1、綾部もみじ祭り

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第八章 暗殺者

 1、綾部もみじ祭り

小太郎は、黒谷のもみじの見事さに圧倒されたが、綾部のもみじはこれでは終わらない。
綾部市には、それ以上に市を代表する紅葉の名所があった。綾部市の三大もみじ祭りといえば、安国寺、黒谷、それと大本教の大庭園であることは綾部を知る人なら誰もが知っている。しかも、綾部もみじ祭りの事務局は商工会議所で、しかも綾部市の後援なのだから中上専務理事のボルテージが上がるのも無理はない。
「いいか。夜の部をしっかり取材するんだぞ!」
小太郎は夜を待たずに出かけてみたが、大本教本部神苑の広い庭園に林立するもみじはさすがに評判通り、見事な紅葉が広い庭園を紅に染めていて、地面を覆う枯れ芝をも紅の落葉が埋め尽くして地面の色を変えていた。これぞまさしく綾部を代表する紅葉の名所として内外に誇示して恥じることはない。この綾部もみじ祭りは、十一月の最終金、土、日の三日間開かれるが連日、超満員の盛況と小太郎は聞いている。
その初日の金曜日、午前十一時過ぎにはすでに大勢の人が押しかけていた。
空を紅に染めた紅葉の下では希望者有料の野点(のだて)も行われていて妙齢のご婦人のたてる茶を、商店街のオヤジなどが生真面目な顔で正座して畏まった表情で服んでいる。それがまた風情がある絵になっているから秋はいい。
雑踏を縫って聞こえる邦楽の優雅な音色に誘われて弥勒(みろく)殿を覗くと、そこでは大勢の観客に囲まれて和服姿の男女が琴と尺八の合奏を行っていて、祭りの興趣を盛り上げていた。社殿に沿って商店会からの出店が軒を並べ、土地の名産品などを売っているのだが、どこもかしこも黒山の人だかりで、小太郎が割り込む隙などどこにもない。小太郎はその混雑ぶりも愛用のデジカメで撮りまくっていた。
その小太郎の背後から白マスクで顔を隠した小柄な男が忍び寄って、コートの右ポケットに忍ばせた登山ナイフを取り出そうとした。その時、邪魔が入った。四人連れの女性の一人が小太郎を見つけて、その小男の背後から両手で横に突き飛ばして近寄って来た。
「コンサルタントの大橋さんでしょ?」
肩を叩かれて振り向くと、B級グルメ祭りで一緒だったミラクル美容院のママ・倉林ミツエが落ち着いた和服姿で微笑んでいる。しかも、いつもの仲間である種馬主婦の唐沢栄子、安東芳江、長身の金井喜美代ら全員が和服姿、こう見ると全員が美人に見えてくる。
ふと、小太郎は雑踏の中を遠ざかってゆく白マスク男の横顔を見た。
「ちょっと待って! 知ってる人を見たもので・・・」
「あら、逃げるの?」
「すぐ戻るよ」
小太郎が慌てて人ごみを縫って男に追いつき、コートの左袖を握った。
「下山さん!」
「手を放せ! おれはまだ何もしてないぞ」
「何を言ってるんですか? おれは大橋小太郎、一緒にハガキを作った仲じゃないですか?」
「ああ君か?」
「君かじゃないですよ。まだ5日しか立ってませんよ」
「そうだったな」
そこにおしとやかな和服のご婦人四人組が追い付いた。
「大橋さん、お昼は済ませました?」
この一言で小太郎の悪夢がよみがえった。もしも人間には生涯を決定する天命というものがあるならば、この四人とは食事でしか結ばれないう定めなのかも知れない。当然、断るべきなのに、小太郎の口からは意志に反して肯定の言葉が出た。
「まだです」
「よかった。ではご一緒しましょう」
「でも・・・」
小太郎の視線の先を見たミツエが小男に頭を下げた。
「先ほどは突き飛ばしてご免なさい。先生のお友達でしたか? 宜しければご一緒に」
「下山さん、一緒に行こう。この人たちの前じゃ遠慮は無用だから」
「じゃあ、そうするか」
種馬主婦の唐沢栄子が、下山の顔を見つめて念を押した。
「大橋さんの分は、わたし達の誰かが払いますが、あなたの分は自腹ですよ」
「当然です」
さらに、唐沢栄子が追い打ちを掛けた。
「わたしの車は五人乗りだけど、あなたも車?」
「私は自分の車で追いていきます」
「そこまでして行きますか?」
「それでは止めます」
「そうですか、では次の機会にどうぞ」
ここで暗殺者は切り捨てられた。次の機会などあるはずがない。
小太郎の口がまた滑った。
「おれのは七人乗りだけど、少し離れた定期の駐車場まで歩いてもらうよ」
ここで金井喜美代が余計な口を挟んで、下山をかばった。
「それで決まりね。一台で行って食事が終わったら戻って来ましょ」
「乗れるなら、それで結構」
ミツエの一言で、下山一蔵と名乗った男も同行することになった。