3、レンタカー

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3、レンタカー

山下寅二郎は途中のコンビニで道を聞き乍ら、少々自己嫌悪に陥っていた。駅からもう十五分も歩いてるのにレンタカーどころか会社らしい建物も見当たらない。
そもそもの間違いは、綾部駅周辺を避けて、わざわざ隣駅の高津まで来たのは、無名の共栄レンタカーならば比較的目立たないと考えたからだ。ホテルで貰った綾部市観光ガイドではレンタル会社の最下段におまけのように小さく掲載されていたから閑古鳥も鳴かないような個人会社だと勝手に想像していたが、どうもそれが正解らしい。
それでも、コンビニで聞いた通り道なりに歩いていたら大きな看板が見え、広い敷地内には見慣れた各社の看板車種がほどよい間隔で整然と並んでいて、いつでも走行できる雰囲気にはなっていた。
貸し出しカウンターのある事務所に入ると、カウンター内の二人の女性事務員はそれぞれ客の応対に忙しく、寅二郎の前にも数人の客が苛立った表情で待機していた。女性事務員は、寅二郎に「少々お待ちを」と言っただけで、応接の丸テーブルの椅子に座った寅二郎に見向きもしないしお茶も出ない。室内と外を出入りする数人の男性従業員も出車客や返却車両の確認などで立ち働いていて寅二郎には声も掛けない。行楽の秋だからか、意外に繁盛しているレンタカー屋なのが分かった。別の店のほうが良かったかな? 何となく腰が浮きかけた時に、先客が動いて次が寅二郎の順番になった。こうなると駅まで歩くのも億劫だからと待つことになる。
そんな時、駐車場に停まった車から、セカンドバッグを左手にぶら下げた酒焼けか顔つやのいい初老の男が急ぎ足でロビーに入ってきて寅二郎を見て軽く頭を下げた。
「お客さん、誰か受け付けてますか?」
カウンター内の女性事務員が客との会話を中断して顔を上げた。
「社長、お願いします。先ほどからお待たせしてたんです」
社長と言われた男が「集金の小切手だ」と、セカンドバッグを事務員に手渡し、紙ばさみに挟んだ接客用書類を持ち出してきて寅二郎の前に座った。
「観光ですか?」
「ちょっとした仕事だが、半分は観光です」
「一泊で?」
「いや、一週間ほど」
「どちらにお出かけですか?」
「この辺りをブラブラするだけですよ」
「お泊りの宿はお決まりですか?」
「これから探します」
「紹介しましょうか?」
「そんなの自分でやるから、車だけ貸してください」
「車種は何がいいですか? 安いコンパクトカーですか?」
「何でもいい」
「では、天才タマゴの愛称で親しまれるハイブリッドのエスティマは? 十二時間一万円を出ますが」
「3ナンバーで八人乗りだろ? 乗るのはおれ一人だ」
「では、千CCクラスのヴィッツですと一週間五万円少し欠けますが、デミオ、フィットは五万円を出ます」
「そっちのお勧めは?」
「うちでの一番人気はトヨタ・マーチ、七日間ですと初日が六千五百円、二日目からは五千五百円、それに+消費税を頂きますが、これが一番格安で、お客さんの使い勝手もいいようですな」
「では、それで結構」
「承知しました。では免許証を拝見します」
寅二郎は、新宿歌舞伎町に隠れ住む日本有数の偽造カード師・洞山耕吉に依頼して作った下山一蔵という名の免許証を提示した。
社長が驚いた顔で寅二郎を見た。
「下山さんですか? 私は上山です。なんと偶然ですな」
急に親しげな口調になりポケットから革製の名刺入れをを取り出した。
確かに、社長らしくもない上山仙太という文字が見えた。だが、自分のほうは偽名だし、上と下では上が優位にあるのは当然だから寅二郎には少しも嬉しいことなどない。その縁で料金を半額にするとでも言うのなら喜んだ顔もするのだが。
上山社長は偽造免許証とも知らずに、すっかり寅二郎が気に入ったらしい。
「よかったら、私が丹波全域を案内しましょうか?」
これこそ余計なお世話だ。こんなのが一緒だと仕事の邪魔になる。
「好意だけで結構、これからのんびり紅葉を楽しみます」
「それはいい。俳句などもたしなみますか?」
「いえ」
「これから、安国寺、黒谷、大本教ともみじの真っ盛りで綾部市はもみじ祭り一色になりますからな」
「それが楽しみで来たんで、仕事なんか二の次ですよ」
上山社長がため息をついた。
「簡単な仕事で稼げるなんて、羨ましいです。うちの仕事なん観光シーズンだけですからな」
思わず寅二郎は頷いていた。自分も年に数度の仕事で食っているのだから同じようなものだ。
「ところで、下山さんのお仕事は?」
寅二郎は聞かなかった振りをして慌てて立ち上がった。
「では・・・」
寅二郎は、女性事務員が持ってきた書類を無造作に見て支払いを終え、一週間後を約してにその場を逃げるように車で去った。
どうも綾部市の人は会話が好きらしい。これ以上、上山のお喋りに付き合っていると、自分も何を口にするか分からない。
”口と社会の窓にはきちんとチャック!”これも寅二郎の生活信条の一つだった。