3、文化財と古墳の宝庫
次の部屋で小太郎の目に止まったのは、綾部市内指定文化財一覧という臨時コーナーだった。
小太郎には、芸術鑑賞とか歴史趣味というような高尚な趣味はない。
それでも、二十歳ぐらいの若い男性職員から貰い受けた資料を眺めて小太郎は驚いた。
「これが全部、綾部市に?」
「はい。よくは知りませんが、これは、ほんの一部です」
「ほんの一部?」
「古い家では、どの家でも文化財程度のものはゴロゴロしています」
「まさか?」
そこにまた、先ほどの賢そうなメガネの少年が現れて口を挟んだ。
「ぼくの家にも、なんでも鑑定団で三百万円の値をつけられた感状がありますよ」
「何の?」
「織田信長が明智光秀の家来にも与えた丹波平定の感状です」
「祖先は?」
「この地の代官をしてました」
「そんなの人に言わないほうがいいよ。代官なんて悪役だろ? 袋叩きにされるぞ」
「それは差別です。いい代官だっていたんです!」
「分かった。そんな大きい声を出すなよ。ほら、皆さんがこっち向いてるじゃないか」
「とにかく、ばくはいい代官の子孫です」
「ご免、悪かった。それにしても綾部市って文化財だらけなんだね?」
「空に向かって何個か石を投げてみてください。一個ぐらいは文化財に当たります」
「冗談言うな。文化財破損は罪が大きいんだぞ」
「冗談です。ところで・・・」
「何だね?」
「おじさん、綾部歴史探偵団に入りませんか?」
「おじさんはやめてくれ。まだ二十三歳だぞ」
「えっ、三十歳越えてるかと思いました」
「うるさい。それより何だ? なんとか探偵団てえのは?」
「綾部の歴史を探求する健全な青少年の集まりですから健全になれます」
「おれも健全だよ」
「それはどうですか? 募集は三チームです。体力勝負の遺跡発掘チーム、綾部の古文書の整理や調査研究などを行う古文書チーム、豊富な綾部の民俗文化や古民家などを調べる民俗民具チーム、この三つのコースに分かれていて、ぼくもその一員です」
「なんだか、おれの仕事に似てるなあ」
「あ、そうか? 今朝のブログで見ました。市長と握手していたうさんくさい人!」
「なんだ? 今度はうさんくさいか?」
純粋な少年なら、小太郎の真実の姿などすぐ見破れるのだ。
小太郎はさっさとその場を離れた。
パンフレットを眺めただけで小太郎は疲れた。
国指定文化財、府指定文化財、市指定文化財、綾部市内指定文化財・・・その数の多さだけでも圧倒される。
こんな凄いものが綾部市に埋もれているのか? それが小太郎を襲った衝撃だった。
国宝建造物には光明寺二王門。重要文化財には、石田神社境内社、恵比須神社本殿、旧岡花家住宅、絵画・不動明王像、絵画・仏涅槃図、古文書・安国寺文書、工芸品・漆卓、書跡・天庵和尚入寺山門疏、彫刻・釈迦如来及両脇侍坐像、彫刻・地蔵菩薩半跏像、彫刻・阿弥陀如来坐像などがある。
史跡名勝天然記念物には、私市円山古墳、聖塚・菖蒲塚古墳、照福寺庭園があり、重要有形民俗文化財として丹波焼コレクションなどもあった。さらに、登録有形文化財には綾部大橋、府指定の建造物には、篠田神社本殿、安国寺仏殿・方丈・庫裏、石田神社本殿が名を連ねている。
府指定の無形文化財、名勝や考古資料、建造物、古文書などに何だか見逃せないものが並んでいる。
黒谷和紙、八幡宮本殿、光明寺本堂、銅製鰐口(わにぐち)、君尾山のトチノキ、正暦寺庭園、私市円山古墳出土品、阿須々岐神社本殿、摂社大川神社本殿、八幡神社本殿、岩王寺本堂・仁王門、安国寺山門・鐘楼、八幡宮本殿・一ノ鳥居、高倉神社拝殿、阿須々岐神社の祭礼芸能、島万神社の太刀振・太鼓踊、於与岐八幡宮の祭礼芸能、などがあり、文化財環境保全地区として神社仏閣が続き、綾部市の指定文化財がそれに続く。
その膨大な資料の中には、足利尊氏寄進状や織田信長朱印状などの名も見える。
小太郎が一昨日まで住んでいた都内足立区北千住の文化財は? 松尾芭蕉が立ち寄った寺ぐらいしか思い出せない。
ともあれ、小太郎が綾部資料館で得た知識は今までの常識をはるかに超えたものだった。
これを見ただけで昔の綾部が、栄華を誇っていたことが理解できる。
奈良が都であったころ、由良川を流通の便として栄えた綾部には沢山の寺院が立ち並び、何鹿郡(いかるが)の役所が広い土地を占有し多くの人々が立ち働いていた。これらは寺院があった跡から発掘された多量の瓦や建築物、木簡(紙の代用の板)などの発掘調査などによって解明されている。
その頃の郡司(郡の長官)は現地に住む豪族で、役人もすべて現地から採用されたらしい。
寺が多いだけではない。古墳の数もまた群を抜いている。
寺や古墳だけではない。住宅も変わっていた。とくに、今まで知られた竪穴式住居跡と綾部地区の古代住宅の大きな違いは、屋根が円形から現代のように方形に進化していて、古代文化でもかなり進化している様子がわかるのが小太郎には珍しく映った。
それにしても、綾部市が日本の歴史上、画期的な文化都市であることを知らされたのは、古墳の多さだった。
いくら何でも、綾部市内だけで大中小あわせて一千基以上もの古墳が分布しているなんて多すぎないか?
しかも、由良川の中下流域には弥生時代の遺跡が数多く分布していて、中でも青野・青野西遺跡が市周辺の代表的な弥生集落遺跡で、今までにも、数多くの貴重な遺構や遺物を出土しているという。
王家の墓だけが古墳として残っているという小太郎の歴史認識は、この綾部に来て二日目で吹き飛んだ。
資料館に飾られた古墳から出た多量の副葬品は、鏡やまが玉類に武具や馬具、家形埴輪などは、覇を競った当時の豪族の威勢を表現していた。しかも、由良川の中流域に並ぶ千基をはるかに超える古墳の中には、聖塚古墳や私市円山古墳などの巨大な方墳・円墳が存在していて、往時の綾部文化を偲ばせている。
職員の説明だと、それらの一部は、つい千五百年ほど前の王家の墓で、京都府内第一の最大円墳だとか。ただ、残念なことに、葬られた人物の名前までは分からない。由良川中流域を支配した王家であることは間違いない。
だとすると、歴史好きだという現市長も、綾部市の観光のために古墳の活用を考えている可能性もある。土木用年間十三億円の予算を大幅に増やし、自分自身が一役買って、綾部市の首長に相応しい壮大な古墳を由良川沿いの丘に作らせる計画を密かに練っているような気もする。そうなると市民も黙ってはいない。大小さまざまな古墳が増産されるから由良川沿いの地価が高騰する。
ここは一攫千金の大チャンスなのだ。
そこで小太郎ははたと気づいた。残念ながら小太郎には手持ち資金がない。これは誰にも言わず黙っているに限る。