を通じて、減免を訴えて出たのですが、江戸役人にも却下された上に、武吉村や佃村の庄屋、年寄、組頭など村人三役はきびしく罰せられました。たまりかねた藤掛領二十二村のうち特に困窮した三村の農民代表が、この代官の暴政を幕府に直接訴えることを計画し、密かにその実行役選びを始めました。ここからは源六さんに・・・・」
何の前触れもなく指名された浦入源六オジが、ひと息ついてから続けた。
「わしの家も平成二十年の十一月、久しぶりに祭壇を祀ることになり、一年間苦労しましただ。三百年も昔の話だが、武吉、佃、忠の三村約二百戸ばかりの農民は、悪代官筒井玄蕃に苦しめられ、年貢どころか飢える者が続出し、年貢の減免、積年の借金棒引きなどを訴える訴訟を計画しただ。だが、代官に知られたら一網打尽で処罰されちまう。そこで、代官に悟られぬように考えて、三村の庄屋など村役人は密儀を隠すため、集会が許される金比羅講祭りの下準備を偽装して夜な夜な集まって協議した。その話し合いの結果、それぞれの村から直訴人を一人づつ募ることになった。なにしろ、江戸幕府に実情を訴えに駆けこむ以上は生きては帰れない。当時は訴えは届いても直訴者は断罪だったからね」
小太郎が呟いた。
「まるで片道燃料の特攻隊ですね?」
「自ら志願した中から選ばれたのが武吉村の善助、佃村の義兵衛、忠の伊衛門の三名の若者だった。その三人が苦難の末に、奇跡的に直訴を成功させたが大変なことだな」
「いい話ですね」
若き実業家の宮中は素直に感動を示した。
「だが成功の裏には悲話も美談もあるからね。まず悲話からだ・・・武吉村の善助の母親は病弱で、金刀比羅様のお札を善助に渡して「心おきなく目的を果たすように」と自害しちまった。佃村の義兵衛は、妻子を離縁して後顧の憂いを断って江戸に向かった。忠村の伊衛門だけは独身で次男だったから両親家族はおおいに励まして送りだした」
「美談は?」
「それも数々あるだが、まず、この三村の貧しさが並みではなく庄屋など村役人は、村人の年貢の未納分を立て替えて代官に銭払いしていたから村には銭がない。三村中で集めても三人の路銀には足らず困り切ってていただ。そこで庄屋が考えて、夜陰の山越えで於与岐(およぎ)村の庄屋・吉崎五左衛門に窮状を訴えに行っただ。そしたら、五左衛門さんはすぐに三村の窮状を理解してくれただよ。多分、直訴人に名乗り出た若者達の意気にも感じたんだと思うがね。五左衛門さんは、他領の一揆に加担は出来ねえが、金刀比羅参りの代参なら、こちらから寄進させて頂きます、と言って多額の路銀を供与してくれたんだ。これで三人はすぐに出発しただが、すでに内通者の通報で直訴人の出発を待っていた代官・筒井玄蕃一味が直ちに追手を差し向けた。それに気付いた三人は。山道を逃げまわってるうちに道に迷ってしまったんだな」
「やはりな。これで代官の勝ちですな」
沖縄の名士・翁木氏が支配者側に組したのか大きく頷いている。
浦入源六オジが続けた。
「三人は、追手を巻いて鉢伏山を抜け、必死で山道を逃げ、和知村から草尾峠を越えるべきところを荘広野村で道に迷い、大溝(おおみぞ)村・・・今の京丹波町大簾(おおみす)に辿りついて日が暮れてしまっただ。そこで、庄屋の家を訪ねて事情を話すと、庄屋の藤右衛門が義侠心を出して三人を丁重にもてなすことにした。だが、他領とはいえ、訴人と知っては家に立ち寄らせることもできねえ。そこで、自分達の集まりに若い旅人三人が紛れ込んだ形なら、何とでも言い逃れはできると考えた。直ちに庄屋の藤右衛門は村人を集め、神社の境内で篝火を焚き、臨時の五穀豊穣祈願と称して三人に暖をとらせ、麦の握り飯も用意し、その夜のうちに、自らが松明を持って水呑峠まで送り、桧山に抜ける道を教えて、夜明けと共に送り出して別れただ。そこから三人は山路を抜けたら東海道。そこからは、途中で出会った虚無僧や、大井川の渡し船頭ら多くの人々や神仏のご加護で無事に江戸に到着し、直ちに幕府へ直訴を成し遂げた」
「よかったですね」
なんだか聞き疲れが出た小太郎が投げやりに言い、それを睨んだ源六オジが続ける。
「しかも、直訴は断罪という掟があるにも拘わらず、直訴した三人は奇跡的に放免されたんだ。幕府評定所は、直ちに四代目領主の寄合席・藤掛信濃守を呼びだして、代官筒井玄蕃の追放と農民たちの訴状の受諾を命じなさった。これで、農民強訴は正式に認められ、三人は嬉々として家路についた・・・ここまでは順風満帆、万々歳ですな。ところが三人には帰る家がない。飛脚の知らせで直訴の成功を知った代官は、まだ自分が断罪される前に訴訟に走った三人と首謀者らを捕らえて処刑すべく手ぐすね引いて待ち構えていた。それを察知した三村の村役らは国境のいなば坂で若い三人を待つことになっただ。やがて三人が現われると互いに手を取り合って喜び、早速、心尽くしの大根,柚子、唐辛子の肴で酒を酌み交わして感謝と慰労の会を開いただ」
「旨い酒だったでしょうな」
小太郎を無視して源六オジが続けた。
「だが、それは別れの盃でもあった。若い三人の身の安全を考えて、それぞれが潜伏先を探すように告げ、三人の偉業を村人に伝えて子々孫々に至るまで顕彰する約束を守り、今後一千年間におよぶ金刀比羅講を続けることを約束して、今日に続いてる・・・・・・こんな話も伝わってるが、いろんな説があるから未だに真相は誰にも分からねえだ」
「いい話だった、ここでお開きですな」
西川が拍手をすると全員がそれを真似て手を叩き、西山叔父が立ち上った。
「ここでお開きは、まだ名残惜しいがな」
浦入オジが残念そうに誰にともなく言った。
「飲める人は、もう少しわしと付き合わねえか? ここで泊ればいいでな」
下戸の西山叔父が、まだ飲みたそうな宮中を制して敢然と言った。
「われわれ五人は綾部駅前のホテルに戻り、明朝は祭りに直接行きます。隆夫君はどうする?」
少し考えてから、西山が言った。
「家に帰って飲み直すのも面倒だから、今夜はここで泊めてもらいます」
「そうか。ちゃんと家に電話しろよ。嫁さんが心配するからな」
「電話ぐらいしますよ。じゃ、明朝五時半に現地集合、いいですね?」
「大橋さんも一緒だな?」
西山叔父が帰りかけて振り向き、期待の目で小太郎を見た。
「大橋さんは綾部の人口増加が仕事だろ? 金毘羅ブームを起こして観光客を何万人か綾部に集めてくれんかね?」
「一人だってまだ無理ですよ」
小太郎は顔を歪めて不機嫌に応じた。足が痺れて動けないのだ。