5、満腹感

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5、満腹感

「五番の都人(みやこびと)綾部店名物の水源の里いなりと、六番の居酒屋のんべえから、上林鶏の鶏皮せんべえ、です」
「のんべえが、せんべえを出店ですか?」
丹波栗に山吹こんぶの入った稲荷ずしも珍しいが、味はもう限りなく美味なのだ。鶏皮のせんべいもいい。これだけでも95点はあるが、
適度に冷えたビールがあれば百点満点は間違いない。
ここで一息ついたから小太郎にも余裕が出た。
ご婦人がたは、まだホルモン煮込みうどんをつつき合って問題点を摘出していた。
「女性がこれで精つけたって、男がご免なさいじゃ逆効果でしょ?」
「うちなんか最初から問題外だから、これを食べたら絶対に浮気しちゃう。そしたら誰の責任?」
「もちろん、焼き肉の花山に決まってるじゃない」
「離婚したら慰謝料も?」
「当然でしょ?」
小太郎は驚いた。ここに出店したために慰謝料で倒産したら市に請求する。市はどこに?
「はい。七番のスナック・ストナから綾部ストナ焼き、八番の店は舟半のかき揚げ天ぷらうどん、です」
ストナ焼きは小太郎が初めて口にする食べ物だが、関東でいうお好み焼きに似た作りだが味は全く違っていた。
金井喜美代が気を利かして、辛口ソースにマヨネーズ、適度の七味唐辛子でトッピングしてくれたのも嬉しかった。
綾部産の水菜と地卵を豚のバラ肉の旨みに包み込んだ汁が口の中にふわーと広がって、生きている喜びさえ感じられる。
これはもう九十五点以上、小太郎の評価はほぼ満点に近い。
お茶を飲んで味を消すのは惜しいが、舟半の天ぷらうどんもそう長くは待たせられない。衣を被った大きな海老の出目が、さっきから小太郎を睨んでいる。
そいつをじらすように横にずらして、玉ねぎ、人参、ピーマンなど野菜のカキ揚げとうどんから食べ始めた。
満腹感に苛まれながら徐々に本丸に近付き、敵将の首から下を打ちとって良質のたんぱく質を体内に取り込み、首実験をすると、気のせいか海老の目が一段と大きく輝き、「この恨み、いつか晴らさずにおかりょうか!」と叫んでいるように見えた。
しかし、この世の中、弱肉強食は世の常で仕方がない。成仏してくれと小太郎は真剣な気持ちで手を合わせた。
その光景の一部始終を見ていたミツエが呆れた表情で「成仏させるのね」と、小太郎を真似て手を合わせてから聞いた。
「なんで、豚バラ肉には合掌しなかったの?」
「ここに首から上を持ちこまれたら、手を合わせますよ」
「ふーん、でも牛や豚は無理ね。上林鶏の頭なら居酒屋のんべえに頼めば持ちこめると思うけど」
「いえ、そこまでしなくても結構ですよ」
これで、この美容院のママもかなりの変り者であることが分かった。
しかし、海老の感傷に浸っているばあいではない。目の前には美味しそうな餅汁とパスタらしい食べ物が並んでいる。
それを運んできたもの静かで色白の安東芳江というご婦人が説明した。
「これは九番店の餅ぞう煮です。昔はスイトンと呼んだそうですけど、これは今昔(こんじゃく)ろくと餅といって、昔の味を思い出して頂くために地元の有志が地域食材を育てる会を立ち上げ、そこで出きたのがこれです」
「スイトンか? あやじに聞いたことあるな」
「十号店はドリンクコーナーですから、これは十一番店のわんこパスター、AYA’Sキッチンというお店の看板メニューです」
シトンという言葉は祖父に聞いて知っているが、昭和を知らない小太郎にとっては懐かしくも何でもない。ただ、綾部の食材の美味しさだスイトンという文字に重なって記憶に残った。
一方のわんこパスターは、上林鶏とシメジと玉ねぎを煮込んで綾部特産の水菜を加えてのトマト味、満腹でなければ百点満点間違いなしだが残念ながら、バターぽい食べ物はもう口も腹も受け付けない。ただ美味すぎるから完食して仕舞い、小太郎はため息 そんなところに携帯が鳴った。名を見ると西隆、西山隆夫の略称なのだ。
「大橋君、めし食いに行かんか?」
図体が大きい割にせっかちな部長だから、いつもこんな感じで連絡が入る。
「もう満腹で動けませんよ」
「満腹? どこにいるんだ?」
「B級グルメ会場の飲食スペースの真ん中あたりです」
「じゃあ。そこで待ってろ。動くんじゃないぞ」
「動けったって動けませんよ」
電話を傍受した栄子夫人がいち早く、ご近所テーブルの人が立ち上がった隙にイスを抜いて運んで来た。
暫くして「あれ? イスがない」とか聞こえたが、小太郎には関係ない。
小太郎の前には、十二番店・川猿のチキンスープカレー、十三番店・ご飯喫茶まんまのチキン南蛮ライスが届いているが食欲が湧かない。
デジカメであれここれ角度を変えて撮っている内に、何となく美味しそうに見えてくる。
そこで、ついカレーライスを食べ始めると、これがまた困ったことに超美味しいのだ。
「川猿っていうのは、市の職員らも含めた由良川下り愛好家の素人集団ですが、料理は本職ハダシなんです」
とくに南蛮ライスは、とり肉、卵、野菜らを特製のタンタルソースでまとめた丼物の傑作で、かなり高得点になる。
ただ、チキンが続いて食傷気味だからチキンと主食が少しづつ残って、ゴミ籠に捨てられるのが惜しいし残念だ。
栄子が小太郎を慰めるように諭した。
「これは、養豚場に行くからムダにはならないのですから心配しないでください」
見ると、女性陣は頑張っていて四人で一つを見事に完食しながら突き進んでいる。
小太郎は苦しい腹をさすりながら幸せだった。この満腹感は悪くない。
母からは、第二次世界戦争末期の悲惨な飢餓状態を何度も聞かされ、小太郎自身も母子家庭での貧しさで空腹の辛さは知っている。だからこそ、今、こうして飽食の時代に生きている幸せを人一倍強く感じるのかも知れない。
それもこれも、自分を拾ってくれた西山隆夫のお蔭・・・そう思うと感謝で胸がつまり食事でお腹がいっぱいになる。