1、まゆピー

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第十一章 綾部の新春取材

 1、まゆピー

小太郎は、中上専務理事からの指示で綾部市内の正月風景を取材し、新設した自分のブログでも取材ネタを紹介することにした。
正月五日の朝、商工会議所は平常より一時間遅い朝十時の初出勤で顔合わせをし、小太郎はそのまま取材に出ることになっている。
商工会議所が入っているITビルは、小太郎の住む綾部テラスという名称マンション、実質アパートから歩いて二分、走って三十秒の至近距離にあって仮病でサボルことも出来ない。すぐ同僚の怖い女性部長が駈けつけるからだ。したがって、届け出なしの大幅遅刻などしたくても出来ない。一応、時間の余裕を確認して、畳んだ布団の上に座ったまま、その報告と相談で西山隆夫に携帯で電話してみた。一度切られて二度目に出た。
「今、初出勤の市長挨拶が終わったところだ。電源を切っとけって怒られたが、電話のお蔭で初頭談話が早く終わったぞ」
「じゃ、職員の皆様には感謝されていますね?」
「なかには、仕事より市長の演説が好きな風変りなのもいるから何とも言えんな。ところで、取材の段取りで相談か?」
「図星! 中上専務に言われる前に取材予定を作っておきたいんでね」
「まゆピーには挨拶したか?」
「まゆピー? どこの女です?」
「女? 綾部のマスコットだよ」
「それなら知ってますよ。この街はどこに行ったってまゆのお化けだらけですからね」
「まゆピーの語源は知ってるか?」
「蚕(かいこ)の繭(まゆ)から絹糸がピーっと出てくるからですね?」
「それでよく綾部の商工会議所にいられるな」
「西山さんが斡旋したくせに」
「そうだったか?」
「そうですよ」
「まゆピーはな。綾部市発展の基礎ともいえるマユをモデルに作られたマスコットでな。平成二年に綾部市制40周年を記念して、日本グラフィックデザイナー協会に依頼しデザイン化したものだ。なにしろ、まゆピーの名は、市内の小・中学生三千人以上の応募の中から選んだもので、まゆと平和(ピース)を合体させた造語だ。丸みを帯びた体は綾部市民の輪の象徴だ。どうだ傑作だと思わんか?」
「思いませんね。熊本のクマもん、群馬のふっくん、愛媛県今治(いまばり)のバリーちゃんには遠く及びませんよ」
「だったら、大橋君の力で綾部のまゆピーを日本一のゆるキャラにしてくれよ」
「日本一って、まゆピーは全国でいま何位ぐらい?」
「ま、千位をちょっと下まわってるかな」
「千位以下? それを一位のゆるキャラに? それは無理ですよ」
「無理ったって、本職のデザイナーに市が大金を払ってるんだぞ」
「そんなの知りませんよ。大体、まゆが時代錯誤なんですよ」
「でもな。ここはグンゼの絹から発展した街だから仕方ないんだ」
「そういえば、京都府にはマユロウっとかいうゆるキャラがありましたね?」
「よく知ってるな。あれは確か、百位以内に入ってたぞ」
「あれにはユーモアがありますよ」
「まゆピーだって、愛らしくていい味があるだろ?」
「どこにですか?」
「頭のてっぺんには綾部市内外に発信するアンテナがあって、平和都市・綾部をPRしてるんだ」
「そんなの見ただけでは理解できませんよ、てっきり髪の毛が一本だけ残ったのかと思ってました」
「その上、でかい足は未来へのステップと飛躍への可能性を表現してるんだぞ。どうだ、参ったか?」
「参りません。飛躍なら羽を加えればいいじゃないですか?」
「なるほど。弓矢も持たせて恋の使者・まゆキューピット・・・ダメだ! これは高齢者を含めた綾部市民全員のマスコットだからな」
「いいじゃないですか。今は老人施設の恋愛で刃傷沙汰のある時代ですから」
「それに、作り直す予算もない」
「定住者を増やして税収が増えたら市議会で提案してください」
「わかった。早く野田町の井根山山頂のまゆピー像を拝んで来い。野田の桜、その隣の和木町は梅の名所だ」
「春になったら、旨い酒を持って行きましょう」
「運転してってくれ。飲むのはわしが引き受けるから」
「花見は止めにした。勝手に行ってください」
電話を切って立ち上がり、インスタント焼きソバで朝食を済ませ、走って出社した。やはり時間はギリギリになる。
出勤十時には間に合ったが、商工会議所の応接室から室外のフロアいっぱいに年始客が詰めかけていて、中上専務理事が立ったまま真赤な顔で祝賀の応答と小さな杯での献杯を繰り返している。その横で加納美紀が専務理事のデスク上に山のように積んだ盃に四合瓶の酒を注ぎ、使用済みの盃を洗うためボールに集めた神山紗栄子が台所に急いでいる。小太郎がそれを捉えた。
「神山部長、おめでとう!」
「おめでとうございます」
「初日出社は十時って聞いてたけど?」
「大橋さんはそれでいいのです。わたし達はこれが仕事ですから八時半から来ています」
「正月はいつもこうかね?」
「役所や会議所会員各社、会議所青年部、会議所女性会、地元商店街の幹部が、名刺交換会を待たずに年賀に来るんです」
「これじゃ、手が足りないだろ?」
「駐車場の整理は青年部、名刺の受け付けは女性会が手伝ってくれています」
「じゃ、なにを手伝う?」
「挨拶はいいから、さっさと出かけてください・・・それが専務理事からの伝言です」
「分かった。午後四時には戻るから」
小太郎の顔見知りも何人かいてお互いに年賀を述べ、応接室に入って専務理事とは目配せ、加納部長には挨拶をして小太郎は外に出た。
商工会議所のあるITビル裏の駐車場から、すぐ近くの綾部小学校や大本長生殿を経て、への道を南下すると、いつも見慣れている標高百六十メートルの丘に過ぎない井根山が目の前に迫っている。上野団地、農屋敷、門田のバス停を過ぎ府道一七三号線へのT字路手前で「井根山公園」への案内看板を見つけて急ブレーキをかけて徐行しすぐ左折、府道一七三号線の高架下を潜ると公園入口の駐車場があった。そこを少し直進すると、道幅は狭くなるが少しは登山の労力を節約できそうで、林道然として道が狭くなったところに車を停め、葉を落とした灌木の杣道を頂上目指して歩き始めた。ただ、帰り道を忘れぬよう山道中央のところどころに折った枝木を置くのだけは忘れない。これは、小太郎が源流釣りで先輩から教わった渓流釣り師の習性で数多く実践済みだから帰路の心配はない。
途中で三人連れの男性高齢者に出会った。
「済みません。ここからまゆピーの像がある山頂に出ますか?」
「まゆピー? そいつは北側から登れば早かったな。ここを上ると野田城鞍部の遊歩道で南尾根側の秋葉神社がすぐだよ」
「有難うございます。皆様はどちらへ?」
「いま、秋葉神社に参拝してきたが、大師道に入って正暦寺八十八ヶ所霊場巡りをやっとるだよ」
「八十八ヶ所?」
「ミニ霊場巡りといってな。この先の巡拝道を行けば、斜面のあちこちに霊場の石祠が祀られてるでな、ま、隠居の散歩ってとこさ」
三人に別れてさらに登ると、すぐ井根山を周回する遊歩道の尾根に出た。まゆピーだと左、秋葉神社だと右だが火伏せを祈願するのも悪くないと考えて、明治期に移設されたと聞く野田城南尾根側の主曲輪(くるわ)跡に建つ秋葉神社に参詣し、五百円玉一ケで火事と事故の災難防止祈願をして、そのまま山城の遺構を散見しながら左回りでまゆピー像を求めて再び歩き始めた。井根山の東側に回ると由良川を囲む綾部市東部の雄大な大自然が一望できて心が洗われるのを感じた。なるほど、この景観を見せたくて西山隆夫は「まゆピー」をダシに使ったのか? とも考えたが、すぐに「善人の西山部長はそこまでの深読みはしない」ことに気付いて自分の思いを否定した。
やがて、目指す「まゆピー」記念碑が姿を見せた。
平和の象徴でもある「まゆピー」は、戦陣の土塁虎口の辺りと思われる北側にあり、由良川流域と綾部の市街地を一望出来る好位置にあって、コンクリートで固めた階段づくりの高台の上に丸土台、その上に楽しげに立つステンレス製高さ一・五メートルの「まゆピー」、これを見ると、全国に先駆けた世界連邦都市宣言四十周年を記念して、人類共通の平和への願いと綾部市の象徴である蚕(かいこ)・繭(まゆ)を題材に制作された市のシンボル・マスコット「まゆピー」が、ゆるキャラ人気投票全国で千位下など許せるものではない。市の関係者は一丸となってその主旨を国内国外にもっと強くアピールすべきだ。とはいえ、他の都道府県各都市のマスコットと比較していかにも軟弱な気がしないでもない。しかし、恒久平和への願いを込めての作品だから外柔内剛、表面こそおだやかだが芯は強い、これが「まゆピー」なのだ。
「まゆピー」はこうして井根山の山頂に佇み、悠久の流れの由良川と綾部の市街地、そして綾部市民を寒風に耐えながら見守っていた。