4、文化の里

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4、文化の里

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これ以上の俄か学習は頭の回路を狂わせる。小太郎は好奇心を振り捨てて資料館を脱出した。
中丹文化会館と中央公民館は、同じ敷地内の建物で、そのメインホールを覗くと、千人ほどの席があり、映画、芝居、コンサート、何にでも対応できるように出来ていた。これならNHKの素人のど自慢の会場にピッタリだ。これだけ文化が進んでいる綾部市だから、演歌よりオペラとかカンツオーネなどが相応しいような気がする。
ポスターの張り換え中の職員を見つけて、情報収集を試みる。
「ちょっと聞いていいですか?」
突然、質問されたから手元が狂ってポスターをやや斜めに貼った職員が、小太郎を見た。
「なんです?」
「今までにどのようなイベントが人気ありましたか?」
「人気? そんなの気にしたことありませんよ。それでも{サンクトペテルブルク交響楽団}だとか{千住真理子のヴァイオリンコンサート}{太田裕美&東京フィルコンサート}{ソフィア・ゾリステン&ミラ・ゲオルギェウァの名曲の花束」などが人気がよかったです。私は個人的に、東京交響楽団のチェロ奏者・川井真由美の演奏が好きです」
「北島三郎は?」
「趣味に合いません。でも坂本冬美は好きです。それに{おかあさんと一緒}に出ているお姉ちゃんなら来たことがあります。あと、このホールは成人式、映画、綾部市民合唱祭や中丹文化芸術祭などにも使います」
ともあれ中丹文化会館の大会場が音楽、演劇、映画や講演などに使われる多目的ホールであることは分かった。
会館の施設は大ホールの他に、会議室や研修室、和室まで揃っていて企業への貸し出しなども受け付けていた。
時計を見ると、すでに午後五時近い。ここは九時二十時までだから時間に余裕はあるが、自分が「あず木」に遅れてしまう。
ただちに移動して、二百円の入場料を払って天文館パオにとび込んだ。
運よく金曜日は週末扱いで開館時間が九時~二十一時半で間に合ったが、火~木曜だったら九時~十六時半で間に合わない。
展望台が山上だけに、由良川越しに夕暮れの綾部の市街地が一望のもとに見下ろせる。
太陽は西に傾いているが気分は壮快になる。
ここでも職員の活躍が目立った。
「この反射式天体望遠鏡は、国内最大級の95センチ型で、昼間でも晴天なら各星座や星が近くはっきりと見えます」
なるほど、直径約一メートル、長さは人間の体の三倍はあるような超大型望遠鏡が天に向かって突き出している。
それに加えて百五十インチというハイビジョン大画面シアターが設置されていて、なかなか人気もいい。
建物内を歩いて見ると、図書室、科学工作室、ローラー滑り台など子供達が喜ぶ施設が整って、小太郎でも楽しめた。
今日は時間がとれないが次回も週末の夜、改めて天体観測に来ることにして小太郎は早々に引き上げることにした。
天体望遠鏡に背を向けた小太郎を追うように職員が声をかけた。
「お急ぎですか?」
「ええ、ちょっと」
「折角ですから、日本一の大型望遠鏡で空を眺めてください」
「日本一? 二番じゃダメですか?」
「ダメです。さっき資料館から指名手配の通報があったんです」
「指名手配?」
「東京の人口増加コンサルタントが、そっちへ行くからって」
「そんなのデマです」
「とんでもない。市長と握手までして確約したのにデマなんて。詐欺になりますよ」
「詐欺って、まだ何も綾部市に損害を与えてないです」
「これからですか?」
「しつこいな!」
「詐欺は取り消しますからとに角、望遠鏡を覗いてみてください」
職員が、小太郎の肩を押して望遠鏡の覗き口に案内し、天体観測待機客の列を強引に押し除けて小太郎を前に出した。
「済みません。東京から覗きの専門家が来ましたので、先に覗かせて上げてください」
先頭に並んでいた高齢の男性が、職員に質問している。
「覗き魔ですか?」
「いえ、この先生は綾部市の何にでも興味をもって、それを全国に発信してくれるんです」
「なるほど、それで何でも覗くってわけですか?」
周囲の男女も納得したのかしないのか、小太郎を見つめて騒がしく陰口を叩いている。
係員の操作で小太郎は薄暗くなりつつある夕空の彼方を見上げて驚いた。
日頃、小さな点でしかない空の星が、はっきりと面積のある球体となって無数にうごめいて迫ってくる。
職員の解説が耳元でうるさい。
「これから寒くなると、ますます大気が澄んで一年中でもっとも星空がきれいな季節になります。オリオン座、プレアデス星団はもとより、シリウスなどもじっくりと見て楽しめます。いかがですか?」
あいにくと北斗七星と宵の明星ぐらいしか知らない小太郎には猫に小判だから返事の仕様もない。職員が続けた。
「夕暮れどきですから、東の空に大きなオリオン座が現れたはずです。見えますね?」
「さあ、どれがどれだか?」
「大気との関係で明るい星が多いのが冬の星座の特徴です。オリオン座をかこむ星を見てください。大犬座のシリウスに子犬座のプロキオン、さらには双子座のポルックス・・・分かりますか?」
「さあ?」
「ぎょしゃ座のカペラやおうし座のアルデバランは?」
「さっぱり分かりません」
ただ、星空の見事さに小太郎は酔った。ダイヤモンドをちりばめたように青白く輝く星や、赤や黄系の星が空一面に広がっている。小太郎は言葉もなく大空の美景に見入っていた。
あえて注文をつけるとすれば、係員が得意になって喋りすぎていて、小太郎の考える力を奪っている。
ともあれ、立地条件もよく素晴らしい設備だった。
「このオリオン座のベテルギウスと大犬座のシリウス、子犬座のプロキオンを結ぶ三角が、冬の星座の呼び物で、さらに、オリオン座からななめ右上を眺めると、おうし座の赤い星アルデバラン、もう少し上にスバルの名で知られるプレアデス星団が・・・」
小太郎は説明なかばに「有り難うございました。間違いなく日本一です!」と言い、頭を下げてその場を離れた。
「今度、週末の夜に来てください。夕方より何百倍も美しい夜空が見えますよ!」
確かにその通りに違いない。小太郎は生涯初めての天体観測が日本一(職員言)の天文台であったことに感謝した。
気になることはただ一つ、仕事熱心で饒舌でお節介な職員のおかげで、あず木への約束時間が大幅に遅れている。