7、綾部の桜は日本一

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 7、綾部の桜は日本一

生憎の曇り空だが、城址公園の空は桜一色、濃淡さまざまなピンク色に染まって華やか、ちらほらと花びらは舞ってはいるがまさしく百パーセントの満開で、公園内の人々の顔色までさくら色に見えてくる。
旧遺跡か明治以降に造られた遺跡かはともかく、山家陣屋の表御門(模擬城門)には谷家の定紋「揚羽蝶」と秀吉から賜った「五三の桐」紋が掲げられていたり、曲輪跡や空掘を囲む大土塁、高い石垣、上林川と由良川を断崖に囲まれた立地の良さを考えると、谷家は徳川家に領地を安堵されながらも本質的には西軍だっただけに、いつでも臨機応変に外敵を迎え撃てるように臨戦態勢で布陣していたとしか思えない。
小太郎が石段を上がってイベント会場に着いた時は、すでに豪快な和太鼓演奏は終わっていて、谷霊神社前の山家城址山門下広場に設置されたステージ上では、カラオケ大会が始まっていた。
会場脇にはテントが張られ、その中に、焼き鳥、弁当、うどん、焼きそば、ポテト、おでん、フランクフルト、たこ焼きなどの出店が並んでいて小太郎の食欲を誘う。小太郎は何げなく端のテーブルに手を触れ、そこに座った品のいいご婦人と目が合った。
「いらっしゃい。商工会議所の大橋さんですね?」
テント内からその婦人から声を掛けられ、思わず「そうです」と答えて、その机の外の旗を見ると、青地に白抜き文字で「ユニセフ募金」とある。ご婦人は商工会議所会員の製菓業の社長夫人で、ボランティアだと気付いたがもう遅い。
「商工会議所ですと最低でも三万円ですかね? 領収証は要ります?」
そんな予算など聞いたこともない。思わず小太郎は応じていた。
「いえ、個人で千円寄付します」
「では、領収証も出しません」
「結構です」
これで昼食分の予算が飛んだ。見回すと宣伝の旗指物や看板が所狭しと並んでいる。紅白の幕を張った派手なステージの上部の横看板には、第X回山家と小文字があり、その左下に三坂純子歌謡ショーとあり、中央に大きく「さくら祭り」と朱文字、その右に青の中文字で「カラオケ・STAGE」とあった。さらに、その下一列に左から主催や協賛の、山家観光協会、山家商工繁栄会、山家城址記念福餅、山家郷土芸能保存会、山家民舞、鉢の木会などが名を連ねていた。
舞台では、FMいかるの三井明日香が絶妙な司会で観客を沸かせている。ここでは、出演者も観客もスポンサーなど全員が、三井明日香を知らぬ者はいないから、司会していても気楽なのだろう、こう思って小太郎がカメラを向けた。女性の出演者が「天城越え}を歌い終って広場に並べられたパイプイスで拍手する観客に手を振り、三井明日香の「素敵でしたよ」に応じてハグした瞬間を狙って、小太郎がデジカメのシャッターを押した。その一瞬、なんと三井明日香がカメラ目線でVサイン、これには小太郎も仰天した。出演者の肩を抱きながらのこの余裕、小太郎には逆立ちしても真似出来ない。
ここでは、満開の桜の下、大勢の綾部市民が一体となって楽しみを分け合っている。
そう思ってみていると、今度は知ってる顔がステージに上がった。
なんと、市内大島町のミラクル美容室の蔵林ミツエママが着物姿で登場し「三番、さくら」と叫んで手を振ったのだ。
思わず反応して小太郎も手を振ったが、ミツエママの視線は小太郎には向いていない。彼女の視線を追って会場を眺めると、案の定、パイプイスの観客から外れた位置の桜の花の下に敷いたビニールシートに、片手に紙コップ、片手で手を振る数人のグループがいた。よく見ると唐沢栄子、安東芳江、殺し屋の山下寅二郎と妻の喜美代と顔ぶれはいつも通りだが皆一様に楽しげに満面に笑みを湛えて応援の声を飛ばしている。
「ぼーくらは、きっと待ってる。きみとまた、あえるひびを~」
タイトルでこぶくろの歌を連想した小太郎の意に反して森山直太郎作詩作曲の甘い歌が滑り出しよく流れてゆく。
「どんなにくるしいときも、きみは笑っている・・・」
なんとか歌い切って拍手喝采を浴びてミツエママは、三井明日香の世辞めいた称賛に笑顔で握手に応じている。ここでは推薦されての出場者ばかりだから自信満々、歌いっぷりが堂々として気分がいい。歌唱力などは二の次、ここに出演することがすでに名誉なのだ。
出演したミツエママも応援の仲間グループも大喜びだから、小太郎までも嬉しくなってきて、ミツエママのいい表情をアップで、とシャッターを推した瞬間、肩を叩かれた。
「大橋さん!」
振り向くと、市役所広報課の梅野木郁子と見知らぬ女性、その先に川崎市長の顔がある。市長と目線が合ったので会釈をすると、市長が笑顔で軽く手を上げて立ち去った。
小太郎が質問する前に、梅野木郁子が口を開いた。
「こちら、同僚の白原さとみさん。広報あやべ{ねっと}の取材と、市長挨拶の撮影と録音で来たの。大橋さんも取材?」
「気まぐれな中上専務理事の指示ですよ」
「じゃあ。頑張ってね」
白原さとみが名刺を出して小太郎に手渡したので、慌てて上着のポケットを探って名刺入れを取り出したが、すでに二人の姿は人混みの中に消えていた。
そこに、ステージを降りたミツエママが、人混みを縫って小太郎に近づいて来た。舞台の上から小太郎を見つけたらしい。
「大橋さん、明日香さんとの握手シーン、撮れました?」
「多分・・」
そこで最終画面を見せたところ、肩を叩かれた瞬間の画面ブレでミツエママの顔が歪んでいる。
「ひどい!」
あわててミツエママが絶唱中の前の画面を見せたのだが遠景で顔まではハッキリしない。
「ま、写真はいいから、一緒に飲みましょ」
ミツエママに誘われて仲間の輪に入って行くと元殺し屋の山下寅二郎が喜んだ。
「やあ大橋君、しばらくだけど元気かね?」
「まあ、なんとか・・・殺し屋さんも?」
「その呼び方はやめてくれ。山下とか寅さんとか」
「じゃ、寅さんにする」
「妻にもそう呼ばれてるんだ」
「改めて、寅さん。元気?」
「元気だ。大橋君も頑張れよ」
健全な若者が、元殺し屋に励まされる光景も、この満開の桜の下でなら何の違和感もない。
小太郎が靴を脱いでビニールシートに座るとすぐ紙コップを出してビールを注ごうとする。
「車だからダメです」
「コーヒーでは?」
「じゃ、それで」
喜美枝夫人が手際よく、持参したポットからホットコーヒーを紙コップに注いでくれて、仲間全員での乾杯になった。
カラオケ大会が終わり、ゲストに招かれた川崎源也市長の軽妙かつユーモア溢れる市政演説風挨拶が始まった。
市長は、自らが世界を舞台の金融機関に身を置いた経験があるだけに、自らの故郷・綾部への思いを語る時、誰よりも熱く誰よりも説得力がある。この桜の季節に進学や就職で綾部を巣立つ人も多いが、その七割は、いつか故郷の綾部に戻って来たい、との希望を抱いている、とも語り、自分も海外での活躍を夢見て巣立ったが、今はこうして故郷で働いて充実した日々を送っている、と語った。
「強い意志で都会に飛び出して活躍し、功成り名遂げて故郷に錦を飾るも良し、仮に何らかの理由で挫折したとしても、この綾部に帰って来ればいいのです」
そして、市長はこう括った。
「どんな時にあっても。この素晴らしい故郷・綾部は、決してあなたを裏切りません」
小太郎は拍手をしながら、思わず自分の故郷が綾部であるような気分になっていた。
続いて市長が舞台の上から紅白の福餠を撒き始めた。
ミツエママが言った。
「ここの福餠を手に入れると、幸運が舞い込むのよ。ねえ、喜美代さん?」
「あたしは昨年、ここで餅を頂いたおかげで、この人と・・・」
「それって、幸運ですか?」
「大橋君、おれをバカにするのか?」
「バカにはしませんが、殺し屋と結婚しても」
ミツエママが小太郎を制した。
「大橋さん。男女の機微や幸不幸なんて他人には分からないものなのよ」
福餠撒きはすでに始まっていた。
「ここへ投げて!」「こっちこっち」「あたしに~」
市長はまず声を出した人から投げ、次に足元、徐々に遠くへと距離を伸ばして投げて届いている。それがまたコントロール抜群で狙い通りに餅が飛んでいる。市長の得意技は合気道だけではなかったらしい。
市長がふと、立ち上がってカメラを構えた小太郎の姿を見かけたらしく、一度、餠を持つ手で軽く合図してからゆっくりとしたモーションで餠包みを投げた。レンズを通してそれを見た小太郎が慌ててカメラから目を離して放物線を描いて飛んで来る餠包みに焦点を合わせ、辛うじて左手でキャッチし、大きくその手を振って感謝の意を表した。ミツエママを始め仲間全員が拍手と歓声で喜んだ。
「これで大橋さんにも幸運が舞い込むわ。もしかすると、恋人が出来るかもね」
とたんに種ウマ主婦の唐沢栄子が相好を崩して小太郎の手を握った。
「すぐに願望成就って、すごい効果でしょ!」
その手を振りほどいて周囲を見回し、梅野木郁子の姿を追ったが、その姿はどこにもなかったのだ。
楽しいひと時ではあったが、花見の席でおちょこ一杯の酒も飲めないのは酷過ぎる。福引があって、六等か七等のティッシュペーパーの箱を抱えて小太郎は仲間グループと別れて帰路についた。小太郎は、メインイベントの歌謡ショーをパスしたのだ。
酒は飲めなかったが、幸運を招く福餠を得ただけでも大収穫だったのは間違いない。帰路、未来を夢見て小太郎の心は弾んだ。
翌月曜日、恒例の朝のミーティングがある。
小太郎が、山家の桜祭りは「素晴らしかった」と細かく報告をしたところ、中上専務理事がすぐ指摘した。
「なんだ。肝心の三坂純子の歌謡ショーは取材しなかったのか?」
「好みじゃないもので」
「彼女のファンが多いからメインで呼んだんだぞ」
「専務の好みでしたか?」
「山家の桜はどうでもいいが、歌謡ショーだけは見なきゃと、孫連れで行って来たさ」
「なんだ。ぼくと入れ替えですね。じゃ、写真も?」
「いっぱい撮ったさ。見るか?」
「いえ、結構です」
「めおと海峡って曲なんかいいぞ。~祝う人さえなかったけれど、積み荷は大きな宝船~、どうだ?」
「そんなの、どこがいいんですか?」
加納美紀が真顔で口を挟む。
「淡路島出身の彼女には、わたしにピッタリの歌があるんです」
「なんだ美紀、おまえも三坂純子のファンだったのか? どんな曲だ?」
「曲名は、わたし弱い女です・・・」
中上専務理事が「プッ」と口から綾部茶を吹き出し、神山紗栄子が慌てて雑巾を持ち出してテーブルを拭いたが、専務理事の濡れたズボンは無視して言つた。
「美紀さん。それって私のことでしょ?」
「いえ、わたしです」
「うるさい。おまえら勝手にしろ!」
自分で出したハンカチで濡れたズボンを拭きながら、中上専務理事は独りでご機嫌斜めになっていた。
ともあれ、山家城址公園の桜は素敵だったし福餠もゲットした。これで恋人が出来たら小太郎にとって綾部の桜は日本一・・・条件付きながら、中上専務理事の独断と偏見に賛同してもいい。そう思って、目の前の二人の女性を眺めたが、どう見ても男が守りたくなる「か弱い女」には思えない。それどころか、この二人は小太郎には関心がないらしい。小太郎がそう思った瞬間、神山紗栄子が振り向いた。
「大橋さんは、美紀さんとわたし、どちらがタイプ?」
美紀がすかさず続けた。
「二人と付き合って確かめてみる?」
「結構です!」
反射的に応じて「しまった!」と思ったがもう遅い。二人が顏見合わせて異口同音に言った。
「勿体ない!」
どこまで本音かは小太郎には分からないが、中上専務理事の顔が和んでいる。