2、おとぎ話

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2、おとぎ話

小太郎が提案した各地百人一首の会の実現はともあれ、薬膳料理はなかなかの美味、文句はない。
割り勘会計で端数は西山部長払いで清算が終わり、ひとまず散会になった。
喫茶コーナー居残り組、帰宅組、二次会組に分かれて、わいわいがやがや騒がしい。
”FMいかる”の井坂社長が叫んだ。
「さ、二次会は寿司だな!」
「賛成!」
「それもいいわね」
「あたしは帰るわ」
「わたし達はここでお茶しますから、皆さん、行ってらっしゃい」
「もう満腹だけど、寿司屋でビールとお刺身をお付き合いします」
「おれも行くぞ」
残留組、帰宅組からも参加者が増えて二次会へとムードが盛り上がる。
だが、ここで意見が分かれた。
「たらふく食べたいなら”たらふく綾部かな?」
「もう満腹ちかいからダメ、たか勢か都人ね?」
「たつみ寿司にしましょ! 美味しいわよ」
「だめ、天神町じゃ遠すぎる。東助六は?」
「ここから近い所なら舟半でしょ!」
「もっと近いのは”み乃里寿司よ」
寿し政、松すし、豊寿司、うえ田、千登利寿司、一二三亭、綾部寿司と店名が一通り出揃った。
そこで井坂社長が話しを戻した。
「各地での百人一首を一堂に集めてなんて、所詮はおとぎ話だ。そう思わんかね?」
「確かに・・・」
「では聞くが、おとぎ話の寿司屋は?」
思わず異口同音に。
「桃太郎!」
「じゃあ、その店にしよう」
「ここから五分ね。そこからなら駅までも八分だし」
「二次会の寿司組、手を上げて! ここもワリカンだぞ」
井坂社長が人数を数えてから、市役所広報部の松山聖子を見た。
「役所の連中がよく行くんだろ? 十二、三人、入れるか電話してみてくれ」
「あたしより郁子が、若奥さんと親しいから」
梅野木郁子が頷き携帯を手に、「日本料理なのに番号は、0773の綾部で、洋風のハム食おう・・・笑っちゃうわ」とブッシュし、先方との会話中に右手の指を丸めてOKのサインで示すと、井坂社長が笑顔で頷いた。
「綾部の寿司処は、どの店も美味しいから甲乙付け難い。名の上がった店を順次、食べ歩いてくださいよ。では、参ります」
いつの間にかリーダーに収まった”FMいかる”の井坂社長、寒風もものともせず店を出てからの足取りが軽い。
「あ、そうか? 明日香、もしかしたら?」
土屋えつ子が歩きながら三井明日香の耳元に口を近づけた。小声の会話がすぐ前を歩く小太郎にも洩れている。
「あの店の若奥さん、知ってる?」
「村中有子ママでしょ? 二人の娘さんがいて、上はもう中学生じゃないかな?」
「そんな大きい子がいるようには見えないわね。ひょっとして?」
「おとぎ話にこじつけて・・・社長はモテるから」
「最初から桃太郎なのね?」
「金太郎って店があったらどうしたのかしら?」
「食べ物だから、お金より桃だな? とか言って」
「あたしならお金のほうがいいな」
「当然よね?」
そこで顔を見合わせ、手で押さえた二人の口元から「クックッ」と含み笑いが聞こえて来る。
思わず小太郎は、斜め前を行く井坂社長の顔を見たが、街灯の明かりで見る限り、この誤解された会話での変化は全く顔に出ていない。この些細な一時からでも、海千山千の才女才男揃いで知られる”FMいかる”の社長業がいかに大変かが推測された。
もっとも、井坂社長がこの程度の会話を耳にして「ムッ」とする程度の器量なら、とっくに胃潰瘍か心身症で入院している。小事に動じない井坂社長の人間性の大きさに小太郎は感服していた。
若松町七丁目の日本料理”味処桃太郎”は、商工会議所のあるITビルから市役所への道筋にある店で、小太郎は何度も店の前を通ってはいたが入るのは初めてだった。店の看板には、鮨、そば、一品料理とあり、それぞれが味自慢で通っているらしい。ともあれ、小太郎は、寿司も食べたいが、今は何よりも体が温まる熱い鴨南蛮そばに七味唐辛がらしをたっぷり振り掛けて食べたかった。
桃太郎での二次会には”FMいかる”の井坂社長、三井明日香、土屋えつ子、市役所の西山部長、岡崎恵子課長、松山聖子、梅野木郁子、商工会議所の芦沢事務局長、福岡多佳子、加納美紀、神山紗栄子、白原百合、それに小太郎の十三人が参加、賑やかな顔ぶれだ。
寒い夜だが土曜日だけあって日頃の夜は閑散として人影のない商店街には、カルタ大会の余韻もあってか往来する人々で賑わっていた。
梅野木郁子が明日香に聞いた。
「この店、旧名は桃太郎、それを味処(あじどころ)桃太郎って変えたけど、何故だか知ってる?」
「なんで?」
「近くに桃太郎便って運送屋があって、お互いに間違えられて困っていたんだって」
「味処を付けたって同じでしょ? でも寿司屋に、荷物取りに来いって電話があってもね」
「運送屋に、新年会に十人行くけど、なんて、これも困るわね」
福岡多佳子が口を挟んだ。
「それは違います」
「なにがです?」
「立春の前日の節分の夜、その年の恵方に向って太巻き寿司を丸かじりしながら願い事を祈るのは、梅野木さんも知ってますね?」
「恵方巻きなら三つの子だって知ってますよ。豆まきに対抗しての節分の厄落としですから」
「その{恵方巻き}って言葉は、あるコンビニが使って流行らせた流行語で、以前は{太巻き寿司}{丸かぶり寿司}{幸運巻き寿司}などと呼ばれていましたが、この店は、これで大当たりして毎年の大行列、それで名前を変えたんです」
「そういえば・・・」
松山聖子が土屋えつ子と何かに気付いたように目を見合わせた。
「味がいいはずよ。それぞれ別々に味付けをしたアナゴ、干ぴょう、卵焼き・・・」
「椎茸、昆布の佃煮、きゅうり、ほうれん草、具だくさんで美味しいから?」
「太巻き寿司で評判をとたから図に乗って味処・・・」
「それに違いない!」
味処桃太郎の玄関横には、寿司、蕎麦、一品料理などと印字された旗が寒風に晒されてはためいている。
いつも玄関脇に立てかけてあるメニュー看板は夜が遅いからか見当たらない。
「いらっしゃい」
味処桃太郎の店主夫人の村中有子ママが笑顔で迎え、「奥の座敷へどうぞ」と、先頭の井坂社長に伝えた。
遅い時間だけに客も少なくカウンターも店内の椅子席も空いていたが、座卓が幾つも並ぶ座敷に上がってコートを脱いで壁のハンガーに掛け荷物を部屋の隅にまとめ、テーブルを三つ合わせて両側に六人、端に井坂社長が牢名主風に落ち着いた。小太郎は遠慮して入口に近い場所に座ったところ、わざわざ西山部長が「ここがいい」と席を替わって隣に来て腰を据えた。
ほぼ全員が有子ママと顔見知りで、半数以上がこの店の常連だから何の気兼ねもなくいつも通りに接している。
奧にどっかと座った井坂社長が、「体が冷えたから熱燗で鍋焼きうどん!」、これが悪かった。
寿司なら握り続けるだけなのに、座敷で腰を下ろした順に好き勝手に注文を言い始めたのだ。
「アサヒスーパードライと串カツに熱いタヌキそば」
「わたしは焼き鳥と焼酎ね」
「サントリーモルツとモツの煮込み」
芦沢事務局長は。さすがに常識がある。
「寿司を食べに来たんだから寿司だろう。キリンの瓶一本と握り寿司の竹!」
だが、西山部長が裏切った。
「燗ばやしの熱燗に刺身の盛り合わせ、肉うどん!」
小太郎も図に乗って續いて叫んだ。
「酒は同じで、熱い鴨南そば!」
これでまた口々に勝手な注文を口々に叫ぶ。
「湯豆腐に天婦羅うどんに水割り」
「エビスとブリ大根!」
「サッポロの生でバサシ」
「味噌ラーメン!」
「いい加減にしてください。うちは中華屋ではありません! 注文を整理してください」
その有子ママの勢いに圧倒されて、井坂社長がいとも簡単に妥協した。
「分かった。飲み物と食べもの併せて税込一人千五百円でママに任せる」
「遅い時間ですから一時間ほどで閉店ですが三十分延長で一時間半でお開きでいいですか? その間は熱燗、ビール、焼酎、ジュースなど飲み放題で結構、料金は、飲み物・食べもの税込みお一人千二百円、これで結構です」
「さすが有子奥さん、太っ腹だね? それで計算は合うのかね?」
「このメンバーなら、飲める人、飲めない人も含めて、おおよその見当はつきます。それに・・・」
「なんだ?」
「食事はしてきたんでしょ?」
「一応はね」
「でしたら沢山は食べられませんよ。寿司は店長お任せで適当に出しますから、追加は食べたいネタでご注文ください。刺身の盛り合わせに寄せ鍋、煮物も適当に用意します。麺類や汁物などご希望がございましたら遠慮なくお申し出ください。それでいかがですか?」
「おおいに結構、それで頼みます」
まずビールが出て全員で乾杯し、改めて飲み物の注文をとると、ビール、酒、焼酎のお湯割り、洋酒、ウーロン茶などで銘柄は誰からも出ない。なるほど、これなら客側も満足だし店側の効率もいい。
寿司も料理も種類も出揃って、外気で一度醒めた体に再び快い酔いが廻った頃、芦沢事務局長が提案した。
「折角、役所、FM,会議所の有力メンバーがこれだけ集まったんだから、飲んだ勢いで何か共通の話題はないですか?」
「共通? さっきの続きで充分じゃないですか?」
「明日香さん、さっきって?」
「芦沢さん。もう認知症ですか? さっきまで全国にご当地百人一首の会を普及させるって言ってたじゃないですか?」
「あれは、うちの大橋君の思い付きですから・・・」
「身内でそんなこと言わないでください。あれはいいアイディアですよ。綾部が全国に発信して是非、普及させましょう」
井坂社長が焦った。
「おいおい、FMいかるが協力するかしないかは、まだ決めておらんぞ」
「社長がだめでも、わたし達は協力しますよ。ねえ、えつちゃん?」
「もちよ。社長は日テレ、テレ朝、フジ、TBS、東テレ、NHKなどに、番組を作るよう運動してください。わたし達が出演します」
「番組って言っても、まだ綾部だけだぞ。小倉百人一首だって番組には出来んじゃろ?」
市役所の岡崎恵子課長が沈黙を破った。
「では、こうしましょう?」
「なんだね、急に?」
「各都道府県の観光短歌を継続的に沢山募集して、その中から数点づつを選んで全国観光百人一首を作り、各県代表で競うのです」
「年に一回かね?」
「観光ですから四季です。春夏秋冬、主催都道府県まわり持ちで開催するんです」
「なるほど、坂本龍馬全国大会なんて毎年、各県でまわり持ちだ。それと同じ手だな?」
「綾部市東部の上林地区の金毘羅祭りは、三ケ村で毎年まわり持ちですね」
「オリンピックだって不規則だけど世界中を回り持ちで開催してるし」
「それとは違いますけど、全国各地の観光名所がアピールできれば盛り上がるかも知れませんね」
「どんなのがあるかな?」
梅野木郁子が思い出したように口を挟んだ。
「宮城県の観光NETを見ていたら、こんな短歌が。うろ覚えですが・・・{華やかに川面に写る花火にて広瀬川にも夏が来るなり}。{コマクサの終わりを告げた蔵王山女王の花の面影残して}、このような句がいっぱい並んでました。詠み人はどなたか知りませんが」
白原百合が続けた。
「青空文庫の小熊秀雄短歌集に載ってた北海道を旅した歌もいいですよ。{石狩の少女の胸の白さかな遠くとどろく鉄橋の汽車}、{山遠き小能登呂(このとろ)の浜まひる日に青くかがやき草もゆるみゆ}{屋根低き名寄の町に風荒れぬ呼吸ひそめつつ人ら住めるも}、これなど、どうですか?」
芦沢事務局長が眉をひそめた。
「歌はよくても観光向きじゃないですな。小熊作品にはこんなのも、{さほどまで美男にあらず鎌倉の大仏さまは喰はせものなり}、西山部長、知ってますか?]
「知りませんよ。そんなの」
西山が少し酔った口調で話の腰を折った。
「この話は、ここまでだな。そこで提案だが・・・」
全員が西山部長を見た。
「これを機会に、この役所、FMいかる、商工会議所に、綾部市観光協会を加えて、綾部から全国に発信できるものの研究会を発足させたらどうかな?」
井坂社長が頷いた。
「なるほど、綾部が全国区にれなれば、綾部市の目玉を作って観光客を誘致することも可能ですな」
松山聖子が小太郎を見た。
「この全国観光百人一首の会は、大橋さんが責任持ってください。あなたが言い始めたのですから」
「でも、ここは桃太郎でおとぎ話の店、ここでの会話は架空の話で」
「いいえ。この話は現実です! それに薬膳の店で言い出したはずです」
小太郎は「口は災いの元」、この格言の正しいことを思い知らされていた。