3、就職歓迎会

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3、就職歓迎会

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このような経緯を経て大橋小太郎は、綾部市を訪ねて西山に会うことにした。
京セラ、日東精工、グンゼなどの一流企業が面接だけで入社出来るなど夢のような話だ。
母にこの話をしたら、母は半信半疑ながら、喜んで送り出してくれた。
母一人子一人の生活が長かったから別れは辛いが、自立の旅だから仕方がない。
西山に連絡すると、「段取りはすぐつけるから、前日にでも電話してくれ」、声が弾んで嬉しそうだった。
当面の間は暮らせるだけの衣類やパソコンなど、生活必需品をキャリーバッグに詰めた。
あとは、いつでも母親に発送してもらえるように梱包してある。
住むところは手配すると西山は言うが、すぐは無理だと思ってホテルを予約した。
出掛ける前日、西山に電話で「NETで調べて駅前のホテルに予約した」と告げると。こう答えた。
「泊まるところは確保した、いつ来てもOKだ。ホテルはキャンセルして来い」
「いいんですか?」
「わしの携帯は教えてあるな? 東京駅を八時前に乗れば昼を一緒に出来るぞ。乗ったら時間を知らせてくれ」
どうやら西山も本気らしい。
半信半疑で朝早く家を出て、七時五十分発の新幹線のぞみ十三号に乗り、すぐ西山に電話をした。
「それなら昼前に着く。会議で迎えに出られないから代わりに誰か行かせるからな」
京都駅には十時過ぎに着き、十時二十五分発の山陰本線の特急はしだて三号に乗り換え北に向った。
京都から綾部までは一時間ほどの列車の旅だったが、まだ紅葉の残る丹波の山々は小太郎にとって新鮮な癒しのひと時になった。
綾部駅には十一時三十一分に到着した。遠いと思っていた綾部市は、東京からわずか三時間四十分、意外に近いのだ。
改札を出ると、小太郎より少し年上らしいメガネを掛けた女性が声を掛けてきた。
「大橋小太郎さんですね?」
「そうですが。なぜ分かりました?」
男だけでも続いて十人以上が改札口を出ているのに、彼女は的確に小太郎を見抜いている。
それにしても清潔な街だ。ゴミも空き缶もなく風はさわやか空気も旨い。
綾部駅北口の駐車場まで来てから、女性が口を開いた。
「少し天然がかってボーッとした青年、こうお聞きしていましたので」
笑顔も見せずに言葉を添えた。
「綾部市役所総務の高橋です。わたしはそのような方がタイプです」
「それは、どうも」
何となく「有り難う」までは出なかったが、悪い印象はない。
小太郎の綾部についての第一印象は、清潔な街・・・これに尽きる。
なにしろ駅前の広場を見回してもゴミ一つ、タバコの吸い殻一つの残骸も見当たらないのだ。
小太郎の住んでいた北千住は都内でも一ニを争う乱雑な街だけに、その差は限りなく大きく感じられた。
思わず深呼吸をした小太郎が、「うまい!」と呟き、それを耳にした高橋女史がけげんな表情で小太郎を見た。確かに空気が旨いのだ。
駅から市役所までの短い距離ではあったが、高橋女史の運転に任せて後部座席の車窓から眺めた平日の商店街は閑散として人影がなく、シ

ャッターが閉まったままの店も少なくない。この静寂な光景は、北千住駅前商店街の雑踏を見慣れて暮らしてきた小太郎にとって、心が癒さ

れる思いはしたが、その反面、地方都市の商店街の衰退を思うと胸が痛む。
「いつも街はこんな感じで静かなんですか?」
「週末には人も出ますよ」
「西山さんは?」
「市役所別館の応接室にご案内を、との伝言です」
小太郎が案内された市役所別館の壁には「大河ドラマ誘致、明智光秀、細川ガラシャ」などを載せた大きな布ポスターが貼ってある。
「少しお待ちください」
古いが掃除の行き届いた市役所の応接室に案内された。
感じのいい女性職員が二人分のコーヒーを運んで来た。
なにやらいい香りだが、爽やかなのはコーヒーなのか女性の香りなのか?
それを見透かしたように女性職員が笑顔を見せた。
「並ですと自販機の缶コーヒーですが、特別のお客さんは本物のドリップですから香りが違います」
「特別の?」
「西山部長が、東京から綾部の救世主を招いたと聞いています」
そこへ西山が現れた。
「待ってたぞ。なにしろ大橋君は命の恩人だからな」
女性職員が大きく目を見開いて小太郎を見た。
「それは凄い! 本当ですか?」
「冗談、冗談だよ。紹介しとくよ。こちらは・・・」
「大橋小太郎。今日から綾部で就活です」
「この美人は秘書広報課の梅野木くんだ。もっとも綾部の女性は全員美人だがな」
「梅野木郁子です。これからも西山部長を助けてあげてください」
「大橋君はな、東京からわざわざ、この綾部市を援けに来てくれたんだぞ」
「そうですか? 嬉しいです」
「まだ何もしてませんよ」
「これからですね? 是非、綾部市を全国的な知名度に高めてください」
「コーヒーを飲んだら食事に出て、そのまま商工会議所に行ってくるから、あとを頼むよ」
女性職員が去ると、大柄な西山が肩をすくめた。
「秘書広報課は秀才才女揃いだがPRも仕事だから、下手なことを言うとたちまち尾ひれが付いて広がるんだ」
市役所に近い小料理屋の和食ランチサービスでお昼を済ませ、連れられた先がITビル二階の商工会議所役員室だった。
「大橋小太郎です」
「ほう、きみが隆夫君の命の恩人の大橋君か? 親戚を代表して礼を言う」
六十代に見える貫録のある男が小太郎に名刺を出した。見ると、綾部市商工会議所専務理事・中上進次郎とある。
このような団体は、専務理事が代表取締役で、その上は地元の有力会社社長が名を連ねる名誉職だから、決定権は百パーセントこの専務理事にあるのは間違いない。
その専務理事が立ったまま小太郎をじーと見つめて頷き、すぐ採用を決めた。
「二年更新の臨時職で住居・車付き、月25万で、どうだね? 但し三カ月は研修期間だよ」
車と家付きで25万、思いがけない好条件で小太郎は驚いた。まだ履歴書も出してない。
「就職、本当にいいんですか?」
「毒にも薬にもならず、いてもいなくても邪魔にならないようだからな」
これが採用の決め手だとしたら情けない、絶対に断るべきだが就職したいのが事実だから仕方がない。
「よろしくお願いします」
中上専務理事は小太郎を見抜いていた。貫禄があるだけではない、その眼力は恐ろしいほど的確なのだ。
「荷物は?」
「これだけで当分は大丈夫です。あとは家族に送らせます」
履歴書を出し、改めて自己紹介をして勧められた椅子に座ると、女性職員がお茶を運んできた。
「美味しいですね」
出されたお茶は、香りも味もよく乾いた喉に快い。素直にお茶を褒めると専務理事が喜んだ。
「ここも本来は宇治と同じ茶どころなんだ。ただ宣伝で負けてるだけだよ」
中上専務理事は早速、職員に紹介するという。
「綾部商工会議所は、名誉職の会頭・副会頭は別にして、わしと塩川常務理事、職員は事務局長を頭に総勢十二人、精鋭揃いだぞ」
「全員が精鋭? 私にはそうは見えませんがね?」
「うるさい! 役所の人間には言われたくないな。ま、隆夫君も一緒に来い」
職員が立ち働く広い事務室に入ると、かなり活気づいていて見るからにやる気が充満している。
「諸君! 今日から当商工会議所職員見習いの大橋小太郎君、ご存じ定住・西山部長の斡旋で東京から綾部市発展のために来てくれた」
「おうー」と期待めいた小さなどよめきが室内に流れた。
「研修期間三ケ月ほどは机も不要、わしの部屋を拠点に直属で働いてもらう。わしが不在の折りは事務局長、指示を頼みますぞ」
「承知しました」
即座に大声が出て、部屋の奥で立ち上がった中年男が近づき、小太郎に名刺を渡した。
「事務局長の芦沢匡介、クニスケと読みます。以後、お見知りおきを」
「こちらこそ」
「この芦沢はな、綾部市を背負って立つ男だ。匡の字に縦棒一本と点一つあれば国を背負ってたんだがな」
「そうですか?」
「では、諸君。三ケ月後に大橋君が正職員になれるよう協力してくれたまえ」
小太郎は、こうして「捨てる神あれば拾う神あり」の例え通り、偶然の出会いに救われて、綾部市で働くことになった。だが、与えられた仕事は簡単そうで難しい。綾部市のあちこちに眠っている観光資源を掘り出して世間に広め、綾部市に脚光を当て一人でも多く住民を増やすことが仕事なのだ。当然ながら、市の観光案内やPR用DVDには史跡や施設、名物や四季の祭り、名店紹介など、考えられる範囲内の全て

が載っている。小太郎は、それらを外部からの新鮮な目で見つめ、忘れられている名所旧跡や名物、特技の名人など、外部から観光客を呼べるものを探すのだ。それには綾部の歴史、現在の市の規模、予算、事業計画、誘致された企業の業績も知らねばならない。
それを見越したように、中上専務理事が言った。
「この綾部は、市の秘書広報課とFMあやべ、通称FMいかる、それとこの商工会議所が一体となって綾部市の発展に協力し、情報を全国に発信してるんだ。綾部市の評価はかなり高まってはいるがまだまだ人口が増えるまでには至っていない。ここで、さらに魅力ある企業の誘致に成功すれば、一気に外部から定住者がなだれ込んで来るはずだがな」
「企業誘致ですか?」
「工業団地から大手サッシメーカーが撤退して市の人口も税収も大幅に減少した時期がある。それに代わる工業製品メーカーが入ったがまだ市の税収はさほど伸びてはいないんだ」
「それらを増やすのが私の仕事ですか?」
「その通りだ。毎日、直行のない日は朝夕一度だけ出社して簡単な報告書を出せば、どこに出かけようと自由だからな」
こんな好条件は滅多にない。しかも、車は小型の四駆が専用に使えるという。
「商工会議所のレンタルリースだから傷つけるなよ」
専務理事に言われるまでもないが、車に事故は付き物、多少の傷は仕方がない。
「つぎは部屋だな。歩いてすぐだから隆夫君に案内してもらえ」
そのまま西山と、すでに契約済みという不動産屋に行き、そこの車で行くと、商工会議所にも近く、富士園芸という看板近くの本町三丁目の「綾部テラス」という三階建てマンションのニ階の角部屋に案内された。清潔で明るい六畳に三畳ぐらいのキッチンにバス、テラス付き一

DK、四万円という東京からみたらかなり格安の物件で、小太郎は一目で気に入った。
「保証金なし、敷金家賃は商工会議所が払う。即決なら夜までには電気水道OK、手配して夜具も揃える。今日から暮らせるぞ」
西山に言われるまでもない。小太郎には勿体ないほどの物件なのだ。
これで、小太郎の就活は終った。西山と別れて商工会議所に戻ると、何やら雰囲気が慌ただしい。
「今夜、大橋君の歓迎会で花火を打ちあげとくんだ。明日からの仕事がしやすいようにな」
中上専務理事の発案で、舟半という小粋な寿司屋で小太郎の歓迎会が開くというのだ。なにしろ急だから全員で電話をしまくっている。
市の職員やFMあやべ幹部、商店街の経営者、などが集まった。なにしろ、市の定住者促進を目的に商工会議所専務理事、役所の西山部長直々の声掛かりだから、誘われて来ないわけにはいかない。ご祝儀も集まり商工会議所の臨時収入になる.

中上専務理事の乾杯の音頭に続いて、西山が小太郎と知り合った経緯を「飲み屋で隣り合わせて」と始めた。
西山の人柄では、人命救助など気恥ずかしくて言えるわけがない。これは小太郎も同じだ。
小太郎の挨拶も終わって無礼講になり,ふんだんな飲み物と舟半自慢の会席料理で飲めや歌えやで賑わいが絶好調になる。
そんなところに、川崎源也市長が現れた。
市長が名刺を出し、小太郎に握手を求め、強い握力で握りながら言った。
「きみが大橋君か、話は聞いたよ。綾部市の定住者や観光集客を倍増させてくれるそうだね? 期待してますよ」
NETで「綾部市案内」に載っている通りの精悍な顔に笑顔を見せたが、目は笑っていない。
「私はなにも・・・」
そこで西山のバツの悪そうな顔が目に入り、作文の気配を感じた小太郎はとっさに口調を変えた。
「頑張ります」
ここで出席者全員から盛大な拍手が沸いた。
これで小太郎は、定住者や観光客を倍増させるために東京から綾部に来た若きプランナーという図式になる。
その時の商工会議所専務理事・中上進次郎の疑わしげな表情、これは一生思い出したくもない。
ともあれ、こうして綾部市での初日は暮れた。いよいよ明日からは仕事だ。