4、大本教

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 4、大本教

小太郎がそぞろ歩く宵の大本通りは、往来する人の群れでごった返していた。
大本教神苑は、JR山陰線の綾部駅から徒歩十五分、散歩コースにもちょうど良い距離にあって、市外からの観光客なども続々と集まっているらしく、往路復路の電車が駅に到着するたびに人の流れが極端に増えたり減ったりしている。
大本通りの両側の上部に飾られた寄贈者名入の丸行灯(あんどん)、歩道に置かれた角行灯が商店街を明るく照らし、祭りのムードを一層盛り上げていて、大本教に辿り着き、一歩、門を潜ると幻想的な別世界がそこに広がっていて小太郎の目を奪う。
大本神苑の建物に沿って用意されたライトによって庭園いっぱいの紅葉が空を紅に染め、地上の落葉も、庭園の芝に沿って並べられた竹筒行灯の明かりに照らされて芝生を赤い絨毯で覆っていた。その先の大本みろく殿でからは、昼間とはまた違った曲目で邦楽の演奏が行われていて壮厳な雰囲気をも醸し出していた。
ライトアップされた真っ赤な樹林に囲まれて、昼間見た時は大きな緋鯉が泳いでいた金龍海と名のある池に、周辺の夜景が映し出されている上に、長生殿あたりから流れる幽玄な琴の音に合わせて、風が水面にさざ波を揺らせるからなおさら幻想的な夜景を醸し出している。
ただ、残念ながら美的感覚の欠如した小太郎の目と大脳には折角の”値千金”の夜景も”猫に小判”で何の価値もない。
「あら、大橋さん? また会いましたね」
肩を叩かれて振り向くと、長身美人の金井喜美代が昼間とは違った優雅で華やかな和服姿で立っていて、その左手が背後に隠れた男の右手を握っている。
「やあ」
思わず喜美代の背後を覗きこむと、仕方なく顔を上げた男が小太郎に頭を下げて挨拶をした。なんと下山一蔵ではないか。この二人は先刻であったばかりなのに、手が早い男もいたものだ。
「下山さんじゃないですか?」
「すまん。そば屋に行った時から気があってな。どうした訳かこうなったんだ」
金井喜美代が悪びれる風もなく言った。
「お一人旅で寂しそうだから、あたしが誘ったのよ」
「そんなのどうでもいいけど、お仲間は?」
「皆さん、所帯持ちだから夜は別々なの」
下山が聞いてもいないのに、雑踏の中の立ち話で慌てて弁明した。
「私の仕事は、ターゲットが身近でいつでも出来るから余裕の息抜きさ」
「身近って?」
「要するに綾部市内での仕事ってことだよ」
「どんな仕事か聞いていないけど?」
「人に言うほど大それたことじゃないんだ」
「人に言えない仕事ってこと?」
金井美智代が頷いて言った。
「多分、この方は私立探偵さんで、役人の汚職事件かなんか追ってるんでしょ?」
それなら小太郎にも理解できる。
「なるほど。おれに接近して来た意図がようやく分かったぞ!」
「なにがだ?」
「おれに、西山さんが払った飲み代が官費だったと言わせたいんだろ?」
「なんだ急に? その西山てえのは一体全体どこのどいつなんだ? だが聞いた名前だな?」
「知ってるんだろ? 永住課の西山部長を?」
「もしかすると、もう一人の?」
下山が納得したように頷いた。自分とは別の男が担当しているのは確か西山と聞いたような気がする。
「やっぱり下山さんは西山部長を知ってたんだな?」
小太郎の疑問に金井喜美代が応じた。
「この前、B級グルメで一緒だった西山さん。あの人が殺し屋に狙われてるのは綾部市民なら誰でも知ってますよ。でも変ね?」
「なにが?」
「賭け率が9対1で圧倒的に大橋さんの得票数が多いのに、まだ大橋さんの前に殺し屋なんて現れてないんでしょ?」
「殺し屋なんてデマですよ。おれも西山さんも本物の殺し屋がいたらとっくにあの世逝きさ。それとも相手が間抜けで手が出せないのかも」
これを下山と称した男が聞きとがめた。
「間抜けって、どういう意味かね?」
「どう考えたって間抜けだよ。おれなんかこうして雑踏の中を無防備で歩いてるんだから背後から撃たれたら一発で・・・」
「それじゃ、一人や二人は目撃者が出るだろ? プロはもっと巧妙にやるさ」
「一発で仕留めて、人ごみを素早く逃げれば?」
「プロはそんな危険は犯さんよ。第一、拳銃なんか使わん」
「じゃあ何で?」
「細身の・・・あ、おれには関係ないことだった。ま、短い命を大事にな。美智代さん、あっちへ行こう。じゃ、またな」
二人が去った後、小太郎は5百畳敷二百五十坪の大広間を眺め長生殿に向かい、ボランティアの青年かの棒読みの説明を聞いた。
「皆様が大本教と呼ばれるのは自由ですが、本来は教の字を除いた”大本(おおもと)”がこちらの正式名称です。大本は、明治二十五年(1892)、開祖「出口なお」に「艮(うしとら)の金神(こんじん)」と名乗る神様が降臨した神示を立教の原点とした由緒正しき神道系教団です。その後、数年を経て霊能者・出口王仁三郎(おにさぶろう)のお告げで、この神が国祖であることを知り、二人で教団組織を作ることになり、王仁三郎は娘婿となり、戦前の日本においての有数な巨大教団へと発展し、戦前には政府から再度の弾圧を受けながらも発展を続けたのです」
青年がポケットから出したペットボトルのお茶を一口飲んで続けた。
「大本の教義は簡単明瞭、この大本内で起こったことが日本に起こり、日本で起こったことが世界に起こる、という論法が基本で、これによって世直しを可能とするものです。この世直しの終末論と理想世界建設の思想が戦前の官憲に睨まれ、革命思想として徹底的に弾圧され、一時期はやむなく活動を停止せざるを得ない時期もありました。NHKの大河ドラマ「坂の上の雲」の主人公・秋山真之も日本海海戦後に入信したのを始め、政財界を含む各界著名人も数多く信者として参加しています。さらに、生長の家、世界救世教、日本心霊科学協会など諸団体のいくつかは、かつて大本に所属していた幹部が興したものです」
こまでは、小太郎にとっては全く興味のないことばかりで気にもならない。だが、ここからが違った。
「魂の武道と言われる合氣道の開祖・植芝盛平翁も熱烈な信者で、合気道を興すに当っては大本の精神性を武道の支柱として取り入れたことで知られています」
これが耳に残った。小太郎は大道塾空手に転向する前の一時期、短期間だが港区芝の植芝道場に通って合氣道を習っていた過去があるからだ。