3、FMいかる

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3、FMいかる

朝、商工会議所に出て、和服姿の女性両部長と男性職員の梅田氏とコーヒーを飲んでいると中上専務理事が出勤して来て小太郎を見た。
「大橋君は、まだ市役所と地域情報センターに顔を出してなかったな?」
「市長と西山部長、秘書広報課の梅野木女史には、年が明けて会ってますが」
「最近は年始回りを虚礼とする人もいるが、昔からの慣習だから止めるわけにはいかんよ」
「そんなものですか。ところで、地域情報センターてのはどこです?」
加納部長が口を挟んだ。
「そこのFMあやべ、通称・FMいかるのことですよ。大橋さん、イカルって鳥を知ってますか?」
「知ってますよ。西山部長に、綾部市のシンボルで市鳥だと聞きました」
「見たことは?」
「中上林の民家の塀に四羽並んでピーピー鳴いてるのを西山部長が見て、車を停めて教えてくれたんです」
「ラッキーでしたね」
「太くて黄色いくちばし、顔の黒い模様、白っぽい灰色の背中と胸もしっかり見えました」
「でも、ピーピーなんて鳴き声じゃなかったでしょ?」
「そういえば、[好きー旨えの好きー]って聞こえたような気がしたかな」
梅田氏が笑った。
「まさか。あの鳴き声は、[ヒシリコキー]だよ」
「違います。誰が聴いたって正しいのは、[日月星(ヒーホシツキー)]でしょう?」
神山紗栄子総務部長が真顔で言ってから付け加えた。
「せっかくなら[スキーあやべスキー]って鳴いてくれればいいのにね」
中上専務理事が呆れ顔で結論を出した。
「イカルの鳴き声はな。昔から全国どこでも[お菊二十四(オキクニジューシー)]で決まってるんだ」
イカル論争はそこで終わり、それぞれが仕事についた。
「大橋君、一回りしたらすぐ帰って来いよ。今日は、ここも年賀客で忙しいからな」
「あれ? 会員の皆さんとは新年名刺交換会で顔合わせじゃなかったですか?」
「それはそれで、儀礼的な訪問はまた別なのさ」
「私もいたほうがいいですか?」
「枯れ木も山の賑わいっていうからな」
「枯れ木? 専務のことですか?」
「バカいうな。わしはまだ新緑の若樹で現役バリバリだぞ!」
「いつも凄いパワーを感じますから、他のことは別ですがそれだけは信じます」
「とにかく行って来い。井坂って気のいい社長がいるからな」
「会ってきます」
すぐ近くだからとコートはロッカーに掛けたままビルを出たが、冷気が頬を刺して痛かった。
小太郎が、商工会議所のあるITビルの並びにある地元放送局”FMあやべ・通称FMいかる”の局内に入ったのは、この日が初めてだった。西町アイタウンに面したガラス戸を開けると、すぐ和服の女性が立ち上がって出迎え、室内のあちこちから視線が飛んだ。一瞥するとどの顔もどこかで見かけていて新鮮味はない。
「皆さん。おめでとうございます。商工会議所の・・・」
「大橋さん。改めて、おめでとうございます」
「ご存じで?」
「当然ですよ。あちこちでお会いしてますから」
「たしかに」
「わたしは三井明日香です。昨日も凧つくりの会場でお見かけしました」
「そういえば?」
「大橋さんが苦戦してたところも、バッチリ撮ってますよ」
「あの凧はもう壊れました」
「そうでしょう。雑な作り方で絵もひどかったし、DVD、見ますか?」
「そんなの結構です」
遠慮なく笑っていた数人の男女が立ち上がって小太郎を迎えた。
「わたしは、土屋えつ子。覚えてます?」
「産業祭りのビンゴ大会で。見事な司会ぶりでした」
「大橋さんは、途中で警察にしょっ引かれましたね」
「そんなの忘れてください」
「わたしは坂井紀子です」
「ノリピー?」
「あら、ご存じで?」
「帰宅してパソコンを開くと、いやおうなしで割り込んできますからね」
「あら。わたしの番組をお気に入りでキープ? 嬉しい!」
「皆さん平等に見てますよ」
奥から眼鏡をかけた中肉中背の男性がにこやかな笑顔で現れた。
三井明日香が「社長です」と、小太郎に囁いた。
「井坂社長? 初めまして。商工会議所の大橋小太郎です」
「大橋さんか? 川崎市長からも聞いてます。綾部の救世主が現れたって」
「冗談ですよ」
「いや、真面目な話だ。中上専務理事も喜んでましたぞ」
「なんて?」
「鈍感だから少々のことじゃ挫けない青年が来たって」
「それ、褒めてるんですか?」
「ここは私を入れて総勢八人。うちにも孝也っていう、タフなのがいますからな」
女性スタッフは笑ったが小太郎には可笑しくもない。
「では、祝い酒を一献! 車じゃないだろ?」
湯のみ茶碗に注がれた冷酒を一気に飲むと冷えた体が温まった。
「この局の大株主は綾部市、管理責任社は川崎市長、私は雇われ社長ってことだ。では、局内を案内しよう」
「案内されなくても丸見えですよ」
「まあ、そう言わずに。あそこがFMいかるのメインスタジオです。いま収録中だが」
「メイン? サブもあるんですか?」
「あちこちで特設するサテライトが、サブスタジオってことです」
「なるほど?」
「この株式会社エフエムあやべは、ステーションネームをFMいかるを呼称しますが、イカルという鳥は知ってますか?」
「知ってます。これだけ部屋中にイラストがベタベタ張ってあれば誰だって気づきますよ」
「昭和六十二年の第三次綾部市総合計画以来十余年の紆余曲折を乗り越えて、FMあやべは平成十年四月十七日に開局しました」
「長い道のりでしたね?」
「資本の大部分を綾部市がもつ第三セクターの形態で、符号は、JOZZAM-FM,周波数は76.3MHz」
「そんなの分かりませんよ」
「FMいかるでは、日常生活や娯楽に役立つ情報や行政などの身近な話題などを綾部市内だけでなく隣接地域を含めて、エリア内約十万人に発信しています。毎週月曜日の川崎市長の「こんにちは市長です」から始まって連日、何人ものパーソナリティが楽しい番組をお送りしています。綾部市からのお知らせは午前七時、午後0時三十分、午後二時二十分、午後七時、各綾部市情報BOXの中でお伝えしていますので、大橋さんもたまには聴いてください。そのほかの番組については、番組表をご覧ください」
「わかりました」
「それと・・・」
井坂社長が、三井明日香がさっと手渡した書類を見て読み上げる。
「当FMいかるとのリンクしているのは、綾部市公式WEBサイト、 綾部市天文館パオ、あやべ桜が丘団地、綾部市観光協会、里山ねっとあやべ、あやべ温泉、西町アイタウン、あやべ市民新聞、あやべボランティア総合センター、志賀郷ウオッチ、上林の力、国土交通省、ミュージックバード、日本コミュニティ放送協会、東日本地域放送支援機構、第八管区海上保安本部などです」
「かなり食おう範囲ですね?」
「さらに、国土交通省とも連絡を密にし、由良川の現在水位は福知山河川国道事務所、台風情報は気象庁と、災害を未然に防ぐ情報も発信していますし、最近ではサイマル放送も人気が出ています」
「サイマル放送って?」
「FM放送をインターネットで同時配信できるシステムで、FMいかる制作の全番組と、タイアップ先のミュージックバードの番組がインターネット上で聴くことができるのです。これで、これまで電波が届かなかった遠距離の方々にも綾部の情報を伝えることが出来るようになったのです。しかも、このサイマル放送(インターネット)は二十四時間無休放送ですからな」
「これは凄い! これは、特別市民制度に参加した各地の綾部市ファンに是非知ってもらいたい情報ですよ」
そこで、井坂社長の視線に釣られて小太郎もスタジオ内を覗いた。
腰板とガラス戸で仕切られたスタジオ内では、耳にヘッドフォン、首から市役所の名入タグをぶら下げた長身のかっこいい女性が、目の前のマイクに向かって語り掛け、その向かい側に座った女性キャスターが相槌を打って頷いている。ガラスの間仕切り手前がオープンスタンドになっていて、出演者の仲間や暇な市民が厚手のカーペットの上に座って番組を視聴していた。
その中の市役所職員のタグを胸から下げた女性が立ち上がって、「昨日は失礼しました」と小太郎に頭を下げた。
井坂社長がけげんな顔で、二人を交互に見た。
「梅野木くん。昨日、大橋さんと何かあったのかね?」
「この方が一生懸命作った凧を見て、幼稚園以下なんて失礼なことを言ってしまって」
「後悔してるのかね?」
「いえ。つい本音が出て、大橋さんの心を傷つけたかと」
小太郎が笑った。半分はテレ笑いだが、とうに忘れていたことなのだ。
「もう凧も壊れましたし、気にもしてませんよ。ところで今日は?」
「同じ秘書広報課の松山聖子が、献血のキャンペーンで出演してますので付き添いで来ました」
「正月早々、献血ですか?」
「まあ、番組を聞いてください」
松山聖子がキャスターとのやりとりで、さわやかに語っている。
「血液は保存期間が三日、血小板などは精製後二十一時間、錠剤ですら四日で無効。だから、血液は慢性的に不足してるんです」
「なに型が一番足りないのですか?」
「有効期限があるから、どの型も新鮮な血液を毎日確保しないと大変ですが、とくにO型が不足しています」
「なぜですか?」
「輸血の際、本来は同じ血液型を使うのですが、交通事故など緊急時には血液型が分からない場合がありますね。そんな時は暫定的に、オールマイティで誰にでも使えるO型を用いるのです。もちろん実際の血液型が分かり次第、同じ血液型に切り替えますが、とにかくO型は万能なのです。こんな理由で必要なのはO型が一番、あとは順番に、A、B、AB型と続きますが、どれもこれも足りません」
梅野木郁子が小太郎に聞いた。
「大橋さんの血液は何型ですか?」
「AB型だけど、献血は時間がかかるから嫌なんだ」
タイミングよくスタジオ内の松山聖子女史が献血時間にも触れていた。
「血液は体全体の十二パーセントまで抜いても安全とされています。その中のわずか四百CCで、毎日三千人分不足の一人分が、綾部発で救われるのです。しかも、最近では健康に優しい献血方法が普及しつつあります」
「どのような方法ですか?」
「従来の一般的な四百CC献血では、ほぼ十五分でしたが健康回復に休息が必要でした。最近の献血弁場では、抜いた血液から血小板だけを取り出して、それ以外の血液を体内に戻す[成分献血]が主流になりつつあります。これですと1時間前後の時間を要しますが、血液が戻るため眩暈(めまい)もなく、健康に配慮した献血法として好評です。是非、一度お試しください」
「それはいいですね。ところで献血会場は?」
「明日、綾部市役所前広場です。時間は九時三十分~十五時三十分で一時間お昼休みがあります」
「申し込みは?」
「当日で結構ですが、まちづくりセンター二階の第一会議室で受け付けます」
「献血に基準はありますか?」
「あります。今回は四百CC献血で、主催は京都府赤十字血液センター、問い合わせは綾部市福祉保健部です」
「よく分かりました」
そこで一息ついてから松山聖子が言った。
「それと、この献血を重ねますと人助けに加えて各種の記念品、表彰状などがもらえます」
それを聞いた途端、小太郎が勢いづいた。
「よし、おれ今日から献血マニアになるぞ!」
「単細胞!」
思わず口に出た言葉を飲み込むように梅野木郁子は手で口を押さえたのだが、小太郎はにこやかな表情で頷いた。
小太郎には、[タンサイボー」ではなく「ソレガイイー」と聞こえたのだ。
これは多分、イカルの鳴き声論争の影響で、小太郎の聴覚か脳のどちらかが変調をきたしたに違いない。