7、歴史蔵

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7、歴史蔵

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グンゼの歴史蔵には創業時の苦闘と発展期の栄光を物語る蚕糸業のあらゆる設備や機器があり、その歴史は映像でも見られた。
勝川が抑揚のない棒読みで説明するが、本来の仕事ではないから仕方がない。
中上専務理事からは、優秀な新入りだからと言われて仕方なく説明役をしているだけなのだ。
歴史蔵を出掛かったところで立ち止まり、創業者の理念などを語り出した。
小太郎も一度出かけた創業者の波多野鶴吉翁は、安政五年(一八五八)二月十三日(現三月二十七日)、丹波国何鹿(いかるが)郡延村(現綾部市中筋町)の大庄屋・羽室嘉右衛門の次男として生まれました」
「井伊直弼が大老に就任し、安政の大獄が始まった年です」
「そんな昔かね? ともあれ九歳のときに縁あって、やはり大庄屋だった波多野家に養子に入りしたんですよ」
紋切り型の説明に疲れたのか、あっさりと勝川が普通の会話調になっている。小太郎もそのほうが有り難い。
「西山部長は、それが隣の家だったと言ってますよ」
「それは初耳だ。さっそく聞いてみよう」
「聞かなくてもいいですよ。私の聞き違いかもしれませんから」
「さて、鶴吉翁は小学校教師をへて郷里の蚕糸業組合の組合長となり、郡内の養蚕家,製糸家の協力で、この絹で何鹿郡を活性化して豊かな郷土にすべく動き出したんです」
「えらい人ですね」
「それには、郡内の全ての人が力を結集しなければならない。そう考えた鶴吉翁は見栄も外聞も捨て、農家を一軒一軒訪ねて頭を下げて廻り、細かく出費を頼み込んで小金を集めたんです」
「郡をあげて一致団結ですね?」
「それまでは、際立った特産品もなく痩せた土地で耕地も少なく、生活の目途が立たない農民家族の中には土地を捨てて他郷に逃げてゆく者もあり、見捨てられた田畑は雑草でたちまち荒れてしまいます。そこで、絹こそ郡の生きる道と考えた鶴吉翁は、みんなで立ち上げた蚕糸業を郡の生きる道と考えて、その新たな会社の名を”郡是”としたのです。ま、こんな話は誰でも知ってますがね」
「いえ、私は知りませんでした。それで鶴吉さんが初代社長に?」
「それは違います。この土地には鶴吉翁の生家を含む葉室一族を指し置いては何も出来ません。当然ながら創業資金の多くは大名以上と言われた葉室一族の財力に頼ったものです。鶴吉翁の生家は延村葉室家で、広小路葉室家からの分家ですから、まず本家を立てなければなりません。そこで”郡是製絲”の初代社長は葉室家から招き、二代社長は鶴吉翁自身が引き受けたのです」
「葉室家は、今でも大名暮らしですか?」
「栄華は長くは続かないものですよ」
「没落したんですか?」
「広小路葉室家のご子孫は、立派に暮らしていますが幕末の頃の大名並みの栄華から見れば雲泥、いや、天と地ほどの差です」
「そんなに?」
「羽室一族は、領内の経済を握る十二ケ村を束ねる大庄屋であると同時に、藩の出納も取り仕切り、藩札の発行や両替まで任されていました。さらに、藩の財政に深くかかわって綾部藩お抱えの御用商人となり、酒や油も任されて日本有数の豪商にのし上ったのです」
「綾部潘は豊かだったんですね?」
「とんでもない。江戸時代の丹波の国綾部藩には、水軍で有名な九鬼氏が二萬石で移封されましたが藩士は約二百人、うち半分の百人は江戸と京都の藩邸に分散していましたから、その経費の捻出だけでも大変だったようです」
「この地方は、鶴吉翁が蚕糸事業を興すまでは、米以外の主産物や特産品もなかった上に、米を消費地の大坂に船で運んで換金していましたから大変でした」
「そこの由良川下りですね?」
「今の中筋地区の大島を、昔は津と呼んだのですが、その津に集荷した米を由良川をやっと通れる二十石船に積んで下り、福知山潘で五十石船に積み替え、さらに田辺潘(現舞鶴市)から日本海に出る前に、安全な千石船などに積み直して西廻りで大坂に運んだのです」
「手数がかかりますね?」
「ともあれ、海に出るまでに幾つもの他領を通りますから、通船料やら船頭や人足料などを含む負担を米で払います。だから、消費地までやっと運んだ時に、綾部から出た米は、何と三割も減っていたそうです」
「そんな損ばかりして、葉室家はどうして財を?」
「米の売買は葉室家に任せますが、損をするのは依頼側の綾部藩です。運送や人夫への支払いは羽室家の立て替えますが、後でしっかりと金利を乗せて藩に請求しますし、藩の金庫が空になれば葉室家から貸出して急場を凌ぎます。こうして綾部潘と葉室家は持ちつ持たれつの関係で明治維新までやって来たのです」
「なるほど、葉室家はその特権を駆使して莫大な富を蓄積したのですね?」
「そうとも言えません。葉室家のおかげで綾部潘二万石とそこに住む人々は何度も救われているのです」
「私はまだ救われてません」
勝川は小太郎を無視して続けた。
「ところが、金融を柱にした国策に乗って銀行設立に加わった葉室一族や、豪商の仲間だった山崎屋・大槻藤左衛門、扇屋・大槻重兵衛などが、明治三十六年(一九〇三)の金融大恐慌の取立て騒動に巻き込まれて一気に財を失って没落、蚕糸業を中心に金融を展開した明瞭、綾、綾部貯蓄の三銀行が倒産したのです」
「お気の毒です」
「綾部の歴史を語るには、ここに登場する扇屋・大槻兵衛も忘れることは出来ません。扇屋の初代はれっきとした武士でした。二代目の大槻弥吉高晴が、武士を捨てて大工になり、そこから扇屋という屋号、重兵衛という名を世襲にしたそうです」
「なんで忘れちゃいけないんですか?」
「扇屋重兵衛は情に厚く人望もあり、種油、味噌、醤油と手広く商いを行っていて町々の人たちからも親しまれていました。この頃に幕末の動乱が始まり、綾部藩は幕府方で出兵したり西軍に就いたりと転戦を繰り返し財政も困窮を極めましたが、葉室家と共に藩の窮状を救い、人々の日々の暮らしをも助けたのが、この九代目扇屋重兵衛だったのです」
「葉室家との関係は?」
「何鹿郡一の豪農だった羽室嘉右衛門は大庄屋、扇屋重兵衛はその下の町年寄として人々のためによく働き、後世に名を残しました」
「しかし、銀行の倒産で全滅ですか?」
「ともあれ広小路の羽室本家は、今も立派に続いています」
「腐っても鯛ですね?」
「そんな失礼な言い方はしないでください」
「褒めたつもりですが」
「その葉室家に残された文化遺産を、今、綾部市資料館で特別展示してるんです。見ますか?」
「興味ないですから遠慮しますよ」
「与謝無村の軸屏風や人物画、円山応挙の掛け軸など数千点、これらが全て羽室家のご協力で展示されたんです」
「なんだか面白そうですね」
「しかも、それらは広小路葉室家十一代目の羽室功一さんが、なんと、そっくり綾部市資料館に一括寄贈したそうです」
「まさか?」
「なにしろ、元禄五年(一六九二)にこの広小路に屋敷を構えて以来、三百有余年の間に蓄えた貴重な文化財ですからね」
「なるほど、これなら全国の歴史研究家や歴史マニア、歴女を呼べますね。綾部歴史フォーラム、歴史ツアー・・・」
「では、見ておいてください」
「場所は?」
「カーナビは装備してないんですか?」
「分かりました、入力します。綾部市資料館ですね?」
「一万人も市民を増やすのは大変ですが、頑張ってください」
「なんで、そんなインチキ情報を?」
「インチキ? あなたが昨夜の歓迎会で市長と約束したと今朝のホームページに載ってますよ」
「どこの?」
「市役所の広報部、しかも動画です。そこで川崎市長が珍しく笑顔で話してますから間違いありません」
「それが、間違いなんです」
「いえ、間違いなく川崎市長です。では、ここからまたグンゼです」
勝川は小太郎の弁明には耳を貸さず、素っ気なく移動した。