4、安国寺のもみじ祭り

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4、安国寺のもみじ祭り

大橋小太郎は取材で忙しかった。
古都の奥座敷といわれる丹波綾部市の秋は、市街地を除いてどこもかしこも紅葉の季節を迎えていて、殺し屋など気にする暇もない。
十一月上旬を飾る産業祭り&B級グルメ祭りが終わると、市内はもみじ祭り一色になる。山間部では安国寺、黒谷のもみじ祭り、市街地では本宮町にある大本教の広大な敷地内でのもみじ祭りが市を挙げて盛大に行われる。
大橋小太郎は、愛車のバンガードを駆って中上専務理事から命じられたそれらの祭りの取材に飛び回ることになる。
小太郎の役割は、綾部市の歴史や観光名所、土地柄の良さや人情を国内各地に発信できるような資料を揃えて他県からの綾部市への定住者を激増させることになっている。小太郎は、西山隆夫に誘われたから綾部市に来ただけなのに、誤解が誤解を生んで綾部市の発展のための捨石にされようとしている。なにしろ、大がかりな保険金詐欺団から、実行犯の顔を見知ったというだけで刺客を放たれ命を狙われているらしいのに、護衛もいないし誰も心配している気配はない。あれから西山部長は市長の配慮の組織替えで、定住者推進の仕事から役所から外に出なくてもいい市議会議長などとなって、通勤の往復さえ気をつければ殺し屋に狙われることもない。
必然的に小太郎だけが刺客に襲われるのを待つことになる。しかも相手は顔も知らない二人組、これでは用心のしようも防ぎようもない。したがって何の策も役立たないから自然に任せて「成るように成る」、これしかない。
綾部市にはもみじの見どころなど数限りなくあるが、祭りとなるとまず綾部市東部の上林エリア、安国寺もみじ祭りがはしりとなる。
電車でだとJR舞鶴線・梅迫駅から徒歩二十分、小太郎は車で国道二十七号線を舞鶴に向って走り、信号のある安国寺交差点を左折すると紅葉の山々が視界に迫ってくる。駐車場に車を置いて参道を行くと、樹齢八十年を越すと話に聞いた幹の太いもみじの樹木がおよそ百本以上も並んで周囲を朱に染めている。しかも寺の背後の山々が全山紅葉して、それはそれは見事な上に、どこからか尺八や琴の音が流れ、いやが上にも雅の風情を高めている。本殿に向かう階段の両側からせり出した樹木が、黄ばんだ赤茶から紅までの色で参道を燃えるような色に染めていた。
綾部市は、室町幕府の初代将軍足利尊氏出生の地として知られているが、安国寺は功成り名遂げた尊氏が、この出生の地に建立した寺で知られている。階段を上りきって荒い息で周囲を見ると、境内にはかなりの人がいて、邦楽の演奏に合わせての舞踊や野点、地元特産品の出店にも買い物客が群れていた。小太郎は、賽銭箱に百円玉一個を投げ入れて手を合わせ、小声で「災難から逃れますように」と、刺客から逃れるように願を掛けた。すると、横に立った四十代とおぼしき目立たない温厚そうな男が100円玉二個を投じて「仕事が無事済みますように」と呟いて手を合わせている。多分、仕事熱心な出張サラリーマンか、仕事に行き詰った地元の零細企業のオヤジに違いない。
その男が参拝を終えたあと、小型のデジカメを差し出して小太郎に声を掛けた。
「兄さん、本堂とその右手のもみじを入れて私を撮ってくれますか?」
「いいっすよ。おれのも頼みます。綾部で仕事ですか?」
「まあ、簡単な仕事ですがね」
会話はそこで終わり、交互に写真を撮りあって別れた。
小太郎は、カメラ片手にあちこち見て回った。境内の片隅には、尊氏が赤子のとき産湯を浴びた水を汲んだ井戸もあり、尊氏と妻の登子、母の上杉清子の墓もあった。小太郎は、デジカメで紅葉に包まれた境内や古寺を撮りまくった。その安国寺の古趣豊かな茅葺の古びた本堂の屋根に覆いかぶさるような楓の朱色は見事なコントラスで無粋な小太郎でさえ感嘆の情でしばし立ち尽くしていた。 その安国寺の感動に浸かっている間も休む間もない。つぎは、黒谷のもみじ祭りが待っている。
安国寺のもみじ祭りの写真を、ひとまずNET上の商工会議所便りに載せるように手配しなければならない。
小太郎は、安国寺の取材を終えた翌日の朝、商工会議所に顔を出した。
「あら、まだ生きていらっしゃったのですね?」
小太郎の顔を見るなり秘書部長の神山紗栄子がこの挨拶、これで小太郎のやる気が一気に萎えた。
「大橋さんは意外にしぶといから、そう簡単には往生しないわよ」
それが癖らしく長い髪を左手で漉くって秘書部長の加納美紀が救いの手を差し伸べた。しかし、その発言の言外には「いずれは死ぬけど」という意味が含まれているような気がしないでもない。だがここは素直に喜ぶしかない。
「そうだよ。綾部市のために一働きしてからじゃないと死んでも死にきれないからな」
神山秘書部長が即座に言った。
「あら、わたしたちの達のためじゃなかったの?」
「なんで?」
「大橋さんが手柄を立てたら、わたし達が昇給して賞与も沢山貰えるのよ」
「それを嫁入り資金にするんだから・・・」
美人顔の加納美紀が続けた。
「しかも、わたし達のどちらかが大橋さんを婿にしてもいいのよ」
「どういうことだ?」
「うちらは二人とも、男兄弟がいないから婿取りなの」
「おれはご免だ。女には困っていない」
「あら、無理して」
そこに中上専務理事が現れた。
「お早う! 大杯君、生きてたか?」
「専務までそんな冗談を」
「本気で喜んでるさ。この喜びがいつまで続くかだがな。ところで・・・」
「何ですか?」
「もみじの取材だが、つぎは和紙の黒谷だが場所は分かってるな?」
「国道二十七号線を北に進んで、黒谷の交差点を左ですね?」
「分かってりゃいい。黒谷紙工芸の里は別方角の上神林地区で十倉名畑町だから間違えるなよ。そっちは後でいいぞ」
「そこも取材ですか?」
「そうだ。和紙を漉く実演も出来るから、数枚の年賀ハガキなら手製で間に合うぞ」
「そんなの結構ですよ」
小太郎の困惑などお構いなしに中上専務理事が告げた。
「黒谷に行く前に、味方町の紫水ケ丘公園に行って、平和の塔を囲む紅葉風景を撮ってきてくれ」
「なんですかそれは?」
加納美紀が口を挟んだ。
「綾部市が全国の一番乗りで”世界連邦都市宣言”を実行した記念塔で高さは約十メートル、今の季節がベストです」
「なぜ?」
「白い塔が紅葉と常緑樹に囲まれて、なかなかの絵になるのよ」
これでまた小太郎の仕事が一つ増えた。