3、綾部茶は日本一

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3、綾部茶は日本一

綾部の春は華やかで賑やかだった。
都会の下町を代表する人口密集で混然とした北千住に生まれ育った小太郎にとって、小鳥囀り花麗しき綾部の春はまるで別世界だった。
週末のフリータイムには京都市内にも出かけるが、格式ばって気位の高い京都市内の暮らしぶりに触れると何やら肩が凝る。ここ綾部では普段着のまま過ごせる感じだから、文化や歴史を比較しなければ人間関係は北千住並の快適さで過ごせるのがいい。
千住といえば江戸時代には御府内と隣理合わせの宿場町で、奥州街道の玄関口として栄えていたことで知られていた。今では千住地区と呼ばれてはいるが北千住は足立区、南千住は荒川区と行政では区分され、どちらも零細企業や町工場の多い地区で、なんとなく文化度では世田谷区や渋谷区など山の手と呼ばれる地区からは遅れているように思われているが、それは間違いだ。同じ都内で変わりはない。下町にも進学校もあれば文化施設や歴史上の著名な寺院、名所旧跡なども数限りなく存在している。ただ、千住地区といえば、吉原女郎衆死者の投げ込み寺の浄閑寺(じょうかんじ)や犯罪人の処刑場小塚原跡の回向院(えこういん)などが知られるが、それを綾部で自慢するのも気が引けるから小太郎は故郷自慢もせずに沈黙を守っている。
それにしても、この綾部には京都の奥座敷らしい雅の世界が数多くあり、その上、祭りや各種行事がやみ雲に多く、二月も三月も祭りやイベントが目白押し、小太郎の仕事も目いっぱい忙しく休日出勤も当たり前になっていた。
この日は土曜日で強い北風に粉雪が少し混じった寒い日だが、午前十一時から綾部の文化財である綾部稲荷社初午大祭が執り行われた。綾部稲荷社奉賛会会長の玉串奉巽尊の儀、四方宮司のお祓いの儀や祝詞奉上の儀などが続き、商工会議所職員や商工会議所所属会員総出の賑わいでITビルに近い綾部稲荷の境内はぎゅうぎゅう詰め状態でごった返していた。
この赤い鳥居の綾部稲荷神社は、綾部商工会議所が京都の伏見稲荷大社から昭和四十四年に分霊を受け、暫くは商工会議所内に祀ったが、平成十九年に割烹の跡地の一部を取得し、そこに鎮座したもので商売繁盛や家内安全を祈るのが目的だから、商工会議所に所属する商店や各社の関係者や金運好転を望む市民が次々に参拝に訪れ、お神酒やぜんざい、カニ汁の接待を受けて歓談したりで大賑わいだった。その応対に駆り出された小太郎はお茶を飲む間もなく喉がからからに乾いていた。
そんな人混みの中、小太郎の肩を叩く者がいる。振り向くと中上専務理事だった。小太郎の目の回るような忙しさに気づいて、休憩を薦める気に違いない。さすがは商工会議所を背負って立つ中上専務だ、と小太郎は思った。
「どうだ、お茶でも飲むか?」
「お茶? ビールではダメですか?」
「残念だがビールは出ないだろうな」
「なんでですか?」
「お茶の会だからだ」
「お茶の会?」
「そうだ。これからすぐ行ってくれ。午後一時からだからぎりぎり間に合うからな」
「お茶なら事務所で・・・」
「そんなお茶とは違うぞ。産地の違うお茶をな、視覚や味覚、嗅覚などで判別する大会なのだ」
「それに私が出場ですか?」
「バカ。玉露も抹茶も分からぬヤツに雅(みやび)の世界が分かるもんか? 顔を出すだけでいいんだ」
「じゃ、僕じゃなくても・・・」
「他の者は忙しい。ここで遊んでるのはお前だけだ」
「遊んでませんよ!」
「まあいい。早く行って来い!」
「どこへ?」
「そうか、まだ場所も行ってなかったな。ま、部屋に戻るか」
ひとまず混雑する大祭会場を脱してITビル二階の応接に戻ると、それに気づいた加納美紀がすかさず熱いお茶を運んで来た。
「大橋さん、寒かったでしょう?」
「おれも寒かったぞ」
「専務は脂肪がたっぷりありますから大丈夫ですよ」
「うるさい」
「ひとまず、日本一の綾部茶で疲れを癒してください」
「そうだ。茶で思い出した。茶会は今日だったな?」
「茶会って、茶香服(ちゃかぶき)大会のことですか?」
「そうだ」
「それでしたら稲荷大祭とダブってましたので参加は無理です」
「商工会議所も協賛だからな。今からでも一人は顔を出さんとまずいぞ」
二人の視線が小太郎に向き、悪い予感を感じて小太郎は苦い顔になる。
「大橋君。ちょっと茶会に顔を出して来てくれんか」
文法上は相談だが口調は完全に命令だから、返事は求めていない。
「加納くん、大橋君に行ってもらうから場所を教えてやってくれ」
「カーナビに、綾部市宮代町・JA京都にのくに茶業センター、こう入力すれば行けます」
「分かったか?」
「分かりません。美紀さん、メモしてください」
「いま書きます。そこで行われるのは、丹の国茶香服(にのくにちゃかぶき)大会と言って、JA京都にのくに茶部会が主催する茶会です」
「ちゃかぶき? お茶を飲むだけですよね?」
「各地区を勝ち抜いた60人の選手が争う真面目な競技ですよ」
「競技?」
「闘茶ともいわれる中国伝来の真剣勝負の競技で、日本では南北朝時代から室町時代にかけて貴族社会で盛んだったそうです」
「お茶なんか静かに飲めばいいのに、なんで競技で飲むんです?」
「五品目を飲み比べて産地を当てるんです」
「五品目ってどんなお茶?」
「昨年は、宇治と綾部の玉露、煎茶は京・茶源郷和束茶と静岡茶、それに鹿児島の知覧(ちらん)茶でした」
「当るんですか?」
「一品五点でパーフェクト二十五点が出ました。知覧茶や八女茶は普通の人には無理ですよ」
「たしかに」
「ところで、大橋さん!」
「なんです?」
「あなた、綾部が隠れ日本一の茶処って知ってます?」
「今飲んでる、この綾部茶がですか?」
「そうです!」
「知りません」
「では、日本の三大銘茶は?」
「宇治、静岡、あとは日本橋の山本山か京の一保堂」
仏頂面の中上専務理事が思わず飲みかけの茶を吹き出しそうになって口を押さえた。加納美紀が得意げに続ける。
「世間では、香りで宇治、色の静岡、味で埼玉の狭山茶って言いますけどこれは間違いです」
「どう違うんです?」
「香りは綾部も宇治茶ですから一位ですが、色も味も綾部茶のほうが断然一番です」
「静岡の人が聞いたら気を悪くしますよ」
「今から八百年以上の昔、臨済宗の祖・栄西禅師(ようざいぜんじ)が、今の中国から貴重なお茶の種を持ち帰った来て、京を中心にお茶を広めました。その当時は釜炒りだけでしたが、江戸時代中期の元文年間に宇治田原郷の茶業農家に生まれた永谷宗円が、蒸して手もみをして作る誰でも美味しく飲める現在の煎茶の製茶法を創案して全国津々浦々に広めたのです」
「永谷園の祖先ですね?」
「あら、大橋さんも知ってたの?」
「永谷宗円って聞いたから、カンで言っただけですよ」
「その宗円が江戸に販路を求め、その一手販売を引き受けたのが今の山本山です」
「綾部との関係は?」
「この宗円の茶は、全国に出荷されるのですから、宗円の地元の宇治田原郷・湯屋谷の茶畑だけではとても間に合いません。この当時、宇治から丹波にかけての茶畑を支配したのが、丹波何鹿(いかるが)郡上林郷の豪族上林家です。ですから、宇治茶の中心はここ綾部市の上林地区だったのです」
「なるほど。だったら何故、綾部が日本一だって名乗り出ないんです?」
「その上林家が宇治に移り住んでしまって、代々宇治茶業界を代表する茶師を育て、茶のお蔭で豊臣秀吉や江戸時代に入っても徳川将軍家御用の茶師として重用されたりして、宇治茶を出世の道具にしたんです」
「なるほど、世が世なら上林地区は日本一の茶どころだったんですね?」
「霧に包まれる丹波地方特有の気候や風土は、茶作りには最適だからな。ここの茶はまろやかな味と鮮やかな色、いい香りだからな」
ふと中上専務理事の視線が壁時計に走った。
「時間がない。すぐ行って来い!」
「どこえ?」
「どこって、宮代町の茶業センターに決まってるだろ!」
「昼食は?」
「日本一のお茶を飲んだばかりだ。取材が終わってから何か食べて来い」
追い立てられるようにして小太郎は、宮代町に向って愛車を飛ばした。