7、小太郎向きの祭り?

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7、小太郎向きの祭り?

楞厳寺(りょうごんじ)の初弘法とは、弘法大師法要のことで一年の最初の弘法大師の縁日だった。
楞厳寺の本堂で行われた「四国八十八ヶ所霊場お砂踏」と「柴燈(さいとう)不動護摩祈願」は小太郎の想像を超えた古式に則った厳粛で厳正な行事であることが分かった。 まず、修験者たちが弘法大師の霊徳を授かるために、何やら難しい呪文を唱えながら四国八十八ヶ所を模した砂の上を巡って時を過ごすのが「四国八十八ヶ所霊場お砂踏」の儀式だった。次いで、護摩木(ごまき)と名付けられた板切れに希望者それぞれが名前と願い事を書き入れて焚火風の火の中に投じ、手を合わせていると修験者が祈祷して願いを叶えさせてくれるのが「柴燈(さいとう)不動護摩祈願」だった。小太郎は、誰にも見られていないのを幸いに「恋人確保願望成就・大橋小太郎」と護摩木に書いて火中に投じている。
儀式の後は甘酒も振る舞われ、素晴らしい四季夫々のカラス絵の拝観も許され、これで小太郎は弘法様のお情けによって、一年の厄除けと恋人に不自由しないご利益が約束されている。有り難いことだ。
その日の夕刻からは市内天神町に移動して綾部天満宮の宵闇から二日間に及ぶ初天神、初春大祭に参加した。
綾部の文化財でもある天満宮初天神の宵宮祭には、大勢の市民や観光客が集まり、日暮れ時になってから、企業や地元の有力者などにより寄贈された真新しい百五十張りにも及ぶ提灯の火入れ式からスタートする。
この日は生憎の天候で粉雪がぱらつく寒い宵だったが、それでも境内に押し掛ける群衆は後を絶たず、奈良島宮司の火入れ式によって百五十張りの新しい提灯がいっせいに点灯され、境内は昼間のような明るさで一瞬にして華やかな雰囲気に包まれ、小太郎にも集った人々にも暫しの間、寒さを忘れさせてくれた。街灯や提灯に照らされた境内には護符の売店、福引き場や甘酒の屋台、参道には食べ物飲み物の屋台も出ておおいに賑わっている。
「大橋さん!」
振り向くと、見慣れたFMイカルの取材班数人がカメラを向けている。レポーターの土屋えつ子が厚手のパーカーのフードから小太郎を覗いて真顔で質問してきた。
「どちらからいらっしゃいましたか?」
「どちらって? 商工会議所だけど・・・」
「ダメです! 西町から来ました、とか一般市民の声が欲しかったのに」
「そんな・・・」
「カメラさん、あっちへ行きましょ」
FMイカルが去ったところに西山隆夫が現れた。
「また、振られたか?」
「そんな関係じゃないですよ」
「いいか。ここの祭神は学問と書道の神様・菅原道真公だからな。せいぜい五穀豊穣、天下泰平、健康安泰、家庭の平安ぐらいまでで、やましいことを祈願しても効果はないぞ」
「やましいって、何が?」
「大橋君が考えてることさ」
やはり見抜かれている。
火入れ式に続いて、地元各地区の自治会会長や天満宮役員などの玉串法典などの儀式が続き、一般参列者へのお祓いの行事もつつがなく終わって早くから整列していた参拝客の参拝が果てしなく続いた。
小太郎と西山隆夫が群衆に紛れて参拝を済ませた頃は、夜も更けて寒さが骨身に沁み、会話もままならない。
ここ綾部市には日本中の神々や仏さまが群れ集っているらしい。
それでなければ、数百という市内の神社仏閣が連日連夜のお祭り騒ぎに何の意義も見い出せなくなる。
ここは、神仏のご加護を信じることで、この苦労は「仕事だけじゃない」と小太郎は自分自身に言い聞かせていた。
ともあれ、二日間にまたがる初天神・綾部の文化財「綾部天満宮の祭礼」は無事に終わった。
「部長、どこかで酒でも?」
「それはいい! いや、だめだ。二人とも車だからな。今日は真っすぐ帰るぞ」
なぜか急に不機嫌になった西山が、雪降る中を背を丸めて歩き始めた。
「一口だけでも」と小太郎は思ったが、黙々と西山の後を追って駐車場に向った。
連日、そんな日が續いた。
(もうイヤだ!)
そうも思うのだが、それでも何がしかのご利益を考えると、また出かけたくなるから不思議だ。
こうして、小太郎の神社仏閣巡り取材に終わりはない。中上専務理事の妥協のない指示が小太郎の休息を奪った。
「あと一息、正暦寺の不動明王大祭を頼むぞ。こっちは初不動だ」
初天神の次が初不動・・・小太郎は連日の寺社巡りで疲れ気味だったが、仕事となれば仕方がない。
交通安全祈願で知られる市内寺町の那智山・正暦寺(しょうれきじ)の不動明王には大げさな付録が付いている。あやべ西国観音霊場第一番札所・近畿楽寿(らくじゅ)観音霊場、第二十一番札所などの名称がそれである。
だが、大層なのは名称だけではなかった。
長い石段を登り詰めると歴史を秘めた壮大な山門が目前に迫って小太郎を圧倒した。
この那智山・正暦寺は、市内館町の楞厳寺と並ぶ高野山真言宗の古刹で、大変由緒ある寺院として知られている。
天慶五年(九四二)に、ご自分で彫った観音様を彫られたて祀って空也上人が開いた寺で、正暦二年(九九一)に時の帝の一条天皇が、雨乞祈願の卓効を認めて年号の「正暦」を賜ったという起源もあり、歴代の綾部藩主も雨乞いだけでなく所持万端の祈願寺として厚遇されており、本尊の聖観音像は三十三年に一度だけ御開帳される秘仏で、毎年1月28日には代々の藩主が参勤交代道中の安全祈願に参拝されたとの言い伝えがあるらしい。
小太郎が朝早く訪れたこの日、午前九時から大祭が始まった。
住職の玉川上人や檀家代表が綾部市指定文化財に指定されている「木造千手観音堂」において守り本尊に参拝、参加者が続いた。午前十時になると、山伏姿の行者が法螺貝を吹き鳴らした。重厚な法螺貝の音が鳴り響くと、それを合図に法螺を鳴らした行者を先頭に、高野山真言宗の僧侶達が指定の場所に集結し、本格的に大祭の行事が始った。
前市長の五方靖男氏が寺の筆頭代表として不動明王祭の主旨を説明しながら挨拶した。續いて山伏の問答があり、その後、寺のご住職による宝斧(ほうそ)の作法、宝弓の作法、宝剣の作法、 願文(がんもん)奏上の儀式があり、松明(たいまつ)に点火する儀式があって、その火が護摩檀に点火され、多くの護摩木が投げ入れられると、燃え上がる炎が呪文を唱える行者や参拝する人々の顔を赤々と照らして祭の高揚感は最高潮に達して盛り上がった。
その後に続く「四国八十八ヶ所お砂踏み法会」は、楞厳寺の儀式と全く同じで新鮮味はないが厳粛さは寸分も違わなかった。
少し違うのは、ここでは甘酒でなく、無料接待の「交通安全大根だき」と命名された美味しい煮物が振る舞われたことで、これに少量でもいいからお神酒が付けば申し分ないのに、と小太郎は思った。
こうして、郷土の繁栄や交通安全の祈願を籠めた不動明王祭は無事に終わった。
月曜の朝、商工会議所で、加納、神山両課長を交えた恒例の朝会でコ-ヒーカップ片手に中上専務理事が言った。
「ご苦労だったな。ところで、先だって大橋君にピッタリの祭りがあるって言ったのを覚えてるか?」
とたんに二人の女性課長が顏を見合わせて目を細め口を押さえている。それを横目に睨みながら小太郎が応じた。
「そう言えば・・・何ですか、それは?」
「眞福寺の脳天大神大祭ってやつだ」
「のうてん? どう書きますか?」
「頭のてっぺんの脳天じゃ」
すかさず両課長が口を添えた。
「頭の病気に抜群の神様です。きっと大橋さんには役立ちます」
「もの忘れ、ボケ防止、なまけ癖も改善されるのは間違いありません」
小太郎がむっとした口調で二人をなじった。
「あんた方二人が行って来たら?」
「幼い頃から何回も行ったから、このように。ねえ?」
「そうよ。だからもう、わたし達は行かなくてもいいんです」
中上専務理事が呆れた口調で二人を制した。
「まあまあ・・・なにしろ、こちらも綾部の文化財じゃからな」
これも綾部の文化財となれば手抜きは出来ない。
小太郎は乗り気になれないまま、指定された期日になると、しゃきっとして中上専務理事の指示に従って、綾部市内向田町にある禅寺の曹洞宗・眞福寺の大祭に参加していた。やはり、綾部の祭り中毒の病原がすでに体中に回っているらしい。
境内に建立された「満国英霊塔」へのご住職の御祈祷参拝から「脳天大神大祭」が始まった。
この寺の御本尊は、奈良・吉野山の国宝・蔵王堂の一角にある「脳天神社・龍王院」からの分霊であるらしい。そのご本尊は、蔵王権現の変化身で、首から上のあらゆる病気や苦痛、ノイローゼや脳卒中、それらの全てを治癒する神様が宿るとされている。
この寺の効能は、受験進学、除災、除難、招福、交通安全、諸願成就だが、端的にいえば頭がよくなる神様仏様なのだ。
小太郎は、かなり真剣に御真言の「オンソラ、ソバ、テイ、エイ、ソワカ」を唱えて賽銭を投げ、頭脳明晰になれることを祈った。
当然ながら小太郎の頭は、この日を境に回転が速くなったような気がする。残念で不満なのは、誰もそれに気づいてくれないことだった。