第三章 奇祭「タツタの金刀比羅祭り」
1、祭りの前夜
誰にでも間違いはある。
しかし、今回の間違いは意図的な感じがして面白くない。
帰路・・・帰路、と、いっても小太郎の帰路ではない。
酔った西山隆夫のご帰還に、小太郎が付き合わされたのだ。
しかも、その事情は中上専務も承知の上だった気配もある。
もしかすると、商工会議所の加納、神山両女性課長もグルだった可能性もある。
祭りの取材にと呼びだされたのに、前夜祭はすでに終わっていて本祭りは翌朝だという。
ならば、朝一番に出掛けての取材でも間にあったはずだ。
西山がそれを口にしたのは、「あず木」の店を出て、駐車場に向かう途中だった。
「いけねえ! 時間を間違えた。もう前夜祭は終わってたんだ」
「終わったって、祭りは何時まで?」
「ごめん。五時から七時までだった。本番の祭りは明朝からだった」
「この店だって六時集合だよ? だったら最初から今日は無理だったじゃないか!」
祭りが翌朝なら、この日は小太郎の仕事はない。明日の朝出かければいい。
「だから謝っただろ。おれがカン違いしてたんだ」
「冗談じゃない。毎年やってる地元の祭りを、役所の部長が忘れるわけないだろ?」
「そう怒るな。カン違いしたおれが確かに悪かった。でもな」
「なんだ?」
「朝の四時起きなんて大橋君には無理だろ? うちに泊れば五時起きでも近いから間に合うぞ」
「腹がたつな・・・」
悔しいが確かに西山の言う通りだ。目覚まし時計一つでも四時なんて起きられるはずがない。
ぶつぶつ呟いてみたが良案は浮かばない。黙って運転席に乗り込んだ。
西山は、ひとまず祭りの現地近い親戚の浦入源六邸に立ち寄って、帰郷した伯父に会うという。
小太郎を「あず木」に呼んで、酒も飲ませずに運転手としてこき使う・・・これじゃまるで詐欺だ。
「まあ、わが家に帰れば、当地特産の特選吟醸酒{燗ばやし}が待ってるからな」
なるほど、これが妥協のしどころか? 小太郎の機嫌が少しだけ治った。
浦入家の住所を書いたメモを西山が小太郎に渡したが、小太郎はまだカーナビを克服していない。
「なんだ、大橋君はまだカーナビも使えないのか?」
呆れた表情の西山が浦入家の住所をカーナビにセットして、二人は魚菜酒房「あず木」の駐車場を出た。
市街地を抜けて由良川を渡ると徐々に町の灯りが遠のき、山路の深い暗に車のライトだけが先を照らす。
うすら寒い曇り日で雲にさえぎられて月も星もない暗い夜だった。
勾配の緩い山道をどこまでも上ってゆくと、両側に家屋が並び、また闇が続いて次の村の灯が見える。
二人きりの時の会話は、出会った時と同じ仲間言葉になる。
「役所や駅のある市街地はな、昔は九鬼領だったんだ」
「そのクキって何です?」
「九鬼も知らんのか? 九つの鬼と書いて九鬼、その領地だ」
「九鬼水軍のこと?」
「なんだ、知ってたのか?」
「瀬戸内の村上水軍と並ぶ、戦国時代の伊勢湾に君臨した、あの九鬼だろ?」
「九鬼は、今の三重県尾鷲市を拠点に伊勢・志摩を支配し、豊臣に仕えて三万五千石を頂く大名だった」
「それが?」
「関ヶ原の戦いで父の嘉隆は西軍で負けて滅び、子の守隆は東軍について生き延びたんだ」
「信州上田の真田家を真似して生き残ったんだな?」
「だが、その後の家督争いを咎められ、綾部藩ニ万石に移封され、陸に上がった河童になった」
「河童がいたのか?」
「いるわけないだろ。例え話だよ」
「分かってるさ。すると、ここは旧綾部藩だったってこと?」
「市の中心は綾部藩だが、いま走っている昔の山家村は谷領で、これから先の上林(かんばやし)は旗本・藤掛領だった。この辺りは狭い地域に何人もの領主が入り込み、寄ってたかって農民を搾取したからややこしいのだ」
「群雄割拠どころか、切り取り強盗みたいなもんだね」
「とにかく、収税を任された代官共が無茶な年貢集めをして私腹を肥やしたから飢えた農民が怒った」
「農民一揆ってこと?」
「そうだ。この何鹿(いかるが)地方だけでも記録に残った大きい一揆はいくつもあるんだ」
「例えば?」
「元禄八年(一六九五)の東栗村七三名が越訴した元禄一揆、享保十一年(一七二六)の梅迫領一揆、延宝七年(一七六九)の小畑など五か村の庄屋が京都奉行所に越訴した延宝一揆、延宝九年(一六八一)の上杉谷一揆、それに、貞享元年(一六八四)の十倉領一揆の越訴などは惨憺たる結果だった」
「農民の負け戦さ?」
「江戸奉公人一四四人の越訴で、江戸役人の西村源之丞に年貢減免を要求したが、それが拒絶されてな」
「江戸奉公人って?」
「年貢が払えないと、江戸で働かされ、利子を含めて完済したら帰村を許されるんだ」
「その間、自分の田畑は?」
「代官が預かって、他の農民に貸出し、手数料を稼ぐ」
「それで訴えか? その訴えは通ったんだね?」
「駄目だったんだ。そこで、村役など十四人が代表となって、改めて幕府評定所に直訴した」
「今度は?」
「幕府からは{無法の要求}とされて七人死罪、百三十七人追放、全員がきびしい処分をうけたんだ」
「ひどい話だな」
「それだけじゃないぞ。その妻子など家族までもが村から追放されたから完敗だな」
「農民一揆なんて、絶対に勝てないんだね?」
「ところが、今までに何回かは一揆で勝った記録があるんだよ」
「勝訴ってこと?」
「そうだ。そこまで連戦連敗だった農民一揆の大きな曲がり角が、今回の祭りの上林・宝永強訴だ」
「上林って、これから行くところだね?」
「その祭りを取材するんだから、このぐらいは知ってたんだろうな?」
「中上専務の指示だから行くだけで、興味も予備知識も全くないよ」
「しょうがないな。これじゃ。講元にお邪魔して恥をかくぞ」
「冷たいこと言うなよ」
「詳しくは旗本藤掛領・宝永五年(一七〇八)の上林勝訴、タツタ宝永講の金毘羅祭りだ」
「短く言えば、タツタのコンピラ祭りだな?」
「正式には金刀比羅(ことひら)と書いてコンピラ祭りだ」
「何回も聞いたけど、タツタって何だっけ?」
「明治の頃、武吉(たけよし)、佃(つくだ)、忠(ただ)、この三村の頭文字を集めて建田村になった」
「藤掛領は、その三村だけ?」
「全部で二十二ケ村だが、とくに酷税に苦しみに耐えかねたこの三村が謀っての訴訟だったんだな」
「勝ったのは、そのタツタの宝永強訴だけだね?」
「それから二十六年後の享保十九年(一七三四)福知山全農民を挙げての強訴、宝暦二年(一七五二)の綾部藩領農民一揆、万延元年(一八六〇)の福知山騒動では一揆の成功で、家老が切腹して果てている。さらに、明治六年(一八七三)、新政府相手に、綾部としては最後の大一揆があって、これは勝ち負け半々の痛み分けだった」
「よく覚えてるね」
「役所では秀才で通ってるからな・・・実は、夕べ丸暗記したばかりだ」
「なんで?」
「中上専務が、この祭りを大橋君に取材させるって聞いたからだ」
「嬉しいね。あとでメモを・・・」
「用意したよ。これから行く金毘羅祭りの経緯なども簡単に書いといたぞ」
西山部長が折り畳んだレポート用紙を、運転中の小太郎に手渡した。
「有り難う、これでまた命を救った貸しが少し減ったかな」
「そんなの就職斡旋でとっくにチャラだ。後は全部、おれの貸しだぞ」
「冗談でしょ。命あっての役所勤めだと思うがな」
小太郎は、その紙片を大事そうに背広の内ポケットに収めた。