4、スローガン

Pocket

4、スローガン

西山隆夫部長が器用に皿を見ずにフォークで肉を刺して口に運んでから口を開いた。
小太郎から下山という男が私立探偵らしいと聞いて、最初は警戒したが、公金横領も不倫も贈収賄にも無縁な小心者の自分に気づいて、今は心を許している。ステーキを食しながらの喋りだから明確ではないが内容は聞き取れる。
「こうして綾部が気に入ってくれるとは嬉しいな。何なら今すぐ安い家賃で空き家を提供するよ」
「場所はどこですか?」
「叔父の家が空き屋になってるんだ。下山さんは中上林の馬場を知ってるかね?」
「知ってるわけないですよ。高田馬場なら知ってるけど」
すかさず金井喜美代が口を挟んだ。
「そんなド田舎に住んだら仕事になりませんよ」
西山部長が、ムッとした顔で反論した。
「わしは、その家よりもっと奥に住んどるが仕事は立派にこなしてますぞ」
「立派かどうかは知りませんが、市役所の仕事なら誰でも勤まりますよ」
「とんでもない。先代の四方市長時代ならともかく、今の川崎市政は厳しいぞ。それより家の話だ」
「そうでしたね」
「街の中心からは離れるが、その空き家から日本を代表する航空会社の重役が出てるんだ」
「そいつは凄い!」
「その家の角部屋が叔父の勉強部屋で、いつも深夜まで灯りが点いていた」
「見たんで?」
「いや。聞いた話だがね」
「深夜までじゃ電気代や、冬などは暖房費がもったいない」
「そうやって勉強したから出世できた。その家に住んだら出世できるぞ」
そこで下山がハタと気づいた。自分の出世とは多くのターゲットをこの世から抹殺することだ。
「やはり、ここには住めません」
「なぜだね?」
「ここの仕事が終わったら、また違う土地で仕事をしなければならんので」
「綾部にはいつまで滞在するのかね?」
「ここでの仕事は進んでるのかね?」
「いや。今夜でも済ませば終わるのですが、なぜか今回は気乗りがしなくて」
「なんで?」
「理由が分からないから、なぜか? なんで」
小太郎が知ったような口で年上の下山を諭した。
「仕事なんて、理窟に合わなくても実行しないとチャンスを逃がすよ」
「いいのか?」
「おれに聞いてどうするんです? そう思っただけですよ」
「偉い! 若いのによく言った。そうなると、これが最期の晩餐だな?」
「最後の食事? 今夜仕事して朝出発、そんなに急いで綾部を離れるのですか?」
「まさか。仕事を終えたらしばらく様子をみて、ほとぼりが覚めてから考えるよ」
「だったら、最期ってえのは変だな?」
西山が真面目な表情で言った。
「考えるって? 住む家が決まったんだから綾部で転職しなさい」
「どんな仕事に?」
「そこの勝川さんに頭を下げて、グンゼ博物館の案内係りをしたり・・・」
勝川が笑った。
「ボランティアじゃ食えませんよ」
それまで黙っていたミラクル美容院のミツエママが口を挟んだ。
「しばらく喜美代さんの家に転がり込んで世話になったら? どうせ二人は出来てるんでしょ?」
金井喜美代が悪びれる風もなく、嬉しそうに下山の肩を叩いた。
「あなた、そうしなさい。あなたの生活費ぐらいなら何とかなるから」
西山部長が妥協した。
「叔父の家は撤回だ。女の家に転がり込まれたら住民が増えても空き家対策がムダになる。頼むから家を借りてくれ」
「だから、仕事がないと?」
「仕事は、必ず斡旋する。定住者誘致は綾部市の悲願でもあり。安い賃料ですぐ住める空き家もいっぱい用意して、この綾部市への移住を優遇してるんだ。なにしろ、この綾部市を盛り上げようと二期目の川崎市長も、わしの意見に賛同してくれた」
「どんな意見です?」
「さればだ」
西山部長が下山だけでなく、全員に聞かせるように改まった口調で綾部市のPRを始めた。
「この綾部市は、京都府の中央北寄りに位置する田園都市で、美しい自然環境や豊かな里山でもあります。田園と農村の暮らしにも恵まれ、
平和と歴史と文化に彩られた近代文化都市とも言えます。さらに、ものづくりを中心とする多様な産業の集積、そして京阪神地域と日本海地域をつなぐ交通の要衝地であることなど、地方小都市ながらさまざまな機能や特性がバランスよく備わっているのも綾部市の特徴です」
唐沢栄子がよいしょ気分で拍手をした。
「素晴らしいです!」
「さらに、強い郷土愛や高い文化度、温厚で粘り強い市民性が綾部市民の性格的特徴で、加えて繊維から始まって今やあらゆる分野に進出するグンゼ、その創業者の出身地は我が家と地続き、その生地ではだ我が家の大根畑になっています」
「大根なんて失礼でしょ? せめて人参ぐらいにしなさい」
安東芳江が自分の足を眺めてから抗議を申し立て、西山部長がそれを無視して続ける。
「さらには宗教の異端児でもある大本教の開祖・出口なおの出生地、日本初の世界連邦都市宣言など、進取の気質にも富み、なおかつ、祖先から受け継がれてきた地域の伝統行事などの継承。さらには、多くの有形無形の歴史的かつ文化的資産を有しているのも他県他市との大きな違いです。今、田舎暮らしの見直しやスローライフへの志向の高まりなどへも対策を考えました」
ミツエままが安東芳江に囁いている。
「これ、どっかで聞いたことない?」
「そうかしら?」
「ここ半世紀で大きく過疎化や高齢化で存続が危ぶまれる集落を、綾部市えは”水源の里”と名付けて、観光誘致地区とし、その美しい地域を市を挙げて支えあい、活性化していくことも考えています。人の生命維持に欠かせない清浄な水と空気の供給基地として、また、環境や国土保全の最前線を守るためにも必要な原生林の保存をも全国に発信し続けていきます」
今度は安東芳江が金井喜美代に囁く。
「ミツエさんの言う通り。これって聞いたことある?」
「あるある、耳タコよ。これって選挙演説でしょ?」
「今度の市長選挙に出るんじゃないの? 絶対に無理だけど」
たしかに、そんな口調になっている。
「まさしく綾部市は歴史の町、文化財の町です。国宝から市指定の文化財までを加えると、あそこにもここにも密かに山のように積まれていて、その財産的価値を現代の骨董価格で換算すると天文学的価値になり、他の貧しい数県全部の財産価値より多いことも学者の試算で分かっています」
「こんな赤字続きの貧しい市が、実は大資産家だなんて?」
「だから骨董り価値って言ったでしょ? 骨董なんて価値を知らなければただだのガラクタよ」
ミツエママが首を捻り、安東芳江が応じ、金井喜美代は食べ、男たちは飲み、唐沢栄子あけがうっとりと聞き入っている。
「綾部市はまた、舞鶴若狭自動車道と京都縦貫自動車道、そしてJR山陰本線と舞鶴線が交差する交通の要衝地でもあります。さらに、京阪神地域への移動時間の大幅な短縮が進んで、舞鶴若狭自動車道や京都縦貫自動車道の全線の開通によって、今後も交流拠点や物流拠点としての機能が一層高まるものと期待されているのです」
ろくに聞いてもいない下山が、銘酒”燗ばやし”に酔った顔で水を差す。
「西山さん。もう充分、綾部のことは分かりました。一緒に飲みましょうや」
「好きで喋ってるんだから放っとけば」
運転手として参加した小太郎は自分はが酒を飲めず、コーヒーも飲み飽きて気分もよくない。
「それら自動車道の完備で、京阪神地域や日本海地域からの良好なアクセス環境に加えて、さらに、国際貿易港である京都舞鶴港の後背地に位置するこの綾部市は、さらに地の利を活かして、これまで以上に発展し求心力を高める可能性も出てきています。この綾部市が目指す方向ははっきりしています」
「どう、はっきりしてるんです?」
下山のお節介な一言で、一度は終わったはずの西山部長が得意げにダメを押した。
「美しく豊かな里山と田園に恵まれたゆったり感とやすらぎ感、平和と歴史と文化に彩られた市街地の安心感と幸福感、ものづくりをはじめとする産業の躍動感と充足感、これこそ、綾部市の目指す方向です」
ここでミツエママが叫んだ。
「思い出しました! これって全部、広報誌に載った川崎市長の挨拶のパクリでしょ?」
西山ががっかりした表情で、「なんだ、知ってたのか?」と呟くと、ミツエママが情け容赦なく追い打ちをかけた。
「そこで、さらに山崎市長が提唱したスローガンがあるでしょ? 一、二の三!」
ここで、下山と金山喜美代を除く全員、店の者や小太郎までが一緒になって声高らかに唱和する声が店内に響いた。
「住んでよかった・・・ゆったりやすらぎの田園都市・綾部!」
金井喜美代が小声で下山に囁くのが小太郎の耳に入った。
「綾部ってこんな街、バカみたいでしょ。住んでみる?」
結局、全員が綾部を好きなのが小太郎にも伝わり、クリスマスランチ会は無事に終わった。