2、竹の子御飯

Pocket

2、竹の子御飯

茗荷祭り、節分祭りの翌日が竹の子祭りの取材で小太郎は、昨日とほぼ同じルートを辿って篠田町の篠田神社に向った。
昨夜来の雪も止み、早朝から青空に柔らかい陽光が綾部周辺の白い山々を鮮やかに映し出し、寒さも和らいでいた。ここ丹波の志賀郷(しがさと)にある篠田神社は、篠田川流域の篠田、別所、向田、三町区の鎮守で、以前は、境内にある籠(こも)り堂に村の氏子が三日間籠って日に三度、社傍を流れる篠田川での流れに素っ裸になって斎戒沐浴(さいかいもくよく)し、竹の子さんお祭事に臨んだとも中里専務理事から聞いた。
今ではその禊(みそぎ)の伝統は途絶えたが、それに替わる行事として三町区の氏子代表が交替で浄衣に身を包み、お宝田だ(御ミノシベ)宝田」といわれる神聖な竹林から筍(たけのこ)を刈り上げ、その出来具合によって農作物が豊作えあるか凶作であるか、風水害などを占う行事にも参加するという。このお祭りは「お宝まつり」とか「たけのこさん」として知られ、かなり遠方の地かあも参拝者が続々と集まって、かなりの賑わいを見せるという。その参拝客相手に境内では甘酒が振る舞われている。
小太郎の今日の取材は竹の子だが、茗荷も竹の子も独身で自炊生活の小太郎にとっては殆どご縁がない。たまに居酒屋でお目にかかる程度の代物だ。中上専務理事のうんちくだと、今日の竹の子祭りの起源は全く茗荷祭りと同じで千四百二十年の歴史があり、聖徳太子の時代から続く由緒ある祭りだとか。いずれにしても国家安泰・子孫繁栄祈願によって起る志賀郷の不思議現象を今に伝える祭りだと聞いた。
まだらに雪をかぶった木々が鬱蒼と繁る神社の森に入った。除雪された道路から参道に入ると雪はまだ積もっていた。
社殿に隣接する駐車場に愛車を停め、雪でぬかるんだ敷地内に入ると、すでに地元を中心にした大勢の綾部市民が集まって、お籠り堂前と宝田近くの二か所に赤々と燃えている焚火を囲んだりして騒がしい。小太郎は、本堂の拝殿に参拝してから少し下がって、人混みで賑わう境内の風景や京都府指定文化財の篠田神社の本殿を撮り、雪の積もった屋根を見上げてカメラを向けていると背後に人の気配を感じた。
「あら、大橋さん!」
女性の大声に驚いて振り向くと、タネ馬主婦の主婦の唐沢栄子が近寄って来て、その後にミラクル美容室の蔵林ミツエ、安東芳江に殺し屋夫人の長身美人・下山喜美代が続いている。右手にカメラの小太郎が左手を振った。
「皆さん、相変わらずお元気ですね」
すかさず金井喜美代が応じた。
「相変わらず美しいとか言えませんの?」
「相変わらず・・・」
「もう結構、取材ですか?」
「そうですが、皆さんは?」
小柄な安東芳江が笑顔で答えた。
「ここに参拝すれば一年を通じて健康安泰、喜美代さんは高齢出産での安産祈願、ミツエさんは快気祝い、栄子さんは出逢い・・・」
「栄子さんは大橋さん狙いでしょ!」
ミラクル美容室のママの一言で一行の間に笑いが出た。ところが運悪く、その声で近くにいた市役所広報課の数人が小太郎に気付いた。
梅野木郁子が隣の松山聖子に囁いた。
「やっぱり大橋さんの好みなのね」
その声に驚いた小太郎が振り向いて二人を見ると、長身の松山聖子が悪戯っぽく片目をつぶってウインクした。
小太郎が慌てて「誤解だよ」と言おうとした時、行事のスタートを知らせる太鼓が鳴った。
定時の午前十時半、宮司が拝殿前で参拝者にお祓いをして、
やがて太鼓の音がして、あらかじめ白い浄衣を着て禰宜(ねぎ)に扮した氏子代表の二名が、玉垣に囲まれた「お宝田(御ミノシベ)に入り、雪の残る凍るような土を素手で掘り、小鎌で根を切り離して、「わせ」「なかて」「おくて」と三本の竹の子を三宝に載せられて神殿に運ばれ、厳粛な拝礼があった後、拝殿の前にしつらえた「竹の子宮」に並べて飾られた。この竹の子は、あらかじめ夜明けに氏子代表が雪に覆われた竹藪に入って探し求め、早朝のうちに「お宝田」に植え替えるという難業を伴っているとも聞いた。
祭礼が終わると参拝客各々が、自由に竹の子の祀られた小宮を拝み、その竹の子を眺めて各人夫々の吉凶判断を試みる。
「今年は早稲の出来がいいようだな」
「おくてが少し痩せてるだが、果物の出来はよくねえかも知れんぞ」
「やっぱ、地震が来るか?」
どうやら、この年の農作物の収穫の吉凶は、竹の子が刈上げられた筍の生えていた場所や太さ長短、色合いなどの観察から、氏子や村人などが銘々に占う習慣で、神社からの発表は何もない。小太郎にはさっぱり分からなくても、毎年のように若い竹の子を見慣れている土地の人には全てが読めるらしい。ミラクル美容室のミツエママが近づて囁いた。
「大橋さん。この竹の子で何を占ってもいいのよ」
「えっ? 何でもいいの?」
「そうです。わたしなんか毎年、家庭菜園で収穫の出来不出来、家族の健康も占っています」
「的中率は?」
「もちろん百パーセント、いつもピッタシよ」
「それは凄い」
「で、大橋さんは何を占うの?」
殺し屋夫人の喜美代が真顔で小太郎に訊ねた。
「恋人が出来るかどうか、ですね?」
「そうとは限らないですよ」
「たとえば?」
「世界平和、人類繁栄、綾部の発展とか・・・」
「まさか?」
「本気なら凄いわね」
喜美代と唐沢栄子が意外な返事に顔見合わせると小太郎が一言加えた。
「皆さんの健康もです」
近くにいた市役所広報課の梅野木、松山両女史がが「ククッ」と手で口を抑えて笑いを堪え、他のスタッフを促してその場を離れた。
三体の小さな竹の子を拝んで充分に観察した参拝客がいっせいに帰路に着くため、駐車場はごった返している。
「少し待ったほうがいいわよ」
ミツエママの助言に頷いた小太郎は仕方なく、有閑マダムグループに取り囲まれて駐車場出口脇で混雑を避けていた。
「大橋さん、皆さん、お先に失礼しまあす」
綾部市役所と名入りのライトバンの後部座席を開けて笑顔の松山聖子が大きく手を振って去って行く。
小太郎もミツエママ達も多くの人に挨拶されるが、小太郎は名前も顔も覚えないからどこの誰だかさっぱり知らずに挨拶を繰り返した。
「大橋さんも、お腹空いたでしょ?」
「はい、グーグー鳴ってます」
「じゃ。後から追いてきて」
「また四百年家ですか?」
「まさか。竹の子祭りのお昼は、いつも竹の子御飯に決まってるのよ」
唐沢栄子がすかさず言った。
「わたしが大橋さんの助手席でナビします」
「なら安心ね。じゃ、先に行ってるわ。お二人のも注文しときます」
「それは困ります!」
「今日は大食い大会はありませんから、ご安心を」
「ぼくは遠慮しますよ!」
小太郎の抗議に耳を貸さず、ミツエママは悠然と喜美代と安東芳江を伴って愛車に向かい、さっさと車を発車させ神社の森から去った。
「やっと二人になれましたわ」
「少しも嬉しくないですよ」
「さ、腕でも組んで・・・」
「冗談はやめてください。誤解されます」
腕を振りほどくのが一瞬遅かった。市役所広報課は去ってもFMいかるの存在を放念したのが間違いだった。
駐車場内から出かかった「イカル」マーク入りの車の助手席からカメラが突き出されてシャターが押された。
見ると、真上(まがみ)かな子と覚えているFMの女子アナが唐沢栄子に軽く手を振って窓を閉め、小太郎には一瞥もせずに去った。
「みろ、変なとこ撮られちゃたじゃないか」
「FMニュースに載るかしら、早々に篠田神社の願い事叶う! なんて」
「そんなの載らないです。それに唐沢さんは人妻ですよ」
「実は、それが違うのよ」
「どう違うんです。初対面の時にたしか、四十代で未亡人のようなものと言ってましたね?」
「バツイチだから未亡人みたいなものって言ったんで、悪気はありません」
「困りました」
「すると、タイトルは商工会議所新入り職員の恋かしら?」
「バカバカしい」
「それとも、大橋さんを脅迫するのに使うのかな?」
「唐沢さんは噂になっても困らないんですか?」
「喜んでお祝いします。若いツバメ大歓迎なんて夢みたい」
小太郎の食欲は急速に落ちたが、竹の子御飯が注文済みでは断ることも出来ない。
しぶしぶ車を運転して帰路についたが何だか悪い予感がする。
「とにかく商工会議所まで戻ってください」
「店はITビルの近所ですか?」
「場所は分かってるけど名前を忘れちゃって」
「近所なら大概知ってますよ」
「大橋さんは果物は何が好き?」
「果物? 果物よりビールの方が」
「そうじゃなくて店の名前です」
「果物の? まさか桃太郎じゃないでしょうね?」
「それです! 大橋さん知ってたの?」
「正月のカルタ大会の日に・・・あそこは寿司屋ですよ」
「店の若女将が役所の人達と親しく融通が利くって梅野木さんから聞いたんです」
「なんだ? 梅野木さんとも知り合いだったんですか?」
「当然でしょ。綾部にいたら{広報あやべ・ねっと}を通じて、皆さん広報課とは仲良しになりますわ」
「そうか。梅野木、松山、岡崎恵子に城畑里恵、みんな有名人なんだ」
「そうです。それにFMいかるのアナウンサー、あと新聞や商工会議所・・・」
「まさか?」
「商工会議所では、白原百合、萩原亜由美さんなんか観光イベントなどでは引っ張りだこですよ」
「知らなかった」
ともあれ唐沢栄子を「味処・桃太郎」の店の前で降ろして、ITビル裏の定期駐車場まで車を運び、コートを着て急ぎ足で店に向った。これで酒が飲める。
「あら、大橋小太郎さんね? いらっしゃい!」
若女将の村中有子が小太郎をフルネームで覚えていてくれて笑顔で迎えてくれた。
案の定、店内は貸し切り状態で役所の広報課、FMいかるのスタッフ、ミツエママら有閑マダム、それに、あろうことか中上専務理事と西山隆夫が座敷の奥のテーブルのど真ん中に並んで座っていて、西山が小太郎に手招きをしている。
「席はわしの前だ。早く来い。いいニュースだぞ」
こんな西山の嬉しそうな顔は初めて見る。何があったのか?
全員の拍手に迎えられて席に座ると、隣の席には唐沢栄子がいて満面の笑みで小太郎を迎えた。
何回目の祝杯か、ビールで乾杯し終わるのを待って、西山が携帯を取り出した。
「ほら、これを見ろ!」
西山が突き出した携帯の画面を見ると、なんと小太郎と唐沢栄子の腕を組んだツーショット写真が写っている。
「こっちにも」「わたしのも」「これも見て!」「素敵なカップルね」「ご両人!」
それぞれが携帯に転送し合って、FMいかるの真上かな子が撮った小太郎と唐沢栄子のツーショット写真はほぼ全員に行き渡っている。
小太郎の保護者であるべき中上専務理事がとんでもないことを言い出した。
「これで、大橋君も綾部に来てモテた証拠写真が出来たな」
「どういう意味ですか?」
「綾部に来れば、どんなにモテない男でもこのような熟女にモテるという証明だ。これは紛れもない事実だからな」
ミツエママが代弁する。
「綾部市の素晴らしさを全世界にアピールすべき大橋さんが綾部に来て三ケ月、恋人もいない一人暮らしでは不便でしょ?」
「不便なんかしてませんよ」
「市としても都合が悪いのよ。綾部市にはよき女性がいないと思われるのも悔しいし、とりあえず栄子さんでどう?」
「とりあえずって問題じゃないでしょ。ぼくの個人的なことだから」
「そうはいきません。綾部市の面子も掛かっています」
「てことは、これは皆さんがグルになって仕組んだ罠ですか?」
「罠とは悪い表現ですね。ま、既成事実を積み重ねて」
「この写真も?」
「かな子さんにお願いして・・・」
「なにが既成事実です、これは明らかに肖像権、人権侵害、詐欺事件ですよ」
西山隆夫が拍子抜けした顔で小太郎に訊いた。
「大橋君は嬉しくないのか?」
「冗談じゃない。ぼくは二十三で未婚、唐沢さんはバツイチの四十代オバサンですよ」
「オバさんとは何よ!」
唐沢栄子の怒りを制して西山が続けた。
「歳の差が何だ? おい、大橋君! なにか勘違いしてないか?」
「何だ何だ、急に血相変えて?」
「モテない大橋君を憐れんで、自然な形で彼女が出来るように考えた綾部市民の善意を裏切るのか!」
「これが善意? 悪意にしか思えないが」
「結婚しろ、なんて誰も言っておらん。女友達が欲しそうだから気を使っただけだ。それを無下に断るのか?」
「放っておいてください。恋人ぐらい自分で見つけます」
そこに竹の子釜飯や追加注文のビール、ウイスキーの水割り、焼酎のうーろん茶割りなどが運ばれて来て、いい匂いがする。
途端に全員の意識が竹の子御飯に集中して、小太郎の男女問題など一瞬にして吹き飛んだ。
中上専務理事が告げた。
「この話は当事者に任せることにする。写真はFMも広報もボツにしてくれ」
専務理事が続けた。
「諸君。今日は商工会議所のおごりだ」
「有難うございます」
「昼食だからな、酒は慎んでくれ。今日はまだ仕事が残ってるだろ?」
そう言って旨そうにグラスを傾けてウイスキーを飲み干し、「水割り、もう一杯」と叫んだ。
見回すとすでに全員、ミツエママら有閑マダム組も竹の子釜飯に夢中で、唐沢栄子ですら小太郎に見向きもしない。
これで小太郎は、綾部の善男善女が、人の恋路より竹の子飯の方を大切にする事だけは分かった。
小太郎が、前に置かれた釜飯の蓋をとると、煮しめた竹の子の匂いが鼻孔を襲って食欲を煽る。
とたんに、小太郎の脳裏に密かに思いを寄せていた綾部の美女の幻影が失せ、竹の子御飯だけがこの世の全てになっていた。